私の父も弟も旧新日鉄にお世話になり、周辺にも多くの同社を満期している人もいるので、今まで言いたいことも我慢してきましたが、北九州市民の多くが願っていたスペースワールドの閉鎖決まりました。
旧新日鉄は合理化のために旧八幡製鉄所の置くの施設を君津へ移転し、旧八幡市の中心部に大きな穴を明けて来ました。普通なら自社の都合の合理化とは言え北九州市に大きな損害を与えたのですから、何らかの代償として同市への貢献をすべきで、八幡製鉄所の所長で副社長をしていた水野勲さんが退職後平野社宅の跡地に今まで山の上にあった九州国際大学と本来なら福岡市にあってもおかしくない九州国際センターを誘致するなど北九州市に大きな貢献をして来ました。現在残っている溶鉱炉の跡も水野さんの指示による改修され今の形で残されて貴重観光の資源になつています。
彼が亡くなった後の旧新日鉄の大迷惑をかけた北九州市への協力はサッパリ。元八幡製鉄の一部が折角の世界遺産に登録されましたが、現在稼働中の構内の工場の見学は無理としても、今使われていない旧本事務所跡も遠くから見せるだけ。誰が考えてもすこし内部を整理するだけで、入場者が施設に入っても何の損傷も無いのに。中間市にある稼働中のポンプ所も特別の日を除いては構内にもに入れません。入れても建屋の外観を見せるだけ。中に入れないようにしてドアを明け中を見せても運転に何も差し支えないのに。いまだに官営製鉄所の気分が抜けない旧新日鉄。
私も就職前の工場見学で乗ったことが有るのですが、八幡構内から戸畑へのトロッコ列車、国道を跨ぐ橋を渡って国道横断、トンネル、街、専用の溝の中、戸畑構内など重要な観光資源になるのに、昔のお役所気分の抜けぬ旧新日鉄では無理と思って市への提案もしませんでした。
昔は北門?を抜けた工員達が角打ちで力を付けて歓楽街に繰り出していたのに、その門も閉じられてシャッター街となった中央区商店街。
今度のスペースワールドの跡は多くの市民、福岡県民の存続の願いを無視して、イオンを中心すとる大規模なショッピングセンターと遊戯施設の計画とか。片側3車線の国道を隔てての中央区商店街のさらなる荒廃は目にみえています。
その旧新日鉄と大違いなのは北九州市起源の安川電機、現九州工大を建て、安川邸を北九州市に寄付。門司のレトロ地区美術館を残した創業者が福岡県出身の出光興産。
今までの話では自社の都合でお世話になった北九州市や多く居る同社の社員、退職者に大迷惑をかけるだけ、旧新日鉄は同市の繁栄のためもっと協力しても、長い眼で見れば同社にとっても損にはならないと思うのですが。
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
↓
政治・人気ブログランキングへ
政治ブログへ