「屁理屈」という言葉を辞書等で調べると次のように書かれている。
屁理屈を言う…とは, ①まるですじの通らない理屈。道理に合わない理屈。「―を並べる」「―をこねる」 ②論理的だとは第三者には思われないような論理によって構成されている理屈。③理屈のための理屈。
当人は一見正道の理論に基づく意見を言っているように思っているが、実際には破綻部分が多く、大多数の人間には賛同されないような理屈(論理)である場合が多い。
別のところには、こんなことも書かれていた。
屁理屈とは、屁(おなら)のようにたよりない理屈という意味で、本人は筋が通っているつもりで力説しているが、他人からすればこじつけの理論や苦し紛れの言い訳にしか聞こえない話のことをいう。要するに、増税の必要性を説く担当大臣の説明や、汚職を追及された政治家の釈明などに用いられる論理展開のことである。
「理屈」は「理屈に合う」というように「筋の通った話の組み立て」という意味だが、「理屈ばかり言っている」ともいうように、その「筋の通った話の組み立て」そのものに疑いを持っていたり、理論的な説明ばかり聞かされても納得できないという気持ちがこもっている。その「理屈」がさらに「屁」のようだというのだから、相手をする気にもなれない話であるのは言うまでもない。(CAS)
何故こんなことを書いたのか…今の「安倍」という男がしようとしていることは、余りにも無茶だからだ。 日本国憲法を読み返せば、暴論以外の何物でもない。
◇議員「マスコミこらしめるには広告料収入なくせばいい」
出席者によると、百田氏は集団的自衛権の行使容認に賛成の立場を表明した上で、政府の対応について「国民に対するアピールが下手だ。気持ちをいかに訴えるかが大事だ」と指摘した。
出席議員からは、安保法案を批判する報道に関し「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」との声が上がった。
沖縄県の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し、百田氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と主張した。
懇話会は木原稔青年局長が代表で、首相側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一・党総裁特別補佐も参加した。
出席者の発言について、自民党中堅は「自分たちの言動が国民からどのような目で見られるか理解していない。安保法案の審議にマイナスだ」と指摘。公明党幹部は「気に入らない報道を圧力でつぶそうとするのは情けない」と苦言を呈した。
◇報道・表現の自由への挑戦
琉球新報社の潮平芳和編集局長の話 百田氏が何を論拠にしたのか明確ではないが、「つぶさないといけない」という発言は沖縄2紙のみならず、国内のマスメディア全体の報道・表現の自由に対する重大な挑戦、挑発である。沖縄の現状を全く理解しておらず、残念である。琉球新報は今後とも不偏不党、言論の自由を重んじ、公正な取材活動と報道に努める。
◇断じて許すことできない
沖縄タイムスの崎浜秀光編集局次長の話 安全保障関連法案は「憲法違反」との指摘が相次ぎ、反対する世論の広がりに対するいら立ちが(百田氏の発言に)出たと言わざるを得ない。70年前の沖縄戦で、沖縄は本土の「捨て石」にされた。「中国に取られれば目を覚ますはずだ」との発言は、再び沖縄を捨て石にしようとする発想で、断じて許すことができない。(共同)
「表現の自由」が保障されている日本だから自由に言えると勝手に解釈するこんな議員集団には、すごい恐怖を感じます。というのも、「言っていい事と、言ってはいけない事」とが分からない非常識な人間が「国会議員」であるということは、世も末。言論弾圧がまかり通る国(どことは言わぬが)を批判しながら、彼らが言っていることはそれらの国々と本質は同じではないか。一度は自民党幹部から謝罪の言葉が出たそうだが、いつか「謝るに及ばず」と強権的な態度へと開き直るのが怖いです。
堯 舜 ウィキペディアより
中国の堯瞬という伝説の皇帝の統治は、「民に政治を意識させず、日々平和な暮らしが続く政治」が理想の統治であるとされた。
日出而作 日の出と共に働きに出て、
日入而息 日の入と共に休みに帰る。
鑿井而飲 水を飲みたければ井戸を掘って飲み、
耕田而食 飯を食いたければ田畑を耕して食う。
帝力何有於我哉 帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。
心配事もなく、ぐっすり眠りさわやかに目覚める!
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