今日、赤いポストに朝刊が入っていた。
たったそれだけなのだが、妙に感慨(かんがい)深い。
この家に来て、初めて新聞が配達されたためかもしれない。
そのいきさつはこうである。
・・・・・・・・・・・・・・・・
昨晩。帰宅したキャベツの目には、
ブルーダイヤという洗濯粉の小さい箱が3箱、
その下に何かの箱が1箱、
その横には「○売新聞、2ヶ月分購入済み」と乱雑な字で書かれた紙、
そのまた横には、野口英世が3枚+数百円
が、映(うつ)った。
・・・やれやれ、同居人が、新聞押し売りに来た人に3ヶ月分でも約束して、お金を支払ったのか・・・半額出してやりたいところだが、今はこっちはそんなお金ないぞ。
「おい、ヨシ~。一体どうしたんだ? オレ、今は払えないぞ・・・」
「ああ、キャベツ。それ、新聞屋さんからもらったんだ」
「押し売りに負けたのか? まあ、○売新聞なら医療ネタが多いからいいけどさ。役に立つだろうし」
「いや、それがその・・・」
「? どうした?」
「オレにも、何がなんだかさっぱりわからないんだ」
当の本人がそれでは、私はもっとわかりません。
「それじゃ、こっちもわからないよ。説明してくれ。この金はお前の?」
「いや。それ、新聞屋さんからもらったんだ」
「??? ・・・どういうこと?」
「だから、新聞屋さんが、その金を置いていったんだ」
もっとわからなくなりました。
「ちょっと待ってくれ。事を、順を追って話してくれないか」
「だからさ、新聞屋さんのおじさんが来て、最初断ろうと思って相手していたんだよ。
そしたら、その人、あせっているみたいで『買ってもらわないと困るんです!』とか『来月になれば、~(中略)~余裕がでるんだけど』とか、・・・とにかく余っている新聞をどうにか処分したいって感じだった」
「ふ~~ん」
「そのうち、そのおじさん、『来月分払うから!』って、お金を置いたんだ。それがその金。
あ、今月分は、タダだって」
・・・・・・・・・・・・・
「で、『あとの2ヶ月分は、また後で支払いに来るから!』って言ってて、もし自分が来れなかったら、これを見せろって・・・あ!そうそう」
と、同居人は玄関先から、ある紙を持ってきた。
さきほどの乱雑な字で書かれた「2か月分購入済み」。
「来れなかったら、これを見せてくれればいいって」
・・・・・・・あの、
新聞読む人が、新聞代を払うんじゃないのでしょうか。
「ノルマ達成するのに、あと数人だったのかな。こっちとしては、ありがたいところだが・・・3か月分となると1万円か・・・イタイな菓子でもあげなきゃなるまい」
「何がいいかな」
「1,500円程度のものがいいんじゃないか」
「それでいいのかな」
「多分、おじさんとしては、菓子折なんかよりももう3ヶ月契約してくれたほうが喜ぶと思うぞ。子供がいるならともかく」
「・・・大変なんだな」
「そうだろうな」
・・・・・・・・・・・・・・・
(確かにタダで購読できる魅力は捨てがたい。
が、そのおじさんの自腹を切らせてまで・・・というのは何とも。
1万円の大きさを感じるキャベツ達としては、結局あとで返そうと思う
大変なんでしょうね、新聞屋さんも。)
・・・・・・・・・・・・・・・
そうそう。
キャベツと同居人の二人兄弟だと勘違いしている人がここ最近多いですが(確かに今、二人暮らしですが)、
6人兄弟です。
【今日の通読箇所から】
ヘツロンの子として生まれた者は、エラフメエル、ラム、カレブ。
ラムはアミナダブを生み、アミナダブはユダ部族の長ナフションを生み、
ナフションはサルマを生み、サルマはボアズを生み、
ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。
エッサイは、長子エリアブ、次男アビナダブ、三男シムア、
四男ネタヌエル、五男ラダイ、
六男オツェム、七男ダビデを生んだ。
彼らの姉妹はツェルヤとアビガイルであり、ツェルヤの子は、アブシャイ、ヨアブ、アサエルの三人であった。
アビガイルはアマサを産んだが、アマサの父親はイシュマエル人エテルであった。
(旧約聖書・歴代誌Ⅰ 2:9-17)
歴代誌は、最初、とにかく人の名前名前のオンパレード。その中には、聖書の中に一回出てくるかどうかという人もいれば、数々のエピソードを思い起こせる人もいる。
たとえば、この中だったら、ボアズ。この人はルツと結婚した人だ。名を聞いただけで、ルツと結婚する前のときのことなど思い出す
ダビデにいたっては、可愛らしい少年時代の姿やペリシテ人・巨人ゴリアテを倒したときのことから始まり、様々な戦や、サウルの子ヨナタンとの友情や逃亡生活、きちがいの振りをして生きた時とその直後の詩篇、王となってからの苦悩やバテ・シェバとのこと、最後、神殿を築くためにその準備をしていたことなど・・・まだまだ覚えていないこと、知らないことはあるが、いろんな思いを馳せる。
ただ、知らない人の名前だと、眠たくもなるだろうし、興味もわかないかもしれない。
だが、これが、もし自分の知っている人だったり、身近な人だったり、大好きな人だったら・・・
恐らく、その人の名を聞いただけで、感じるものがあるだろう。
あんなバカなことやったな。
あいつ、こんなことしていたな。
そういえば、昔、あいつはこんな奴だった。
たとえ、この中に自分の見覚えのない名前ばかりだとしても、神様は一人一人をご存知だ―この名を見たとき、一体何を思い出されるのだろう?
たった1回。たった一度、名前が出ただけの人であっても、その時代、その人が生きていた。
その人の一生があった。
その生涯の苦悩も喜びも、神様は覚えていらっしゃる。
たったそれだけなのだが、妙に感慨(かんがい)深い。
この家に来て、初めて新聞が配達されたためかもしれない。
そのいきさつはこうである。
・・・・・・・・・・・・・・・・
昨晩。帰宅したキャベツの目には、
ブルーダイヤという洗濯粉の小さい箱が3箱、
その下に何かの箱が1箱、
その横には「○売新聞、2ヶ月分購入済み」と乱雑な字で書かれた紙、
そのまた横には、野口英世が3枚+数百円
が、映(うつ)った。
・・・やれやれ、同居人が、新聞押し売りに来た人に3ヶ月分でも約束して、お金を支払ったのか・・・半額出してやりたいところだが、今はこっちはそんなお金ないぞ。
「おい、ヨシ~。一体どうしたんだ? オレ、今は払えないぞ・・・」
「ああ、キャベツ。それ、新聞屋さんからもらったんだ」
「押し売りに負けたのか? まあ、○売新聞なら医療ネタが多いからいいけどさ。役に立つだろうし」
「いや、それがその・・・」
「? どうした?」
「オレにも、何がなんだかさっぱりわからないんだ」
当の本人がそれでは、私はもっとわかりません。
「それじゃ、こっちもわからないよ。説明してくれ。この金はお前の?」
「いや。それ、新聞屋さんからもらったんだ」
「??? ・・・どういうこと?」
「だから、新聞屋さんが、その金を置いていったんだ」
もっとわからなくなりました。
「ちょっと待ってくれ。事を、順を追って話してくれないか」
「だからさ、新聞屋さんのおじさんが来て、最初断ろうと思って相手していたんだよ。
そしたら、その人、あせっているみたいで『買ってもらわないと困るんです!』とか『来月になれば、~(中略)~余裕がでるんだけど』とか、・・・とにかく余っている新聞をどうにか処分したいって感じだった」
「ふ~~ん」
「そのうち、そのおじさん、『来月分払うから!』って、お金を置いたんだ。それがその金。
あ、今月分は、タダだって」
・・・・・・・・・・・・・
「で、『あとの2ヶ月分は、また後で支払いに来るから!』って言ってて、もし自分が来れなかったら、これを見せろって・・・あ!そうそう」
と、同居人は玄関先から、ある紙を持ってきた。
さきほどの乱雑な字で書かれた「2か月分購入済み」。
「来れなかったら、これを見せてくれればいいって」
・・・・・・・あの、
新聞読む人が、新聞代を払うんじゃないのでしょうか。
「ノルマ達成するのに、あと数人だったのかな。こっちとしては、ありがたいところだが・・・3か月分となると1万円か・・・イタイな菓子でもあげなきゃなるまい」
「何がいいかな」
「1,500円程度のものがいいんじゃないか」
「それでいいのかな」
「多分、おじさんとしては、菓子折なんかよりももう3ヶ月契約してくれたほうが喜ぶと思うぞ。子供がいるならともかく」
「・・・大変なんだな」
「そうだろうな」
・・・・・・・・・・・・・・・
(確かにタダで購読できる魅力は捨てがたい。
が、そのおじさんの自腹を切らせてまで・・・というのは何とも。
1万円の大きさを感じるキャベツ達としては、結局あとで返そうと思う
大変なんでしょうね、新聞屋さんも。)
・・・・・・・・・・・・・・・
そうそう。
キャベツと同居人の二人兄弟だと勘違いしている人がここ最近多いですが(確かに今、二人暮らしですが)、
6人兄弟です。
【今日の通読箇所から】
ヘツロンの子として生まれた者は、エラフメエル、ラム、カレブ。
ラムはアミナダブを生み、アミナダブはユダ部族の長ナフションを生み、
ナフションはサルマを生み、サルマはボアズを生み、
ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。
エッサイは、長子エリアブ、次男アビナダブ、三男シムア、
四男ネタヌエル、五男ラダイ、
六男オツェム、七男ダビデを生んだ。
彼らの姉妹はツェルヤとアビガイルであり、ツェルヤの子は、アブシャイ、ヨアブ、アサエルの三人であった。
アビガイルはアマサを産んだが、アマサの父親はイシュマエル人エテルであった。
(旧約聖書・歴代誌Ⅰ 2:9-17)
歴代誌は、最初、とにかく人の名前名前のオンパレード。その中には、聖書の中に一回出てくるかどうかという人もいれば、数々のエピソードを思い起こせる人もいる。
たとえば、この中だったら、ボアズ。この人はルツと結婚した人だ。名を聞いただけで、ルツと結婚する前のときのことなど思い出す
ダビデにいたっては、可愛らしい少年時代の姿やペリシテ人・巨人ゴリアテを倒したときのことから始まり、様々な戦や、サウルの子ヨナタンとの友情や逃亡生活、きちがいの振りをして生きた時とその直後の詩篇、王となってからの苦悩やバテ・シェバとのこと、最後、神殿を築くためにその準備をしていたことなど・・・まだまだ覚えていないこと、知らないことはあるが、いろんな思いを馳せる。
ただ、知らない人の名前だと、眠たくもなるだろうし、興味もわかないかもしれない。
だが、これが、もし自分の知っている人だったり、身近な人だったり、大好きな人だったら・・・
恐らく、その人の名を聞いただけで、感じるものがあるだろう。
あんなバカなことやったな。
あいつ、こんなことしていたな。
そういえば、昔、あいつはこんな奴だった。
たとえ、この中に自分の見覚えのない名前ばかりだとしても、神様は一人一人をご存知だ―この名を見たとき、一体何を思い出されるのだろう?
たった1回。たった一度、名前が出ただけの人であっても、その時代、その人が生きていた。
その人の一生があった。
その生涯の苦悩も喜びも、神様は覚えていらっしゃる。