手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「唯缼く胸中洒落の人」  山崎闇斎

2010-03-19 18:55:33 | 随想

 洒落な人・・・「おしゃれな人」と解釈すると何かつまらなくなる。「しゃらくな人」と言うと一寸感じがかわる。

 見た目のおしゃれだと何か着飾った感じが出るけれど、本当のおしゃれは素敵なセンスを感じさせるものだ。

 特別のことは必要ない。その人のおかれた立場の中で、相応の振る舞い、衣服の着用なども、きざでもなく、見苦しくも無い、そして自然な感じでありたい。

 また、地位とか名誉にこだわったり、お金に貪欲だったりする人は、とても洒落といえない。自然に人の中に溶け込み、自我を通すこともせず、泰然としている、そんな人こそ洒落た人といえるのだろう。

 現実の今の社会の中に生きていくのには難しいことかもしれない。

 私たちの年代になると、世俗を離れた感もあり、将に洒落た生き方が出来るのかもしれない。自分では、「これ洒落」・・・「これしゃらく」と言える生き方をしたいと心がけたりしているけれど、駄目です。最低、外を出歩くときは、年寄りくさくない、服装、歩き方などを心がけ、酒を飲んでもほどほどにし、乱れることの無いように心がけることにはしているのだけれど、どうも洒落には程遠い。仙人みたいに家に引きこもっているのが洒落とはいえない。歳以上に生きることを楽しんでこそ洒落なのだと思うのだが。
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白髪三千丈   李白

2010-03-18 20:41:55 | 随想

 中国の素晴らしい詩人の中でも、杜甫と並んで双璧とされる李白の詩に私は惹かれる。

 「白髪三千丈」・・・こんな言葉を生み出すことの出来るだけで並外れの才能を感じる。 
 人間は、悩むと白髪か多くなったり、頭が禿げたりするという。この詩文に続くのが「愁いによってかくのごとく長し」ですから、大変な苦労をしたことになる。しかし、これはあくまでも詩ですから、誇張なのですが、こんな言葉を聞くと、ただただ詩としてのスケールの大きさに圧倒されるばかりです。将に詩仙と言うにふさわしいのでしょう。

 廬山の滝を見て「疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと」か「千里の江陵一日にして還る」だとか「桃花潭水深さ千尺」と人の心をその深さ以上に深いとたとえてみたり、将に奇想天外な詩人です。その常識を破ったつた表現が、少しも違和感を持たせずに読むものに迫る凄さ・・・。何度吟じても飽きることが無い。
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嗚呼老いたり是れ誰の愆ぞや

2010-03-17 20:03:55 | 随想

 「ああ、おいたり、これ、たれの、あやまちぞや」と読む。朱子学の祖、朱熹の勧学文の結句です。「嗚呼」という詠嘆は、この詩では、すべきときに学問に励まず、ついに学のならないまま老いを迎えて自分を嘆く意味だ。しかし、単に学問と考えることは無く、自分の人生と考えてもいい。

 私自身について言えば、今正に老境にあります。振り返ってみれば、教員として38年務め、校長は勿論教頭にもなれませんでした。教員としてその職責を十分果たしたかと振り返っても、到らなかったことだけが思い起こされます。退職して20年、今の自分をみて、「嗚呼」と嘆くことはありません。多くの方達と、共に励ましあい、共に努力しています。

 40を過ぎて入った詩吟が、私の人生になりました。一寸の光陰を惜しんで学んだわけではありませんが、づっと続けてきました。

 結局、地位とか財産の問題ではなく、どれだけ充実した人生に出来るかという問題だと思う。「是でよかった」と言って、従容として死につけるなら「嗚呼」という詠嘆はいらないのでしょう。

 なお、朱熹には,この詩の内容と同じ詩「偶成」があります。「少年老い易く学なり難し」と言う誰もが知っている詩です。この詩の結句は「階前の梧葉已に秋声」です。
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天下の万機は一誠に帰す

2010-03-16 19:49:33 | 随想

 幕末から明治にかけての思想家で、明治天皇の思し召しの篤かった元田東野の「中庸」という詩の結句です。

 「天下の万機」というのは「政治」です。政治は帰するところ「誠」だというのです。
今の政治家に、煎じて飲ませたい言葉です。

 今の民主党のお偉さん二人にこの言葉を貼ることが出来ますか。この後の政治の結果がそれなりのものがあったとしても、汚した「誠」は戻らない。ということは、問題のお二人がいる間は、民主党自体が万機を帰す政党と認知されないということでしょう。

 多かれ少なかれ政治家の多くには、重い言葉なのかもしれないけれど、このような問題が出たときに、悪かったといって身を引くくらいなら、潔さを感じたりして追認することもあるかもしれないけれど、もう駄目です。

 選挙って判らないけれど、私の目には、暗い幕がかかってぼやけてしか見えない。

 明治には、こんな人もいたのですね。明治天皇が菊見の宴で「菊花より老いた元田を愛す」とおっしゃったのだそうです。正に「誠」貫いた人だったのです。
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「君は川流を汲め我は薪を拾わん」

2010-03-15 19:04:10 | 随想

 最近は歴史ブームだとか。特に坂本龍馬伝のおかげなどで、維新の歴史が良く読まれているようだ。

 私は詩吟を教えている関係で、維新の志士たちの詩も沢山扱いますので、いろいろ勉強をさせていただいています。そんななかの一つ、広瀬淡窓の「桂林荘雑詠」の結句を取り上げてみた。

 江戸時代、各藩とも学問を重要視し、藩としての学問所を設けていた。また私塾も沢山有り、進んで学問をする青少年は多かった。広瀬淡窓も私塾を開き子弟のの育英に勤めた人である。桂林荘は後、咸宜園と称されるようになるが、ここには淡窓の見識を慕って全国から子弟が集まったという。その塾生たちの学問に対する真摯な態度がこの一節で知ることが出来る。朝食を作るために、君は水を汲んできてくれ、私は薪を拾ってこようといっている。たかがこれだけだけれど、共に学ぶ者として、共に助け合い、励ましあっている姿がふつふつと浮かんでくる。千里の道も遠しとせず、笈を背負って多くの子弟が集まったのだ。

 ちなみに、詩吟が本格的にやられるようになったのは、この桂林荘からと言われてもいる。学ぶことは、楽しい。特に日本のように永く鎖国政策を採っていた国にとって、このような塾で新しい世界を学問を通して知ってゆくことは素晴らしいことだったのだ。学び、論ずることの素晴らしさを知らしめたのは、私塾だったと思う。

 
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手稲文化協会 カラオケフェスティバル

2010-03-14 18:55:51 | 手稲文化協会関係

 手稲文化協会主催チャリティカラオケフエステイバルが、文化協会所属のカラオケ5団体によって開催された。
 
今年は第2回になるのですが、今年度行事関係の仕事をお願いしていた山下副会長が突然退会され、このカラオケも手はずだけ一応つけて置いてくれて、私は関わらなかった。

 でも一応、どんな状況になるか確認しておきたいと思い出かけました。

13時、予定通り開幕。丹伊田会長の挨拶があるのかと思ったら、出演団体の代表5人(写真)が並び、秋桜同好会の木下さんが代表して開会の挨拶をしていた。

 観客は200名前後だと思います。中身は48名の出演で、ツーコーラスで進められ、16時30分に終了しました。

 結構な盛り上がりで、最後の代表の挨拶の中でも、来年も再来年も続けて行きたいという言葉があり、安心しました。

 来年は私がスタンバイしなければなりません。でも形が整ったので心配要らないと思います。

 
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郵政民営化見直し・・・・・亀井さんの得意顔・・・・民主の顔?

2010-03-13 20:13:27 | 無題

 今日の国会の質疑の中で、郵政民営化が見直しの名の下に元に戻ろうとしている状況を捉えて、自民党の方が「世論では圧倒的に民営化で郵政は良くなっていると出ている」と亀井さんに噛み付いた。すると亀井さんは、私の調査では圧倒的に民営化は批判されていると応えた。

 亀井さんは、将に郵政族の方からの声を聞いているのですから、其のとおりでしょう。自民党の方は一般市民の声を聞いているのです。

 私は、民営化で郵便局は変わった、とても良くなったと感じている。民営化のお陰です。日曜でも用は足りますし、サービスも格段に良くなった。元の役所的な感じはなくなり、将に民間会社のように良くなっていた。お客もずっと多くなっていて、見直さなければならない理由はほとんど感じられない。確かに、小さな特定郵便局などが廃止されていることはあると思いますが、郵便、為替はコンビニでもできるようになり便利になっています。

 亀井さんは、郵政民営化に反対で自民党を追われたのだから、其の怨念を今晴らそうとしているのでしょう。しかし、民主党の勝利は郵政民営化反対で出来たものでないのです。無党派層の多くは民営化賛成だったのです。民主に投票した人もこんな逆戻りを期待していなかったはずです。

 この次の参議院選挙、小沢・鳩山・亀井の顔がくっきり浮かぶことが、民主の票を伸ばすことにプラスになると思いますか。

 自民党の時代とどこが変わったのと、目を疑うようなことが次々出てきて、普天間5月決着できなければ、もう見放されるかもしれない。しかし、今の自民党もまとまっていない。むしろ渡辺さんを中心とした「みんなの党」あたりと組み、再編成して、新自由党でも作ったほうがいいかもしれない。
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お水取り・・・・

2010-03-12 19:02:45 | 随想

 3月13日は、奈良東大寺二月堂のお水取りの日です。修学旅行の引率で奈良は必ず行き東大寺ではこの説明を毎回聞いている。二週間にわたって行事があり、13日の午前二時頃にこのお水取りがあるという。

 彼岸にはまだ間があるけれど、このお水取りは春の到来を確認する行事になるようです。

 奈良はお水取りなのに、北海道は寒い日が続き、大荒れになっているところもあるみたいです。今日はもう少しいい天気になりそうな予報だったが、気温こそ4度くらいあったものの、とても春を感じさせる天気ではなかった。

 昨日車検に出した車が、夕方帰ってきた。一冬洗車しなかつたから汚れきっていたのにピカピカになってきた。すぐに泥をかぶることになるのでしょうが、ひと時、車だけ春化粧をしたみたいです。
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西に行く雁  戻る雁

2010-03-11 19:00:24 | 随想

 歌の一節です。「戻る雁」この後に、「明日の行方を誰が知る」とくるのだけれど、時節が来れば、雁も戻るのだけれど、西に行く雁もあるように、定めないのが人の世だというのでしょうが、「戻る雁」だけについて言えば、雁は秋分にやってきて、春分に戻るといわれます。

 春分、彼岸、北海道では実感が無いけれど、本州では花の季節に入ってきているのです。そんな、一番いい季節を迎える時に、花も見ないで、北へ戻る雁に、人生の花を咲かせることのできなかった人への想いが重ねられているようです。

 実はこの詩の一節は、坂本竜馬-青嵐の夢の歌の中のものなのです。あれだけの大仕事をした竜馬が、新しい国の姿を見ることができなかったことを惜しむ気持ちが込められた言葉なのでしょう。
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志・・・・こころざし・・・・夢

2010-03-10 18:26:05 | 無題

 先ほどのテレビで、最近の高校生の将来に対する希望の調査が出ていた。「なりたい職業」という具体的な希望を持っていないものがかなりの数字になっている。

 私も高校の先生を曲りなりにやってきたので、当時と比較しながらの感想は、そんなに変わっていないということです。高校生で将来の人生設計を持てている生徒はほとんどいないに等しかった。あるとすれば、どの大学に進学したいということで、大学に進んでから将来の職業は考えるということだった。ただ、一流高校の場合はかなり違うと思う。私が関ってきた高校辺りでは、たとえば医者になりたくても、とても医学部への進学は考えることすらできないのですから。

 今の社会って、とてても難しい。「大志を抱け」といっても、先を見通せない。とにかく勤め上げて、平凡でも安定した老後があればいいくらいの考えとなってしまう。

 周りを見渡せば、高校でも大学でも、就職のできない学生が一杯いて、さらにまだ若いのに会社がつぶれ、再就職のできないもの、ホームレスとなっているものまでいる。

 こんな社会だけに、自分で道を切り開く強い「志」を持たなければならないのだと思う。
「大志」といえるかどうかは判らないけれど、「こう生きる」と自分の道を決めて、その道を懸命に進むことが大切なのだ。最低、学校を終えるまでには、自分をしっかり見つめそのために何をすべきか、どこに道があるのかを必死で探す、いきなり思うようになるはずはない、それを覚悟で地道に頑張るしかない。「夢」ははかないけれど、「志」があれば曲がりくねった道でも、通り抜けることができると思う。

 何か今の子供たちは、ひ弱な感じかする。職業の尊卑はない。昔はホワイトカラが望まれたが、今はタダそんなことを言っていてはいけない。多様化の進んだ現代社会、それだけに今こそ、新しい道も隠されているかもしれないのだ。
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