

「で、曲は決めてあるんですか?」
と、明日の相方さんから聞かれて、はたっと気づいたキャベツ。
そうかそうか、こちらで準備しないといけないんだった。
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帰宅して、新しいほうの「子どもさんびか」(いのちのことば社)を開いてみる。
「どうしてかわかるかな」
「まいごのひつじ」
「12でしのなまえ」
「じゅうじか」
「せいしょ」
「せいしょ めいもくずくし」(←これを歌えたら、聖書66巻1)全部を順に言える♪)
「ザアカイ」
「こどものともは」
「ハレル ハレル」
「まもなくかなたの」
「いのちのみずとパン」
「おほしがひかるぴかぴか」
「ヨハネ1の12」
「ふくいんのきしゃ」
「わたしはちいさいひ」
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よしよし。
うん。
私でも、歌える。

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それにしても、おかしいな?
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なんで、「主(しゅ) われを愛(あい)す」

と、今更ながら、気づいた。
ホント、いまさらながら。
古い青い子ども讃美歌には、載っていたから、こっちにも載っているものだとばかり思っていましたf(^^;)
この古い古い、日本でも最古の讃美歌「主 われを愛す“Jesus Loves Me”」(←クリックするとYou Tubeで聴けます…画像は気にせんといて下さい

が、無いなんて!!!

・・・というわけで、少々歌詞をば残しておこ。
…主(しゅ) われを愛す
主(しゅ)は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
わが主(しゅ)イェス、わが主(しゅ)イェス、
わが主(しゅ)イェス、我を愛す。…
つまり、こういう歌。


子ども時代、いわゆる日曜学校なるものとあまり縁の無かった私でも、知っている有名な曲である。

『神の愛 われらにあらはれたり。
神は その生み給(たま)へる獨子(ひとりご)を 世に遣(つかは)し、
我等(われら)をして 彼によりて 生命(いのち)を得(え)しめ給(たま)ふに因(よ)る。
愛といふは、
我ら神を愛せしにあらず、神 われらを愛し、
その子を遣して 我らの罪のために 宥(なだめ)の供物(そなえもの)と なし給(たま)ひし 是(これ)なり。』
(新約聖書・ヨハネの手紙第一 4章9-10節、文語訳)

【注】
1)聖書66巻: