(つれづれなるままに。)
先日、あるママさん達が、お子さんの話で盛り上がっていた。
今はちょうど、卒園の頃。
スーツの話や子どもの話、仕事と育児の両立の難しさ…。
そんなとき、ちゃきちゃきしっかりしている、あるママさんの話に、驚いた。
「うちの子、春から小学校だというのに、夜、絵本を読まないと泣くし、まだまだ甘えたい頃なのよね。一人でお留守番なんて、ムリ」
それを聞いたとき、キャベツは心底驚いた。
(私は、親と仲は悪くはないが、小学校に上がる頃、「絵本を読んで♪」などと親に言った記憶が・・・ないぞ(゜_゜ )
(どんな1年生だったっけ?)
*******************
・・・・・・・・(゜_゜
あの時は、キャベツ兄弟Kが生まれた頃だった。
キャベツは既に鍵っ子で、その日は、キャベツひとりだけで家で寝泊まりした。
いや、その前に、5歳のときに、あることを決意していた。
それは、子ども用の マリー・キュリーの伝記を読んで、非常に衝撃を受けたときだった。
5歳のキャベツは、大真面目にそんなことを考え、
―「トンビが鷹を産めるのかね?」と、つっこむ人もいなかった―
7歳のとき、母親に、「Kは 私が育てる!」宣言をした。
(その際、「あれ? その前にYを育てるって言っていなかったっけ?」と聞き返されたことは、脇に置く)
**************
だが、「英才教育」― 基(もとい)、「子育て」― というものを、7歳のキャベツは甘く見ていた。
ミルクを飲ませる。
おむつを交換する。
お布団を整える。
それは、これまでと一緒だ。
― 「英才教育」をするには・・・?
先ず、文字や勉強も知らなければならない。それについては、「私が教わっていることを教えればいい」。
そんなあまっちょろいことを考えていた。
まだ、「成長発達段階」さえ知らなかった。
(そもそも、「英才教育」の定義はなんぞや?と、今の私なら、つっこむ)
あのとき、「たまひよ」などの育児雑誌がそばにあったら、また違ったかもしれない。
模索しつつ、ようやく小学校2年生のとき、何かに応募して、うすっぺらい育児書を頂いた。
*****************
その本には、その当時としては珍しく、
「子どもは、叱るより、ほめて伸ばすほうがいい」
と書かれており、目からうろこだった。
(そうか!! 「は~~~? なに? 95点? なんで、100点じゃないんだ!」「は? 100点? それが何だって言うんだ?」って、あんな風に ガミガミ叱るより、子どもは、誉めた方が伸びるのか!!)
だが、ここで一つ、問題があった。
幼いキャベツには、「誉める」ことと「ねこっ可愛がりする」ことの区別がついていなかった、ということだ。
*****************
はっきり言って、Kはそれまでの子どもたちの中では最も手がかかる子だった。
他の子たちは、元気いっぱいだったのに、Kは、ある晩だけで3回も嘔吐して、そのたびに、キャベツはシーツを洗った。
(とはいえ、キャベツ自身が、しまいには、Kを自分の布団から追い出した酷いヤツであったことを、告白する)
文字を教えようとしても、なっかなか覚えない。
(結局、キャベツ自身が「私が3歳の時には、これくらい覚えてたのに…」などと癇癪を起して、文字を教えることを放棄)
だが、可愛かった。
親がガミガミしても、可愛がった。
*****************
そして、・・・キャベツが小学校6年生には、手が付けられない程、Kはわがまま坊主になっていた。
キャベツは、母親から金切り声で言われた。
「お前が育てたから、Kはあんなわがままになったんだ!!」
・・・おかげさまで、小学校を終える頃には、「『子育て』って大変なんだな」と、世の中の親御さんの苦労を少しばかり想えるようになりました。・・・
先日、あるママさん達が、お子さんの話で盛り上がっていた。
今はちょうど、卒園の頃。
スーツの話や子どもの話、仕事と育児の両立の難しさ…。
そんなとき、ちゃきちゃきしっかりしている、あるママさんの話に、驚いた。
「うちの子、春から小学校だというのに、夜、絵本を読まないと泣くし、まだまだ甘えたい頃なのよね。一人でお留守番なんて、ムリ」
それを聞いたとき、キャベツは心底驚いた。
(私は、親と仲は悪くはないが、小学校に上がる頃、「絵本を読んで♪」などと親に言った記憶が・・・ないぞ(゜_゜ )
(どんな1年生だったっけ?)
*******************
・・・・・・・・(゜_゜
あの時は、キャベツ兄弟Kが生まれた頃だった。
キャベツは既に鍵っ子で、その日は、キャベツひとりだけで家で寝泊まりした。
いや、その前に、5歳のときに、あることを決意していた。
それは、子ども用の マリー・キュリーの伝記を読んで、非常に衝撃を受けたときだった。
「・・・なんてことだ。
マリー・キュリーは、3歳のときに、難しい本をすらすら読んでいたなんて。
私は、もう5歳だというのに、まだこんな簡単な本しか読めてない。
あぁ、、、私は、凡才だ。
・・・・・・
仕方ない。
弟を英才教育しよう。」
マリー・キュリーは、3歳のときに、難しい本をすらすら読んでいたなんて。
私は、もう5歳だというのに、まだこんな簡単な本しか読めてない。
あぁ、、、私は、凡才だ。
・・・・・・
仕方ない。
弟を英才教育しよう。」
5歳のキャベツは、大真面目にそんなことを考え、
―「トンビが鷹を産めるのかね?」と、つっこむ人もいなかった―
7歳のとき、母親に、「Kは 私が育てる!」宣言をした。
(その際、「あれ? その前にYを育てるって言っていなかったっけ?」と聞き返されたことは、脇に置く)
**************
だが、「英才教育」― 基(もとい)、「子育て」― というものを、7歳のキャベツは甘く見ていた。
ミルクを飲ませる。
おむつを交換する。
お布団を整える。
それは、これまでと一緒だ。
― 「英才教育」をするには・・・?
先ず、文字や勉強も知らなければならない。それについては、「私が教わっていることを教えればいい」。
そんなあまっちょろいことを考えていた。
まだ、「成長発達段階」さえ知らなかった。
(そもそも、「英才教育」の定義はなんぞや?と、今の私なら、つっこむ)
あのとき、「たまひよ」などの育児雑誌がそばにあったら、また違ったかもしれない。
模索しつつ、ようやく小学校2年生のとき、何かに応募して、うすっぺらい育児書を頂いた。
*****************
その本には、その当時としては珍しく、
「子どもは、叱るより、ほめて伸ばすほうがいい」
と書かれており、目からうろこだった。
(そうか!! 「は~~~? なに? 95点? なんで、100点じゃないんだ!」「は? 100点? それが何だって言うんだ?」って、あんな風に ガミガミ叱るより、子どもは、誉めた方が伸びるのか!!)
だが、ここで一つ、問題があった。
幼いキャベツには、「誉める」ことと「ねこっ可愛がりする」ことの区別がついていなかった、ということだ。
*****************
はっきり言って、Kはそれまでの子どもたちの中では最も手がかかる子だった。
他の子たちは、元気いっぱいだったのに、Kは、ある晩だけで3回も嘔吐して、そのたびに、キャベツはシーツを洗った。
(とはいえ、キャベツ自身が、しまいには、Kを自分の布団から追い出した酷いヤツであったことを、告白する)
文字を教えようとしても、なっかなか覚えない。
(結局、キャベツ自身が「私が3歳の時には、これくらい覚えてたのに…」などと癇癪を起して、文字を教えることを放棄)
だが、可愛かった。
親がガミガミしても、可愛がった。
*****************
そして、・・・キャベツが小学校6年生には、手が付けられない程、Kはわがまま坊主になっていた。
キャベツは、母親から金切り声で言われた。
「お前が育てたから、Kはあんなわがままになったんだ!!」
(ああ、英才教育はいずこに・・・?)
・・・おかげさまで、小学校を終える頃には、「『子育て』って大変なんだな」と、世の中の親御さんの苦労を少しばかり想えるようになりました。・・・
(P.S- でも、あの子、結局、それなりに良い子に育った、よね?)