ロック探偵のMY GENERATION

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昭和ゴジラの“奮闘期”

2019-11-12 16:51:27 | 映画
今回は、映画記事です。

このカテゴリーでは、ゴジラシリーズの作品について書いてきました。
これまでは第一期の作品を扱ってきましたが、それも『メカゴジラの逆襲』で一段落。
ここでいったん立ち止まって、これまでのまとめとして、第一期、とりわけその終盤のゴジラ作品を総括してみようと思います。



第一期が終了するのは、1975年。

1954年に銀幕に登場して以来、およを20年――ゴジラは驚くほどの変化を遂げてきました。

その間に日本は、戦後の荒廃期を過ぎ、高度成長とその終わりを経験しました。
周囲の環境が目まぐるしく変化していくなかで、ゴジラもその意味合いを少しずつ変えていきましたが、長期的にみればじりじりと集客力を失っていたというのは、数字にあらわれている事実でしょう。
時代が変った。娯楽が多様化した。結局は怪獣バトルの繰り返しでしかないということで、飽きられた……いろんな理由があったと思います。
ともかくも、ゴジラにとっての最大の敵は、モスラでもなくキングギドラでもなく、時の流れだったのです。

しかし、ゴジラは決して押し込まれてばかりではいませんでした。

ゴジラ第一期はさらにいくつかの時期に細分化できると以前いいましたが、その最終盤にあたる10~15作を私は“奮闘期”とでも呼びたいと思います。

そこには単に、「停滞」とか「衰退」とかいうネガティヴな言葉でまとめてしまえない何かがあります。
実際、この時期のゴジラ作品は、新たな道を模索し、それなりの成果をおさめてもきました。時代の変化の奔流に押されながらも、なんとかしがみついているという……そんなイメージです。
メカゴジラは、第一期ゴジラが時間という強大な敵に立ち向かう苦しい戦いのなかで放った最後の光芒でした。

先述したように、第一期を俯瞰してみると、ほぼ一貫してゴジラ映画の興行成績は下降線をたどっています。
ピークは第三作の『キングコング対ゴジラ』にありますが……これは“夢の対決”であり、そもそも別枠としてとらえるべきもの。そう考えるならば、第一作以来、ゴジラはほとんど一本調子で観客を減らし続けてきたということになります。
では、どうやったらジリ貧状態を挽回できるか。
一つの傾向として、キングギドラが登場すると成績は上向くということがいえると思います。
なにしろ、ゴジラ最大のライバルであり、シリーズ屈指のスター怪獣です。ゴジラ怪獣の中でも抜群の集客力を持っています。
しかし、キングギドラだってそう毎回登場してもらうわけにはいきません。それをやったら、収穫逓減というやつで、今度はキングギドラ自体が飽きられるということになるでしょう。
シリーズを存続させ、盛り上げていくためには、なにか別の方法を見つけなければならないのです。それを模索し続けたのが、「奮闘期」でした。

この時期は、いったんは打ち切りが既定路線とも見られていたゴジラが『怪獣総進撃』で一定の成果をあげ継続することになり、そこから、仕切り直しということで出発します。

しかし、その一発目から東宝は厳しい現実に直面することになりました。
記念すべき第10作である『ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』は、惨憺たる成績に。再スタートの出鼻をくじかれたかたちです。その後の状況次第では、ゴジラはいつ打ち切りになってもおかしくありませんでした。

その流れを変えたのが、『ゴジラ対ヘドラ』でした。

キングコング、キングギドラ以来、はじめて前作を上回る成績をあげることができたのです。

それは、制作陣にもインパクトを与えていたはずです。
このことを念頭において観ていると、その後のゴジラ制作スタッフが『ゴジラ対ヘドラ』を意識していたんではないかと思わせる部分がいくつか見受けられます。

たとえば、マルチスクリーンという手法。
マルチスクリーン的なものは、映画における用法としてはちょっと違うかもしれませんが、『ゴジラ対メカゴジラ』、『メカゴジラの逆襲』、さらにその後の84年版ゴジラにも出てきます。ただ、これはあくまでも外形的な表現技法に関するものであり、これらの作品で使われるマルチスクリーンに『ゴジラ対ヘドラ』におけるような実験性という意味合いはあまり感じ取れません。

そしてもう一つは、社会的なメッセージ。
『ゴジラ対ヘドラ』は、公害問題をとりあげています。それは、大づかみにいって“文明への懐疑”という意味合いで、第一作ゴジラとベクトルを共有しているといえるでしょう。

この“文明への懐疑”という視点も、これ以降のゴジラ作品に継承されていっているように思われます。
『ゴジラ対ガイガン』や『メカゴジラの逆襲』には、近代文明への批判的視点がありました。
また、『ゴジラ対メガロ』は、相次ぐ核実験が海底王国シートピアの怒りに触れ……という話でした。『ゴジラ対メカゴジラ』は、文明批判というような方向ではありませんが、沖縄返還にからめた時事性がありました。

しかし、結局のところ、昭和ゴジラシリーズは存続していくことができませんでした。

『メカゴジラの逆襲』の記事でも書きましたが、子供向け路線にむかったのが失敗だったと私は思ってます。

怪獣特撮映画という性質上子どもをターゲットにするのは当然ですが、それだけではよくない。
まして、東宝チャンピオン祭りという子供向け企画にしてしまったのが、致命的な失策だったと思います。

実際、子供向け路線ではなく、大人もターゲットにした重厚な作品を作り上げることで、ゴジラは復活を果たすのです。

というわけで......次回の映画記事では、いよいよ第二期に突入し、ゴジラの復活作である『ゴジラ』(84年版)について書きたいと思います。


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