福岡市美術館で行われているギュスターヴ・モロー展にいってきました。
モローは、いわゆる象徴主義を代表する画家のひとり。
サロメを描いた『出現』が有名ですね。
撮影スペースに設置されたパネルにも、その絵が使われています。
“象徴主義”というのは、19世紀後半ぐらいに出てきた傾向ですが……以前紹介したラファエル前派ともいくらか関係があります。
ラファエル前派の画家であるエドワード・バーン=ジョーンズは、象徴主義に影響を与えたといわれているのです。
一見したところではあまりつながりがありそうでもないんですが……両者をつなぐ一本の糸として、ゴシック的な部分があるのかとも思います。
たとえば、『出現』の背景部分に描かれている彫刻。
この画像はグッズ販売で買ってきたクリアファイルのものですが……彫刻部分の線描がはっきり見てとれます。
今回のモロー展で紹介されていたところによると、これらの彫刻はゴシック様式、あるいはさらにさかのぼってロマネスク様式のものをモデルにしているそうです。そういうものを集めた博物館のようなものがあって、モローはそこで模写してきた彫刻を『出現』に描きこんだというのです。
ゴシックの、雑然の美……そのあたりが共鳴するところでしょうか。それはまた、近代工業文明へのアンチテーゼという点でもベクトルを共有しているのかもしれません。
しかし、もちろん違いもあります。
ラファエル前派はどちらかといえば、あくせくした都会の暮らしはやめて田舎でスローライフ的なことを志向しているように思えますが、象徴主義は退廃の美という側面があるように感じられます。
今回のモロー展の一つのテーマは「ファム・ファタル」ということですが、ファム・ファタルとは、「運命の女」=「死をもたらす女」。アダムとイブ以来の、男を滅ぼす存在としての女ということです。
この点に関していえば、ラファエル前派と象徴派は、武者小路実篤と谷崎潤一郎ぐらいに開きがあるんではないかと思えます。
それは、キリスト教的道徳観念が色濃く影響しているラファエル前派と、その向こうがわのギリシャ神話にまで取材しているモローの違いでしょう。
今回のモロー展に出された絵をみていると、モローは、ゼウスやヘラクレスといったギリシャ神話のモチーフも描いています。
性愛に関して奔放でおおらかなギリシャ神話の世界にまで踏み込めば、キリスト教的道徳にとらわれない美がそこに広がっているということでしょう。
これもまた、ラファエル前派とはまた違った意味で、19世紀後半という時代に世に出たがゆえのことと思えました。