『…あなたの隣人(となりびと)をあなた自身のように愛しなさい。』(レビ記19章18節)
イエス・キリストがいた当時、「聖書」と言えば、今で言う旧約聖書のみだった。
毎週土曜日、会堂(シナゴ―ク)にて、聖書の朗読がなされた。
イスラエル(≒ユダヤ)の人々は皆、それを聞いて知っていた。
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そして、ある人がイエス・キリストに尋ねた。(どういう意図か、この後のシュールなさま等は割愛)
「では、私の隣人とは、だれのことですか?」
そのときに話されたのが、今日、『良きサマリヤ人のたとえ』と呼ばれる有名な話である。
・・・ちなみに、前もって言っておくと、
■この当時、ユダヤ人とサマリヤ人は、犬猿(けんえん)の仲。
道ですれ違ったとしても、決して話をしなかった、とさえ言われている。
■祭司、レビ人、というのは、神様に仕える良い人たち(のハズ)
です。
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・・・「ある人が、エルサレム(イスラエルの首都)からエリコへ下る道で、強盗に襲われた。
強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、
半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司(さいし)がひとり、その道を下って来たが、
彼を見ると、
反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、その場所に来て
彼を見ると、
反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、
彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、
ほうたいをし、
自分の家畜に乗せて宿屋(やどや)に連れて行き、
介抱(かいほう)してやった。
(レンブラント「良きサマリヤ人」(エッチング)1633年)
次の日、彼はデナリ二つ(=当時の二日分の賃金)を取り出し、
宿屋の主人に渡して言った。
『介抱してあげてください。
もっと費用がかかったら私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか?」
(新約聖書・ルカの福音書 10章30-36節)