万里の長城を知らない人はいない。今その全容を知ることは出来ない。しかし、たとえ一部にしても、八達嶺て見た長城の凄さは、私の人生で最大のものだった。将に鉄牢の如く、堅固なものであったことに間違いは無い。その長城が鉄牢のように機能したのはどれほどだったのでしょう。あの長城を築くに要したものに見合う成果があつたと言えない。秦も始皇帝が亡くなり、まもなく劉邦・項羽によって滅ぼされてゆく。
古代の聖帝堯の宮殿は三尺の階段しかなかった。その三尺に及ばない役割だったとこの詩では言う。権力、力による政治は、徳政に及ばないと言うことになる。
今の世の中、長城に代わるのが核なのでしょうか。世界でいくつもの国が核という城を築いている。これが使われたら、人類の滅亡となるように思う。核を持たない平和な世界はできないのでしょうか。私たちの在世中には無理な話だけれど、いつか長城も核も無い平和な世界が出来て欲しいものです。