さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

祈りと 夢 2)

2013-05-08 07:04:42 | Sunday 集会・生活
(どうかご寛恕くださいますように。各自吟味でお願いいたします)

「祈りと夢の話」 1)
「祈りと夢の話」 2)



 3か月前、私は、一つの“夢”を“聞いた”。
 それは、朝方だった。



        **************

「偽りの祈りはやめろ。

 偽りの祈りはやめろ。

 口先だけの祈りはやめろ」


突然、大きな声がガンガンと頭の中を打ち付けるように響いてきた。
 だが、『偽りの祈り』とは聞き捨てならない。私は、問うた。

「どうして、『偽りの祈り』と言うのか? 皆、そう思っているではありませんか?」

すると、こう答えがあった。

「人々は、『求道者が与えられますように』と祈っているが、実の所、『そんなこと、起こりっこない。主は聞いて下さらないのだ』と思っている。」

「伝えろ」

激しい、強い口調に、私は気圧された。

「確かに、人々は願っている。だが、心の奥底

(-私キャベツは、その部分を「潜在意識」というべきなのか「無意識下の、心の奥底の底」とでも言うべきなのか、わからない-)

 で、それを打ち消している。

 自分自身で、自分の祈りを打ち消している



「何をもって、それがわかるというのですか?」


「もし、本当に、心の底の、無意識下からもそう願っていたら、すでに行動が変わってきているハズだ。

 10人であろうと、100人単位であろうと、求道者が来たときに、どう、誰が、対応するのか、

 福音集会の内容はこれで良いのか。

 まずいのがたとえ長老であろうと、それはきちんと、フィードバックするだろう。

 ・・・いつまで、空に拳闘しているのか。



「あなたは、あのとき(心の底から感情がほとばしる程、願ったとき)、何が起こったか、覚えているハズだ。あなたは、『いちじく桑の木』から学んだだろう」

(私の前に、ある光景が甦った。)


「幼子でさえ、あなたのことばが心と一致しているのか、判別できる。

 年配の求道者でさえ、『その福音や話が、ただ知識をひけらかしているのか、それとも、心からのものか』、判別できる。


 いわんや、人の心のすべてをご覧になる主の前で、あなたがたが、実は願っていないことを祈っていたら、それは明らかではないだろうか。」



「心からの祈りに変えろ」




 夢から覚めた時、私は慟哭した。
 薄れかけていく記憶をつなぎとめようと、メモをしたが、それがすべてではなかったと感じる。
 これが、一体、どこまでの範囲に対してなのか、私にはわからない。
 これが、主からのものなのか、それとも、私の意識の中にあったものなのかはわからないー後半は、私の中の知識・理解できることから持ち出されているー。

 だが、あの激しい震えと恐怖が消えた今、抜け殻のような程度だが、その痕跡を残す。
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