さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

中傷に対する訓練 1)

2016-03-03 04:34:56 | Sunday 聖書

 
“For whatever things were written

before were written for our learning,

that we through the patience and comfort of the Scriptures

might have hope. ”

(Romans 15:4, NKJV)






 先日、友人らに会う道すがら、あるところで、興味深い学びを聞いた。

 それは「中傷に対する訓練」というテーマ。

 しばしば、「××してはならない」という話は聞くものの、逆に、そういったことに

どう対処するかが主題となるというのは 面白い切り口だ、と感じた。

 それは、確か、このようなことから始まった。



   ************

(一応許可取得済み)

 今回は、「中傷に対する訓練」というテーマですが、

 集会(教会)の中でそういうことはないとしても、私たちは、社会生活において、中傷を受ける、ことはあるのではないでしょうか。



 もちろん、一言、「中傷」と言っても、「まったく、いわれのないもの」もあれば、

「よくよく考えてみると、そう言われても仕方のないもの」もある。どちらなのか、識別する必要がある。


 中傷を受けると、怒りを覚えるものだが、

 後者の場合、神様が、未信者を通しても教えてくれるのであって、

 教えられたら、悔い改める必要がある。



 前者の場合は?

 この場合であっても、背後に神の御手(みて)があることを覚え、へりくだる必要がある。


 イスラエルの2番目の王ダビデを通して、これについて考えてみましょう。


 → (続く)




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中傷に対する訓練 2)

2016-03-03 04:33:39 | Sunday 聖書
 『シムイは、のろってこう言った。

  「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。

 主(しゅ)が サウルの家のすべての血を おまえに報いたのだ。」』

(旧約聖書・第2サムエル 16:7-8)





(続き)



サムエル記第2 16:5-14


 ダビデは、息子アブシャロムに反逆され、首都エルサレムから逃れてくるときのことだった。


 シムイという男が、疲れ切っているダビデ達をのろい続けた。


 ダビデの前の王サウルと同じベニヤミン族のシムイは、

 ダビデを憎んでいたが、これは言われのない中傷だった。


 彼の言う通り、ダビデは、サウルを殺して、王位を奪ったのだろうか?














 (いな)。











 だが、シムイはそう思い込み、呪い続けた。


 やってもいないことを言われたら、人は怒りを覚えるもの。

 そこで、ダビデの家来が、シムイの首をはねさせてください、とダビデに願うが、

 ダビデは、こう答えた。


 → (続く)


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