『王は言った。
「ツェルヤの子よ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。
・・・ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。
主(しゅ)が彼に命じられたのだから。
たぶん、主は私の心をご覧になり、
主は、きょうの彼ののろいに代えて、
私にしあわせを報(むく)いてくださるだろう。』
(旧約聖書・サムエル記第二 16:10-12)
「ツェルヤの子よ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。
・・・ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。
主(しゅ)が彼に命じられたのだから。
たぶん、主は私の心をご覧になり、
主は、きょうの彼ののろいに代えて、
私にしあわせを報(むく)いてくださるだろう。』
(旧約聖書・サムエル記第二 16:10-12)
(中傷に対する訓練 1))
(中傷に対する訓練 2))
(疲れ切って余裕のないとき、かつ、)いわれのないことを中傷されるとき、
人は怒りを覚えるものであり、ダビデの家来も、気色(けしき)ばんだ。
-だが、心にわだかまりがあるのは、クリスチャン生活を損(そこ)なうものだ-
ダビデは、このとき、「そうのろっているのにも、神の御手(みて)がある」と考えた。
シムイに対して 激(げき)するのではなく、
かえって、主の前にへりくだった。
= ダビデは、中傷を受けたときの対処を学んでいた。
では、いつ、そんな訓練をされていたのか?
昔のダビデは、こうではなかったが。
→ (続く)