『主(しゅ)よ。深い淵(ふち)から、私はあなたを呼び求めます。
主よ。私の声を聞いてください。
私の願いの声に耳を傾けてください。
主(しゅ)よ。あなたがもし、不義(ふぎ)に目を留められるなら、
主よ、だれが御前(みまえ)に立ちえましょう。
しかし、あなたが赦(ゆる)してくださるからこそ
あなたは人に恐れられます。
(旧約聖書・詩篇130編1節-4節)
イザヤ書で、主はこう呼ばれていた。
『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
その栄光は全地に満(み)つ』
と。
そう讃(たた)えていたセラフィム<天使>たちは、己を恥じ、翼で顔を覆い、脚を覆っていたという。
一方で、今、ここにもだえ苦しむ罪人(つみびと)がいる。
穢れたモノ。
罪に穢れた者。
神の御前(みまえ)に、罪人(つみびと)がいるのは、
さながら、王の前に、異臭を放つ浮浪者がいるようなものだ。
深い淵とはなんぞや、とか、
御前(みまえ)に立つということがどういうことか、
なぜ、主が赦してくださるのか、
ルンペンもどきが叫んでよくまあ邪魔だとしょっぴかれないな、とか
いちいち言わないけれど、
最後の一文について、ちょいとこだわるとするならば、
「恐れ」より、
「畏(おそ)れ」が
より近い気がする。
(ちなみに、・・・実に、「許(ゆる)してくださる」ではなくて「赦(ゆる)してくださる」、ですね
)
主よ。私の声を聞いてください。
私の願いの声に耳を傾けてください。
主(しゅ)よ。あなたがもし、不義(ふぎ)に目を留められるなら、
主よ、だれが御前(みまえ)に立ちえましょう。
しかし、あなたが赦(ゆる)してくださるからこそ
あなたは人に恐れられます。
(旧約聖書・詩篇130編1節-4節)
イザヤ書で、主はこう呼ばれていた。
『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
その栄光は全地に満(み)つ』
と。
そう讃(たた)えていたセラフィム<天使>たちは、己を恥じ、翼で顔を覆い、脚を覆っていたという。
一方で、今、ここにもだえ苦しむ罪人(つみびと)がいる。
穢れたモノ。
罪に穢れた者。
神の御前(みまえ)に、罪人(つみびと)がいるのは、
さながら、王の前に、異臭を放つ浮浪者がいるようなものだ。
深い淵とはなんぞや、とか、
御前(みまえ)に立つということがどういうことか、
なぜ、主が赦してくださるのか、
ルンペンもどきが叫んでよくまあ邪魔だとしょっぴかれないな、とか
いちいち言わないけれど、
最後の一文について、ちょいとこだわるとするならば、
「恐れ」より、
「畏(おそ)れ」が
より近い気がする。
(ちなみに、・・・実に、「許(ゆる)してくださる」ではなくて「赦(ゆる)してくださる」、ですね
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