一昨日の続きです。
拙宅を出ると、川沿いは桜の木が続く。春は桜でピンクになる。
10分程歩いた。三階建ての床屋さんの屋根の上である。ハトが止っていた。瓦屋根ではないからか、滑ることなく居る。なんとなく違和感を覚える。鳥が止まる場所は「電線」であったり、「樹木の枝」であったり、「塀やネットの上」であったり、そして「屋根の頂上」と言うのがイメージにある。つまり、棒状またはそれに近い止まり易い場所を考えるが、屋根瓦の上と言うのは何となく危なっかしくみえる。爺が一応人間だからそう思うのだろうか。
変なところで感心している。
途中から路線バスに乗った。矢作川にかかる橋に最も近いバス停まで乗った。つまり昨日の続きを歩こうと言う魂胆だ。
橋を渡るとそこは碧南市内となる。伏見屋新田と言われる地区だ。矢作川の河口近くであるが故に、砂地の農地が広がる。江戸時代に開墾されたそうだ。碧南には大きく3つの開墾地がある。一つ目は「伏見屋新田」二つ目は「前浜新田」、三つ目は地元の人は「干拓」と呼び親しんでいる川口町である。二つの新田は江戸時代に開墾されたと聞くが、「干拓」は昭和になってからだ。爺の小学校(大浜小学校)には干拓から通う子がいた。彼らの出身地は長野県など県外からが大部分だったと思う。言葉としては間違っているが、一種の「移民」のような感覚であった。伊勢湾台風の時は甚大な被害を受けた。今はほとんど見られなくなったが、台風後に建てられた家は皆、一階がそのまま基礎のような建て方で、一階は水没してもよいような、輪中の中の家のようであった。
伏見屋新田 間もなく収穫される「にんじん」畑である。
羽根を広げると優に1mはある鷺(?)が、10mほど前を舞い降りてきた。貯木の上をスロウモーション以上にゆっくりと歩いている。餌を見つけたのだろう。
碧南も西尾もまだまだ「のどかな田舎」である。気持ちよく歩き、店まであと2キロと迫った時、携帯が鳴った。さわやかな気分が野暮な電話でかき消された。
ああ・・・今日も面倒な仕事が待っていた。
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