戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずにお互いに自分の頭で考えましょう。
今日は子供の日なので表記のことを書いてみましたのでご参考までに。
私の子供時代は現在の北九州市の一部となっている旧八幡市、戦災と戦後の開発から逃れて、今でも残っていますが表通りから引っ込んだ路地裏状態の小さなコミュニティーで過ごしました。
その頃国道では市内電車とバス、馬車と牛車が走り、市道、県道では馬車と牛車だけ、子供たちが走り回って遊んでも安全てずが、唯一の危険は馬や牛の糞を踏みそうこと。
電機製品は電灯のほかは何も無し、掃除、洗濯、料理と母親の苦労は大変なものでした。
ラジオは物好きの父が鉱石ラジオを作る程度、子供にとってはそれに代わる楽しみと言えば本を読む事くらい。
でも今になって見ると下記のように子供時代からの読書の習慣の大切さに気づきます。遊びの中心は勉強など全く無縁の小学生以下で、今で言う(余り競争の厳しくない)旧制の高校生や中学生が時々遊びに加わり、自然と遊びの伝承が出来ていたようです。
雪遊び:当時は北九州でも良く雪が降りました。遊びは今と同じ雪だるま、雪合戦など、それに雪を踏み固めてのスケート遊び、と言っても勢いを付けて雪の上を滑るだけ。
子供の節句:どの家も貧乏で雛飾りも鯉のぼりも殆ど見かけませんでしたが、家では雛まつりでは甘酒、端午の節句には柏餅や粽(ちまき)が作られ、菖蒲の束を屋根を置き、風呂(私の家は特に貧乏で勿論銭湯ですが)には菖蒲を入れれるのが習慣で、どちらかと言えば男の子の祭に重点が置かれたようです。
新入生の歓迎遠足:学校では恒例の様に、今の新日鉄の中核工場のある、当時は白砂青松の中原(なかばる)の海岸へ遠足に行きました。交通不便のお蔭で当時の子供たちも片道2時間の道を良く歩いたものです。
子供たちは親から作って貰ったお握りを風呂敷で包んで、時代劇で見る侍のように斜めに背負って行きました。(卒業近くではリュックを使う生徒もいました。)
貧乏な私の家ではその時のおやつ代として5銭貰うのが決まりで、私は4銭で森永キャラメルのハーフサイズを2個と、残りの1銭で飴玉を買うのが楽しみでした。
螢狩り:当時はどこの川でも蛍が見られました。子供たちは蚊帳の中に放された蛍を見ながら寝ました。私も姉から習って藁細工の蛍籠を作ったものですが、草履、独楽の紐作りなどと同じようにもう忘れてしまいました。
考えて見ますと昔の子供遊びの伝承の大半は私たちの世代から消えてしまったようで残念です。
夏休み:勉強は宿題をするだけの子供たちは、毎日歩いて3~40分の所にある、灌漑用にせき止めた川の深みへ泳ぎに行きました。時には大きい子に連れられて、お握り持参で2時間以上もかけて海岸へ海水浴に行きました。
七夕:子供たちは各戸で買った笹竹に総動員で飾りを競い合いました。
それが終わると小さい子も年上の子から教えて貰いながら、七夕の笹竹を使って竹馬を作りました。その残りの部分は竹トンボや凧作りの「ひご」になりました。
起業祭:新日鉄の前身の八幡製鉄の運転開始記念日で、旧八幡市では最大のイベントで、親戚が皆寄り集まります。母は来客用に甘酒作りでおお忙し。市から配られた万国旗を各戸の軒下に張り回され、町の目抜き通りは万国旗の旗の波で埋めつくされます。学校も午前中で終わり子供たちは親に連れられて、中央会場の見せ物小屋や露天商を見に行きます。祭が終わると子供たちはその万国旗の旗を除けて、その紐(紡績糸と呼んでいました)を凧上げ用に取って置いたものです。
正月:年末には正月用にどの家でも餅つき。朝起きると枕元に新しい下駄が置いてありました。時にはそれが着物や洋服になることもありました。どの家も他の祝祭日と同様に日の丸掲揚。学校では皆が低頭する中を白手袋の校長が恭しく教育勅語を読み、全員で「年の始めの例(ためし)とて」を歌うと子供ながらも何だか正月気分になったものです。当時はまだ各戸に年始廻りのため名詞受けが置いてあり、学校から帰った子供たちは自分の名を書いた玩具の名刺を入れて廻るのを楽しみにしていました。
家や広場では(これだけは男女混合で、つまり他の遊びは男女別)双六やカルタ取りや百人一首。入学前の子供たちもそれで自然に覚えた仮名を知っているのを大人から褒められるのに調子に乗って取札の数を競ったものです。
外では子供たちは一張羅の着物や服を着て、七夕の笹竹から作った竹馬で遊んだり、その竹から取った「ひご」を使って作った凧を、起業祭の時の糸で揚げてその高さを競ったものです。
今から考えると自分から考えて竹馬や凧を作った昭和初期の子供、カルタでお覚えたひらがなついた大人の本が読めるようになる、勿論教科書など先生に習う前から読める一部の生徒。
テレビがあり、(苛めの手段ともなる)スマホを持ち、小学校でも英語、プログラミングもおしつけられる今の子と昔の子とどちらが幸福?
今文芸春秋で活躍している藤原正彦さんは小学校で重点を置くのは、一二も国語三四が無くて五に国語と言っているのですが。
それと自分で考えて遊びの道具を作りだす子供の未来!!!
少し考えさせられることもあると思われせんか?
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