もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんから
きょうよりはもっともっと
あしたはできるようにするから
もうおねがいゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして
きのうぜんぜんできてなかったこと
これまでまいにちしてきたこと なおします
あそぶってあほみたいだから
ぜったいぜったいやらないから やくそくします
5歳の子がこの文章を書いたならば(早くからこの反省文が発表されたのには正直違和感も持たないわけでは有りません。警察・児童相談所の不手際からこんな結果になった可能性もあり、社会の目をそらそうとしたのでは・・・)、余りにも悲しい事件です。この事件が報道されるたびに、チャンネルを変えてしまう。見るに耐えない事件です。「こんなことになるなら、里子に引き取りたいね」と独り言のように言った。引き取れば無責任なことはできない。あと30年「必ず」生きれるなら・・・。
「父母恩重経」という儒教的な教えを説いたお経があります。でも、本来の仏陀が説いたお経では有りません。中国で創られたお経です。
爺が始めてこのお経を知ったのは大学生の時だったと思います。確か奈良薬師寺に行った時、高田好胤師の法話を聞いたが、漫談みたいで、この坊さんのどこが偉いんか・・・と少々反発的に聞いたような気がします。その時に、「父母恩重経」を知ったと思います。50年近く前のこと、記憶は曖昧です。
その後、木造の家賃9,000円のアパートとはいえ、爺婆の新婚生活がスタートし、子供が生まれ、人並みの生活をしていた頃だと思う。目的も無く本屋をぶらぶらとしていた時 高田好胤著 「母 父母恩重経を語る」 という本に、目が留まり買い求めました。
およそ45年近く前に買ったこの本、実は、まだ全部読み終えていません。わずかB5版全五章227ページの本です。第二章の仏説父母恩重経 の和文が載っています。子を得て初めて自分の両親もこんな苦労をしたんだなと思いつつも、余りにも衝撃的で、第二章の仏説父母恩重経のところで止まってしまい、最後まで読めなかったのです・・・。
その後は、気の向いたときに、虫食い的に少しずつ齧るように読みました。でも、まだ読み終えていません。
この5歳の子の、鬼以上の親が父母恩重経を読み、自分を育ててくれた父母の有難味を少しでも思ってくれたら・・・。きっと「鬼の目に涙」、少なくとも「慈悲の心を持った鬼」になることだろう。
およそ45年ホコリだらけ、シミだらけ・・・。今まで3~4回の引越しにも拘らず、何故かこの本は残っていた。引越しの際に古本屋に持っていったが、この本だけは値が付かなかった。でも、少なくとも爺の中には価値はあった・・・。
親は子のために、子はその子のために、いつまでも続く命 (それが無量寿というものでは・・・)
命のバトン(襷)が繋がらなかった時、人は大きな悲しみを覚える。そこに故意にバトンを繋げなかったりするとさらに大きな怒りが加わることになる。爺婆が死ぬ。親が死ぬ。子が死ぬ…その自然の順序が狂う事ほど、悲しいことは無い。また、順番に往生することが最も幸せなことだと高僧は言う。
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