戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずにお互いに自分の頭で考えましょう。
今日は「山の日」らしいので「何がどうしたのか判らない岸田首相」の話は避けて表記の問題について触れて見ました。
「高齢者の弱点の補い方」
・山の選び方
ガイドブックを買う。ガイドブックの標準タイムは通常10%程度の余裕を見て書いてあるので、その標準タイムから遅れ出したら、近郊の低山専門にするとか、2000m以下の山に行く場合は、標準タイムに体力相当の10~20%の余裕を見て予定を組む。
・2000m以上の山は余程の好条件以外の場合を除いて諦める。
・日にちの選びかた
原則として天気予報で晴天が3日続いた日の真ん中の日を選ぶ。現役を外れているので何時でも登れる。だから日帰りの山登りに雨具は要らない。
2日以上の山行の場合安心できるリーダーの傘下で登る。勿論彼の支持は必ず守る。素人の中では良い恰好をしてばてて人に迷惑をかける人を良く見かける。リーダーの歩き方を見て山登りの歩き方を覚える。
・山の選び方
ガイドブックで同じ所要時間で登れる山でも、1.000m以下と2.000以下、それ以上の山は別の山と考える。
特に春・秋の小屋泊まりの2,500m級以上の登山の場合は天候の急変で冬季登山に準じた準備をする。勿論経験者の同行は不可欠。
・2日以上の山行での曇りが予想される時は(登高中で天候が急変したとき含む)ガスのために方向側から判らなくなる可能性のある岩山、草山や高原、雪山の登山は中止(撤退)する。 勿論適切な判断をしてくれるリーダーがいることが前提。
・団体で登山するときの注意
参加するまでは個人主義に徹し他人に迷惑をかけるなどとして無理に参加しない。登山中に大迷惑をかかけるより遥かに良い。
例えば身体が不調になったときは無理をせず,すぐにリーダーに相談する。
一旦参加したらリーダーの指示に従い個人行動は取らない。
・登高中の注意
若い人やベテランに負けまいとして無理をせずに自分のペースを守る。(団体のとき他の人達のペースに遅れそうな時は参加しない。)
登高中の天候の急変した時、始めての山などで、予定時間より20%近く遅れていることに気付いたときは、高齢者の場合は下山を原則とする。
・頂上や小屋に着いたとき20%程度の余裕を残した登り方をする。ぎりぎりの体力で登ることは万一の場合の遭難に繋がることを意味する。
・高齢者の為の疲れない登り方
呼吸法→吐く吐く・吸う吸う(この場合意識して吐く方に集中)のリズムに併せて疲れない歩幅で登る。これで200歩歩いて急坂などのため息が切れだしたら、同じ呼吸のリズムのまま治るまで立ち止まり、同じ呼吸のリズムで立ち止まり10~20歩分数えて休む。
気持ちの中では休憩中も同じリズムを保つ、勿論、息が切れないときはそのまま歩く、休むときは人が追い抜くなど気にしない。これで歩くと普通は標準タイムと同程度か5%遅れる位。)→詰まり登山の時も有酸素運動をする。
リズムを保つことが疲れない条件、自分に合った歩幅とリズムを研究すること。
リズム確保のために「転ばないこと」、休憩中に物忘れして引き返さないこと、若い人たちに負けん気を出さないこと。
・体温の上昇(場合によれば低下)の時、服の調節をこまめに行う。
そのため調節がしやすい服やシャツを選ぶ→疲れや面倒なための手抜きは、体温の上昇によるエネルギーの消耗に繋がり、低下のときは極端な場合死に繋がる。(衣服の調節が遅れたか、疲れや予定の遅れのため着替えが遅すぎ、低体温などの障害で出ないように。こまめで早めの着替えが必要)
・下山の注意
登山の時は道が減るので遭難の頻度が少ないが、下山の時は登山の疲れが減るが道が増え、足の負担が増え、遭難しやすくなる。
単独登山の危険性が良く言われますが、団体登山もそれなりの危険性を持っています。その特徴は団体の人達の人間関係の問題です。
隊員の人達は他の人達に迷惑を掛けないとして体調や天候の不安など押して参加して結局迷惑をかける。
リーダーは一般のグループでは隊員装備不完全のチェック我おろそかになったり、天候の急変や一部の隊員の思わぬ不調でも責任感から予定の行程を無理に進めようとするなどなどです。
単独の場合の事故の確率を1とすると3人で行けばその確率は3倍になります。
団体の時はその事故は単独と違って互いに助けあいで凌ぐことができますが、多人数でも凌げないこともあります。
単独のときも団体の時も山行きでは事故はつきものと言う考え方で、お互いに、特に高齢者の場合は慎重な計画と行動で安全な登山を楽しみたいものです。
「山かんの強化」
事故や遭難防止に役立つ「山かん」の育成に人歩き慣れた山で、余り人が通らない所での「山かん」の練習が本格的な登山に役立つことが多い。此処では里山(私の場合は北九州市の皿倉山での)での経験を聴いて戴きたい。
皿倉山は頂上まで続く自動車道を含む約10本のそれぞれの特徴をもつ登山道がある。多くの人か通る道標の揃った登山道。急な斜面をへつる狭い路。人が通らず消え掛かった路。急な段差の階段。木の葉で途中が埋もれた先の見えない道、道標の殆どない登山道。登山道から外れた踏み跡を辿って見ると正式な登山道に続くもの。行くほどに消える踏み跡。普通の登山では絶対に引き返す路を敢えて進むのも練習。行き詰まった所で、民家が近くに見えるか否かで藪漕ぎをするか否かの決断などなど皿倉山でのトライ・アンド・エラーの経験。前にも書いた皿倉山から福智山に続く自然歩道の道標に添って下ると思いもかけない急坂。福智山の筑豊新道の道標に従うか否かの判断。道標の無い路を選んで思いもかけない所に出て来た団体のリーダーに目的地に行く路を訊かれた経験などから、気づいた登山に欠かせない「山かん」と生来の臆病な性格が60年間の多くの登山を無事故、不時のピバークせずに済んだ幸運に繋がっているのだと思いました。
最後に山小屋の宿泊に米持参、鋲打ちの登山靴、二人用のツエルト、支えるのはスキーの杖、シーツに進駐軍放出の合羽の時代の、駅弁持参。なくなれば乾パン。若さの馬力だけのアルプス縦走の記録を見て下さい。
「黒部から剣、槍ケ岳(三十代前半、若い友人同行)」
二晩連続の夜行列車。一人は腰掛の上、一人は腰掛の下で寝る所謂3等寝台。
一日目:宇奈月から黒部川をトロッコ列車、欅平から登山者だけ利用できる、エレベーター、岸壁のトンネルばかりの電車(今はアゾ原までの登山道?)でアゾ原、アゾ原上の峠往復(特記無い所は野営、雨模様の時は山小屋泊まり。なお水は小屋の茶、または川の水、雪を溶かした水を水筒に詰める)
二日目:仙人峠、池の平、小屋泊まり
三日目:初めて見る剣沢の大雪渓、雪渓下の空間覗き、色とりどりのテントの剣平キャンプ地(などもうお上りさん気分)
四日目:荷物を置いて剣往復。雄山、一ノ越、雄山参りのお婆さんにツエルトの中を覗き込まれる
五日目:これからは登山者に殆ど逢わぬ浄土、五色原、スゴー。単独行の人の炊く飯の美味そうな匂い、私たちは汽車弁が切れたあとは乾パン主体の食事!
六日目:人一人もいない岩だらけの薬師、太郎小屋泊まり
七日目:黒部五郎、広々したお花畑でゴロ寝、双六池泊まり
八日目:急に増えた登山者、特に女性に気を取られる若い友、槍肩泊まり、
九日目:槍ヶ岳往復、槍沢でグリセードの真似、上高地、汚いと言う東京弁の人、何しろカミソリも石鹸も無い私たち。バスで島々、松本で木賃宿止まり。
十日目:京都、バスで観光、また3等寝台の夜行で帰宅。
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