さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

復活

2009-04-12 22:12:55 | Sunday 聖書
(携帯からの投稿のため、編集途中デス…)





   『もし キリスト 甦(よみがえ)へり給(たま)はざりしならば、
    我らの宣教も空(むな)しく、
    汝(なんぢ)らの信仰もまた 空(むな)しからん』


     (新約聖書・コリント人への前の書15:14、文語訳)

 つまり、こういうこと。
  …キリストが復活しなかったのなら、宣教もそれを信じるのも意味ないじゃないか(゜。゜)


  そして、このあとにこう自問が続く。

 …それどころか、私たちは「神様がこうなさったのだ!」と嘘をついたことになりますよ(>_<)。

 …結局、ただ単に、(復活も罪のあがないもなく)キリストに希望を置いているだけなら、一番哀れな者なんですよ、私たちは。







        さようですね。

















 だが、キリストは甦ったんですよ!!

(「蘇った」ではありません、あしからず。)

 もちろん、最初は…仲間の女たちが口々に言っていたが(ルカ24:1-11)…そんなこと信じられなかったんですがね(-_-;)。


 ありえないと思っていても、この目で見て、触れて、この耳で聞いたこと(ヨハネ20:25-29)を認めざるを得ないじゃないですか。
話さないわけにはいかないじゃありませんか。(使徒4:20)





そうして、

『皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。…(中略)…この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名(みな)のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。』(使徒4:10-12)


と、約2000年前からこのかた、今日も言われている。




 ちなみに、私の周りや私自身は、殊更特別視しておらず(毎日曜日が大事、という意味などから)、卵もなんのそのですが、

実は「復活祭」は春の季語にもなっていました。

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