手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「八重の桜」  西南戦争の前夜だった

2013-09-15 18:50:57 | 詩吟関係
6時からの「八重の桜」を見終えてきた。新島襄がようやく開校した同志社に熊本英学校から転校してきた生徒達が問題を提起してくる内容が中心だった。熊本英学校では秀才で、深くキリスト教に傾倒していた生徒達だった。まだ創立間もなく教育体制も整っていない同志社に問題を投げかけ、同志社の存亡にかかわるような事態に展開してゆく内容だった。

 さらに、明治9年、廃刀令が発布され、先に施行された廃藩置県に反対していた武士団がこの廃刀令をきっかけに反政府の事件を起こし始めたことが取り上げられていた。そして、来週は西南戦争がタイトルになるということが示された。

 実は、明日手稲神社の祭典の余興に詩吟を奉納することになっているのですが、その詩吟では西郷南洲をテーマとした 構成吟をやる予定になっています。

 構成吟の最後を「城山」にするのですが、ここでは西南戦争に触れなくてはなりません。今日の「八重の桜」を見ていた人は、熊本の神風連の乱、萩の乱、佐賀の乱など一連の反政府運動と連動する形で薩摩の西郷が運営していた、私学校の生徒たちが決起し西南戦争に突入することになった事情を理解していただけると思う。

 前回の「八重の桜」と今日の「八重の桜」を重ねて話をしてあげることにします。

 今日の午前中は雨で大変な日だった。明日の天気が気になっていました。神社の舞台の観覧席は屋外です。雨になると大変なのです。でもどうやら明日は雨の心配をしなくてもよいようです。これからもう一度明日の準備を確認しておきます。
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