手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲第一教場  詩吟 

2013-09-02 18:39:33 | 身辺雑記
 朝一番で頭髪のカットに行ってくる。 家内が針治療に行っているのでその送り迎え。その合間で詩吟の稽古を少し。

 午後は手稲第一教場。ESさん欠席。いつも通りの稽古。みんなよく稽古をしていて特に手を入れなくてもよかった。今回から名誉師範の三人は師範の吟題が教材になる。

 既に自分で稽古をしてきていて、範吟をするまでもなく立派な吟をしてくれていた。特に短歌、朗々と素晴らしい吟になっていました。

 後半、大会の吟の稽古。女性は三人共関係のある吟ですから良いのですが、男性は三人の内一人しか関係ないのです。でもほかの二人がとても協力してくれて支障なく稽古を積むことが出来ました。

 全体に吟力が向上しています。やはり経験を重ねることは素晴らしいことです。十段以上になると五段位の方の吟とは全く違う味があります。

 話が飛びますが、教本では西郷南洲の「獄中感有り」の説明で、南の大島に流されたと説明している。「南嶼」は文字通りに読めば南の島となり、それでいいのだけれど、南洲は月照と身投げした折、死んだこととして奄美大島に流されたことがある。さらにもう一度島津久光公の上洛の折、命令違反があったということで今度は本当の罪人として沖之永良部島に流されている。この「獄中感あり」はその折に作られた詩なのです。これがわかっていなければ「洛陽の知己皆鬼となり」が正しい理解につながらないと思います。寺田屋事件との関連がわかるように説明したいものです。 
 
 私は、ほとんど教本の解釈などを使わずに自分の勉強をもとに、設問を別に考えて理解をさせています。たとえばこの「獄中」をそのままにしておくと普通の牢獄に投獄されていたように受け止めかねません。これか島流しの刑で、その罪が何なのかを話してあげることにしています。

 生徒さんたちはこんな話にとても興味を感じてくれます。
コメント
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