予定がブッキングするのはごく当たり前。その都度、人が、何かを選ぶのも当たり前。取り立てて言う程のことでもない。
だが、どうして、こうすっきりしないのだろう?
キャベツは、実は、夏休みの使い方で悩んでいた。
(こんなに気が晴れないのは、何故なんだ!?
)
【ちょっと説明:前職場では、夏休みはなく、一年間のうち、どこかで、連続3日間休みが取れたら御の字だった。
現職場では、一年間のうち、夏休みは、夏休み3日+週休2日+有休2日(+週休2日?)最大9日間もまとまった休みが取れる、唯一の、貴重な休暇である。
むろん、大学病院では2週間取ったりしていると聞くし、フランスなど“バカンス”がある国々には笑われる程度だが…】
-いつ (この貴重な) 夏休みを取るのか。
→ 考えて、祈った結果、ある日にした。(ここでも、選択に悩んだのは言わずもがな。)
-その夏休みを、どう用いるか。
→ 優先順位? 軸? どれを選んでも○のような、△のような。
(とはいえ、私自身、優先順位を考えるのは、まだまだ苦手課題だ
)
→ あちらを立てるとこちらが立たず。
(懸念材料、考慮に入れつつ。)
→ 「希望」と「導き」とがブッキングするのか?
(それであるなら、もっとわかりやすい。だが、そういう類ではない。
例えば、今回、取り立てて、ハワイに行きたいわけでも、他の人のように新婚旅行にキリマンジャロを登りたいわけでも、アメリカやタイその他に行きたいわけでも、ない。)
→ 祈った結果、
「どれでも良い(悪くない)。あなたが好きなものを選びなさい」と言われたら、いったいどうしたらいいんだ?
(神さまもお忙しいお方だが、人が「夏休み、どう用いましょう?」なんてことで聞くんじゃない!…というわけではなく。
「どれにすべきか」と導きを願ったときに、「あなたの自由だ」と答えられると、…正直、悩みます
)
→ 悩んだ挙句、「やってられるか~~~~!!」とちゃぶ台返しをしたいような、全てを放り出したいような気分にもなるが、そうもいかず。
(もちろん、「ちゃぶ台返し」は・・・ホント、「あ~~~~あ」っていう気分になるので、
そんなマネはできないが。あの、壊れた茶碗、畳に流れる味噌汁、ちらばったほかほかのご飯の哀しさよ
)
そうして、悶々と考えた挙句、また、様々「みた」挙句、どう選択すればぶれないのか、少し気づかされた(示された)ことがあった。
「死ぬとき、どれを選択していたら、悔(く)いがないか?」
という視点も持てば、いいのだと。(今更ながら)
聖書は、「明日を誇るな」(cf. 箴言27:1,ヤコブ4:13-15)と言う。
頭では、わかっている。
理性では、知っている。
だが、ほとんど常に、自分は、感覚的にはそれを忘れている。
仕事のおかげで、「“明日”があるわけではない」ということを、しばしば実感させられるが、
まだ、「時間がある」という甘さが、心のどこかにしっかりと根付いている。
だが、もしも、「今日が最後だ」と知っていたら、
もう少し、一日を大事にし、
目の前の相手も大事にするだろう。
神が与えてくださった、「時間」を、「自由」を、感謝しつつ、
もう少し、賢く用いようとするだろう。
だが、どうして、こうすっきりしないのだろう?
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(こんなに気が晴れないのは、何故なんだ!?
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【ちょっと説明:前職場では、夏休みはなく、一年間のうち、どこかで、連続3日間休みが取れたら御の字だった。
現職場では、一年間のうち、夏休みは、夏休み3日+週休2日+有休2日(+週休2日?)最大9日間もまとまった休みが取れる、唯一の、貴重な休暇である。
むろん、大学病院では2週間取ったりしていると聞くし、フランスなど“バカンス”がある国々には笑われる程度だが…】
-いつ (この貴重な) 夏休みを取るのか。
→ 考えて、祈った結果、ある日にした。(ここでも、選択に悩んだのは言わずもがな。)
-その夏休みを、どう用いるか。
→ 優先順位? 軸? どれを選んでも○のような、△のような。
(とはいえ、私自身、優先順位を考えるのは、まだまだ苦手課題だ
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→ あちらを立てるとこちらが立たず。
(懸念材料、考慮に入れつつ。)
→ 「希望」と「導き」とがブッキングするのか?
(それであるなら、もっとわかりやすい。だが、そういう類ではない。
例えば、今回、取り立てて、ハワイに行きたいわけでも、他の人のように新婚旅行にキリマンジャロを登りたいわけでも、アメリカやタイその他に行きたいわけでも、ない。)
→ 祈った結果、
「どれでも良い(悪くない)。あなたが好きなものを選びなさい」と言われたら、いったいどうしたらいいんだ?
(神さまもお忙しいお方だが、人が「夏休み、どう用いましょう?」なんてことで聞くんじゃない!…というわけではなく。
「どれにすべきか」と導きを願ったときに、「あなたの自由だ」と答えられると、…正直、悩みます
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→ 悩んだ挙句、「やってられるか~~~~!!」とちゃぶ台返しをしたいような、全てを放り出したいような気分にもなるが、そうもいかず。
(もちろん、「ちゃぶ台返し」は・・・ホント、「あ~~~~あ」っていう気分になるので、
そんなマネはできないが。あの、壊れた茶碗、畳に流れる味噌汁、ちらばったほかほかのご飯の哀しさよ
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そうして、悶々と考えた挙句、また、様々「みた」挙句、どう選択すればぶれないのか、少し気づかされた(示された)ことがあった。
「死ぬとき、どれを選択していたら、悔(く)いがないか?」
という視点も持てば、いいのだと。(今更ながら)
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頭では、わかっている。
理性では、知っている。
だが、ほとんど常に、自分は、感覚的にはそれを忘れている。
仕事のおかげで、「“明日”があるわけではない」ということを、しばしば実感させられるが、
まだ、「時間がある」という甘さが、心のどこかにしっかりと根付いている。
だが、もしも、「今日が最後だ」と知っていたら、
もう少し、一日を大事にし、
目の前の相手も大事にするだろう。
神が与えてくださった、「時間」を、「自由」を、感謝しつつ、
もう少し、賢く用いようとするだろう。
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・・・さて、夏休み、どうしよっか?