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(写真は、「自由学園明日館」の昔の生徒たちが描いた出エジプト記の壁画。文字はヘブル語とのこと。戦時中は隠されて、最近?の復旧の際、発見されたらしい。昨年11月頃撮影。)
『私たちが滅(ほろ)びうせなかったのは、主(しゅ)の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です。」と
私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。』
(旧約聖書・哀歌3章22-24節)
私たちクリスチャンが、他の方々と何か違うとしたら、それは、ただ主(神様のこと)が救ってくださった、ということしかない。
それは、主の恵みによるのみ。
「私の受ける分」…(哀歌の時代背景はともかく、これを説明するのに、イスラエルとその相続地、できたらレビ人まで、簡潔明瞭に説明できる人がいたら、それ、教えてくださいf(^_^;))
将来頂ける約束のもの、または希望と言っても、たぶん、間違いではないと思う。
日々、主がどんなに恵んでくださったかを味わいつつ、将来、未だ見ぬものを楽しみにしつつ。ときには-いや、しばしば-嘆きつつも、私たちの全能者なる御方の憐れみは、尽きないことを感じる。
私をさえ憐れんでくださったのだ。
なおのこと、私の愛する人々が-大切な友人たちが、家族が、この世界に生きている人々が滅びないように、恵みが満ち溢れるようにと願わずにはいられない。
マラナ・タ。
『私たちが滅(ほろ)びうせなかったのは、主(しゅ)の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です。」と
私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。』
(旧約聖書・哀歌3章22-24節)
私たちクリスチャンが、他の方々と何か違うとしたら、それは、ただ主(神様のこと)が救ってくださった、ということしかない。
それは、主の恵みによるのみ。
「私の受ける分」…(哀歌の時代背景はともかく、これを説明するのに、イスラエルとその相続地、できたらレビ人まで、簡潔明瞭に説明できる人がいたら、それ、教えてくださいf(^_^;))
将来頂ける約束のもの、または希望と言っても、たぶん、間違いではないと思う。
日々、主がどんなに恵んでくださったかを味わいつつ、将来、未だ見ぬものを楽しみにしつつ。ときには-いや、しばしば-嘆きつつも、私たちの全能者なる御方の憐れみは、尽きないことを感じる。
私をさえ憐れんでくださったのだ。
なおのこと、私の愛する人々が-大切な友人たちが、家族が、この世界に生きている人々が滅びないように、恵みが満ち溢れるようにと願わずにはいられない。
マラナ・タ。