(こちらは、ただの夢です。実在の人物とは関係がありません)
今朝、夢をみた。
あるご夫婦が、クリスチャンとして皆と交わりを回復したいと思い、宴会を開いた。
そのご夫婦のお家で、それは開かれた。
**************
一生懸命、お料理を作ったり、(ごちゃごちゃしていた)お家を片づけたり、準備したんだな――――。
ウーロン茶を飲みながら、キャベツはその奥さんの労苦を思いつつ、目の前の美味しそうな食べ物を見ていた。ビュッフェ形式だった。
すると、小学校か中学校の女の子が、不満そうな哀しそうな顔をして、キャベツの前をつっきって、次の部屋に行き、ソファに座りこむと、ジュースを飲み始めた。
「どうしたんだい?」とキャベツが問うと、その子は、目線を前にしたまま、コップを口元に傾けながら、言った。
「ゆ・・・り・・・さんが、『お酒を出すなんて』って、怒ってた・・・」
**************
ああ、なるほど。
世の中の人にとっては、「めでたいときは、お酒」が当たり前で、祝いの席で、ビールやワインがないことはとても失礼なことなのだが、
英語圏のクリスチャン由来の文化をもつ、日本の真面目なクリスチャンにとっては、「酒が出るなんて、クリスチャンとしてふさわしくない」と忌み嫌われる行為だ。中には、「酒が出る席にいるというだけで、自分が穢れた気分になる」という方もいる。
聖書には「酔ってはいけない」 1)と書かれているが、「飲んではいけない」とは書いていないのだが・・・いったいいつになったら、皆がそれを発見するのだろう。
それを知っていて、なお「飲まない」ことを選択している人々 2)と、それさえ気づかずに「飲まない」ことを誇りとしている人々とがいるが、後者は、つまらんことで、人をつまずかせるの 3)が得意だ。これまた、無意識に。これまた、「自分が正義」を振りかざして。
(「神のことばを、つけくわえても、減らしてもいけない」ということがわかっていたら、こんなこと、起こらないんだよ! 4))
(せっかく、交わりたい、と思って会を開いたご夫婦にいちゃもん付ける前に、どうにか、なだめないと)
キャベツは、人々が多く集まっている部屋に行き、そのご夫婦と、お酒のことで怒っているというゆりこさんとを探した。
(ここの奥さんは、元々はやり手なんだが、「善意」でやったことにいちゃもんつけられると…加えて、「聖書に書かれていること」ならともかく、「書かれていないこと」を言われると…激怒して、また自らぶっ壊す人だから、これまた気の強いゆりこさんが、何か言い出す前に、穏便にしないと。)
**************
そうして、ミッション「ゆりこさんを探せ」は完了した。
だが、「ゆりこさ~~~ん」と声をかけようとしたとき、そのキャベツの後ろから、主催した奥さんがゆりこさんに向かって、「あら~~~」と声をかけようとしていた。
(あぶない)
「すみません、ちょっとお借りしますね」と、ゆりこさんの袖をひっぱって、別の部屋に行った。
「どうしたんです?」
「ちょっと、これ、見てよ!!」
ゆりこさんは、ある紙を見せた。それは、かわいらしく作られたお飲物表だった。
ワイン(赤、白)
ビール
日本酒
ソフトドリンク(ジュース、ウーロン茶)
遠慮なく、好きなだけお飲みください。
とあるリストを見て、キャベツは
「私たちが飲めるものを、ちゃんと用意してくれているじゃないですか。ほら、一番下に」
と笑うと、目をつりあげたゆりこさんは、「何、言ってるの!!」と一喝した。
「そもそも、ワインやビールを出すなんて神経が信じられない!! クリスチャンとして、なっていないわ!!」
「世の中にいると、逆に『ワインやビールを出さないのは失礼だ』と思うものですから。
実際、昔、イエス様だって、祝いの席で水をワインに変えたりしたじゃないですか。5)
今回のこれらすべては、
あのご夫婦としては、がんばって準備した現れだと思いますよ。
それに、『飲んじゃいけない』のであれば、私たちが聖餐式に葡萄酒を飲むのは、ダメじゃないですか? 6)」
「あれは、別よ」
「まあまあ(苦笑)
そもそも、厳密には、『酔ってはいけない』わけで、『飲んではいけない』わけではないのですから、せっかくの祝いの席で、あれこれめくじら立てずに、過ごせないものですか・・・ね?」
「そうは言っても…。こっちは決して『目くじら』立てているわけではないのよ! でも、クリスチャンとして、・・・(大分、略)・・・」
「・・・お気持ちもわかりますが、・・・最初から、あれこれ求めず、先ずは『戻ってきたこと』を祝いませんか?
もう、かれこれ何十年ぶりなんですから。
もし万が一、他の人からすすめられても、
『私は、お酒をたしなまないので…』と、やんわり、ウーロン茶にすれば良いでしょう?
居丈高に、『私はクリスチャンだから、飲まない!』『お酒を飲むなんて!』と、周りを卑下するようなことを言うのは、あなたの気持ちは晴れるでしょうが、クリスチャンとして賢くない行動にならないでしょうか・・・?」
*******************
・・・と、そこまでで、キャベツは目が覚めた。
(なんでまた、こんな夢、見たかなぁ・・・朝から、どっと疲れたよ)
(゜_゜ ・・・へブル12:13・・・?
【注】
1)エペソ5:18
2)ローマ14:17-21,エペソ5:18-19
3)⇔ローマ14:13-14
4)申命記4:2,黙示録11:18-19
5)ヨハネの福音書2:1-11 カナの婚礼の場面。
6)マタイの福音書26:26-29 聖餐式(パン裂き)での、パンとぶどう酒。これらを持って、主イエス・キリストの十字架の贖(あがな)いを覚える。これに関して、カトリックでは、祈りによってそれがキリストの体に変化(聖化)すると考えていると聞くが、プロテスタントの多くは、パンとぶどう酒を「象徴」として、考える。
今朝、夢をみた。
あるご夫婦が、クリスチャンとして皆と交わりを回復したいと思い、宴会を開いた。
そのご夫婦のお家で、それは開かれた。
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一生懸命、お料理を作ったり、(ごちゃごちゃしていた)お家を片づけたり、準備したんだな――――。
ウーロン茶を飲みながら、キャベツはその奥さんの労苦を思いつつ、目の前の美味しそうな食べ物を見ていた。ビュッフェ形式だった。
すると、小学校か中学校の女の子が、不満そうな哀しそうな顔をして、キャベツの前をつっきって、次の部屋に行き、ソファに座りこむと、ジュースを飲み始めた。
「どうしたんだい?」とキャベツが問うと、その子は、目線を前にしたまま、コップを口元に傾けながら、言った。
「ゆ・・・り・・・さんが、『お酒を出すなんて』って、怒ってた・・・」
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ああ、なるほど。
世の中の人にとっては、「めでたいときは、お酒」が当たり前で、祝いの席で、ビールやワインがないことはとても失礼なことなのだが、
英語圏のクリスチャン由来の文化をもつ、日本の真面目なクリスチャンにとっては、「酒が出るなんて、クリスチャンとしてふさわしくない」と忌み嫌われる行為だ。中には、「酒が出る席にいるというだけで、自分が穢れた気分になる」という方もいる。
聖書には「酔ってはいけない」 1)と書かれているが、「飲んではいけない」とは書いていないのだが・・・いったいいつになったら、皆がそれを発見するのだろう。
それを知っていて、なお「飲まない」ことを選択している人々 2)と、それさえ気づかずに「飲まない」ことを誇りとしている人々とがいるが、後者は、つまらんことで、人をつまずかせるの 3)が得意だ。これまた、無意識に。これまた、「自分が正義」を振りかざして。
(「神のことばを、つけくわえても、減らしてもいけない」ということがわかっていたら、こんなこと、起こらないんだよ! 4))
(せっかく、交わりたい、と思って会を開いたご夫婦にいちゃもん付ける前に、どうにか、なだめないと)
キャベツは、人々が多く集まっている部屋に行き、そのご夫婦と、お酒のことで怒っているというゆりこさんとを探した。
(ここの奥さんは、元々はやり手なんだが、「善意」でやったことにいちゃもんつけられると…加えて、「聖書に書かれていること」ならともかく、「書かれていないこと」を言われると…激怒して、また自らぶっ壊す人だから、これまた気の強いゆりこさんが、何か言い出す前に、穏便にしないと。)
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そうして、ミッション「ゆりこさんを探せ」は完了した。
だが、「ゆりこさ~~~ん」と声をかけようとしたとき、そのキャベツの後ろから、主催した奥さんがゆりこさんに向かって、「あら~~~」と声をかけようとしていた。
(あぶない)
「すみません、ちょっとお借りしますね」と、ゆりこさんの袖をひっぱって、別の部屋に行った。
「どうしたんです?」
「ちょっと、これ、見てよ!!」
ゆりこさんは、ある紙を見せた。それは、かわいらしく作られたお飲物表だった。
ワイン(赤、白)
ビール
日本酒
ソフトドリンク(ジュース、ウーロン茶)
遠慮なく、好きなだけお飲みください。
とあるリストを見て、キャベツは
「私たちが飲めるものを、ちゃんと用意してくれているじゃないですか。ほら、一番下に」
と笑うと、目をつりあげたゆりこさんは、「何、言ってるの!!」と一喝した。
「そもそも、ワインやビールを出すなんて神経が信じられない!! クリスチャンとして、なっていないわ!!」
「世の中にいると、逆に『ワインやビールを出さないのは失礼だ』と思うものですから。
実際、昔、イエス様だって、祝いの席で水をワインに変えたりしたじゃないですか。5)
今回のこれらすべては、
あのご夫婦としては、がんばって準備した現れだと思いますよ。
それに、『飲んじゃいけない』のであれば、私たちが聖餐式に葡萄酒を飲むのは、ダメじゃないですか? 6)」
「あれは、別よ」
「まあまあ(苦笑)
そもそも、厳密には、『酔ってはいけない』わけで、『飲んではいけない』わけではないのですから、せっかくの祝いの席で、あれこれめくじら立てずに、過ごせないものですか・・・ね?」
「そうは言っても…。こっちは決して『目くじら』立てているわけではないのよ! でも、クリスチャンとして、・・・(大分、略)・・・」
「・・・お気持ちもわかりますが、・・・最初から、あれこれ求めず、先ずは『戻ってきたこと』を祝いませんか?
もう、かれこれ何十年ぶりなんですから。
もし万が一、他の人からすすめられても、
『私は、お酒をたしなまないので…』と、やんわり、ウーロン茶にすれば良いでしょう?
居丈高に、『私はクリスチャンだから、飲まない!』『お酒を飲むなんて!』と、周りを卑下するようなことを言うのは、あなたの気持ちは晴れるでしょうが、クリスチャンとして賢くない行動にならないでしょうか・・・?」
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・・・と、そこまでで、キャベツは目が覚めた。
(なんでまた、こんな夢、見たかなぁ・・・朝から、どっと疲れたよ)
(゜_゜ ・・・へブル12:13・・・?
【注】
1)エペソ5:18
2)ローマ14:17-21,エペソ5:18-19
3)⇔ローマ14:13-14
4)申命記4:2,黙示録11:18-19
5)ヨハネの福音書2:1-11 カナの婚礼の場面。
6)マタイの福音書26:26-29 聖餐式(パン裂き)での、パンとぶどう酒。これらを持って、主イエス・キリストの十字架の贖(あがな)いを覚える。これに関して、カトリックでは、祈りによってそれがキリストの体に変化(聖化)すると考えていると聞くが、プロテスタントの多くは、パンとぶどう酒を「象徴」として、考える。