インドを旅して「へえ~」と思ったことに、ヒンドゥー教の世界には「墓」というものが無いという事だ。
一方、インド国内でもイスラム教徒・キリスト教徒の方々には「墓」があった。フマユーン廟やタージマハールはいわば「墓」である。キリスト教の教会も「墓」の上に建てられたものだ。
宗教の教えで180度「墓」に対する考え方が違う事が分かった。
ヒンドゥー教には日本の神々のように八百万の神々が居るようだ。その中には「創造・維持・破壊」の神がいる。人の一生も「創造・維持・破壊」が行われる。「生まれ・生き・死ぬ」という事のようだ。維持を司るのがヴィシュヌ神であり、宇宙を創造したのがブラフマーという神だそうだ。商売の神様から、音楽と学問の神様etc・・・。その中でも最も人気のあるのが「破壊と再生」を司る神であるシヴァ神だそうだ。
それは、死と輪廻転生を象徴するからだろうか。
ヒンドゥー教の教えでは、人は「輪廻転生」が行われる。人が死した後は、速やかに「輪廻転生」が行われるようにと思い、火葬をし、さらに残った遺骨は聖なるガンジス河に流す。ガンジス河は神の頭から流れ出た河だという。
ベナレス(ヴァラナシ)では、遺体をガンジス河で洗い、川岸で荼毘に付し、のこった灰はガンジス河に流す。これが、ヒンドゥー教徒にとっての最高の弔いなのだ。
5~6のご遺体が荼毘に付されている。24時間火葬は行われている。
右の階段に横たわっているのは次に荼毘に付されるご遺体だ。
今回の旅の現地ガイドさんは言っていた。
「私のお祖父さんもお祖母さんもここベナレス(ヴァラナシ)で荼毘にしガンジス河に流した。私も死んだらここで荼毘に付してもらいガンジスに流して欲しいと・・・。」ちなみにガイドさんはデリー大学を卒業した秀才である。そして、熱心なヒンドゥー教徒である。
この世(地上)に形が残れば、「輪廻転生」が起きないということだろうか・・・。
一方、キリスト教徒・ユダヤ教徒・イスラム教徒に置いては、死者の復活の教義を持ち、神の「最後の審判」が行われ、復活することとなる。その復活する時に「体」が無いと、復活できないと考える。火葬をして体が無くなることは、永遠に復活できないこととなる。だから火葬への禁忌が強い。土葬をするのが良いこととなる。
イスラム教では、火あぶりの刑は神のみが許された行為だと言われ、最高の懲罰らしい。キリスト教に於いても火刑は最も重い刑であり、あのジャック・ダルクは、異端者として火刑された。息絶えた後も灰になるまで燃やされ、残った灰はセーヌ川に流されたと言う。
宗教とは残酷なものだ、とつい思ってしまう。
大学時代の友が眠る墓
ところで、日本の「墓」とは何だろう。復活のための墓ではない。どこに墓の必要性があるのだろう。死後の世界は誰もわからない。凡人である爺が考えてもどうにもならない。それを考えるのは宗教家の仕事だ。
爺の仕事は、「快眠」を売ることだ。あと15年・80歳まで頑張りたいものだ。今まで19万時間寝てきた。快眠できるのも、あと4万時間余だ。
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