戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
今日は日本軍の真珠湾攻撃の日です。それに関して以下のよう意見をまとめましたのでご参照ください。
「何故日本は無謀にも米国宣戦布告をしたのか」
当時の学者の指摘では当時の国民総生産、大砲・砲弾・工場の増産に繋がる粗鋼生産量はともに米国は日本の12倍。車の数、石油の生産量は日本の数百倍。
然し現実は軍は情報の軽視での米国への宣戦布告。その頃使われた言葉「大東亜共栄圏」、「八紘一宇」。当事者も心に引っ掛かりながら国民をその気にさせる標語。当時の「少年くらぶ」では「敵名か横断300 里」など勇ましい物語。
然しその前にも日本が戦争を思いとどまる機会があったのです。
1931年のリットン報告です。
当時は満州での関東軍の暴走に対して国連は反日一辺倒、米国主導のABCDライン(米・英・中・オランダ)による日本への石油封鎖の中で、国連はリットン調査団をアジアに派遣。その結論は「樺太、朝鮮半島、台湾、満州の既得権益は認めるが、(関東軍主導による)満州国建国などそれ以上の権益拡大は認めない」というもの。当時の世界の考え方はこの程度なら国際法違反にならなかったのでしょう。今となって見れば当時から軍部は関東軍の暴走に手を焼いていたのです。
その後起こった蘆溝橋事件から中国の戦地の拡大、1939年のノモンハン事件のあとの関東軍幹部の醜態を抑えきれない日本陸軍の幹部。戦線が伸びきった後の1941年のハルノートの要求を期にNHKや女性学者の言うように、情報無視の米国への宣戦布告。
私ども旧制の工業学校で配属将校に聞こえない所でこれで勝てるのかと心配しあったことを覚えています。
日本はその10年前の日本にとって最も有利な条件「にの1931年のリットン報告を受け入れなかったのでしょう。日本政府の判断を誤らせたのは眼に見えないが圧倒的な力を持つ国中に漲る山本七平さんの言う「空気」でした。それを増幅するのが「八紘一宇」などのスローガンでした。
「政策の検討ないまま?の民主党政権の誕生」
当時はNHKの慰安婦模擬裁判で安倍さん他から一本取られた朝日新聞中心の自民党の大臣の事務所経費処理不正の追求で自殺者が出る程。NHKの麻生さんの漢字の読み違いの追求。(なおこのころNHKもかなり片寄っていました。有名な池田信夫さんもこれでやめられた由)
それで外野の私が気がついたのが民主党の政策の批判の殆ど無い儘に民主党政権の誕生。
「素人ばかりの福島第一の事故調査団」
福島第一の事故に関しては管直人さんの暴走、細野豪志さんの本来安全基準の1mmシーベルトを退避基準にし、福島県人に余計な苦労をさせたこと、その反省から色々あって自民党に入党の件は省きます。
私は素人ばかりの政府派遣の「福島第一の事故調査団」に驚きました。その理由は「原子力村、原発安全神話」の反原発者の意見に沿った動きです。
私は多年化学工場の保全技術者として働き、九州の原発を見た経験から、原発の調査団に現場の判る技術者を投入すること、事故現場に入らなくても聴ける人、例えば当時「全員参加の生産保全」にも東電が入っているので、改善提案もしている筈なのでその人達の意見、事故後吉田所長に招かれた青山繁晴治さん、原発全体の設計をした大前健一さんの意見を訊くことと書き、自民党の現場の有力者に伝えましたが、当然のように無視。冷静なwikipedia は調査結果など完全に無視。そしてろくな調査もしないまま原子力委員会が無茶苦茶に厳しい規制。
「放射能とは無縁の東北の廃材処理運動を反対する団体」
福島第一の事故と同時に大きな問題が起こりました。その記事の一部です。
津波が宮城、岩手両県に残した2000万トンの瓦礫の処理の遅れによるものだ。現在までのところ、この瓦礫を処理しようとする取り組みは放射能への非合理的かつ過剰な恐怖のために阻まれている。瓦礫に含まれる放射性物質が安全基準値内にあるという明白な科学的根拠があり、しかも瓦礫が福島県からのものでないにもかかわらず、日本国中の自治体が瓦礫処理への協力を拒んでいる。
そこで出てきたのが山本太郎さんのアジ演説です。
記事が指摘するようにそれに協力する場所は限られています。詰まりどの場所も風評被害を恐れて協力した自治体は僅か数カ所。
その中で手を上げたのは環境都市を目指す北九州市です。瓦礫処理を協力の市長の提案に共産党もふくむ全員の賛成。
市が最初にやったことは現地での放射性物質なしの確認。それを積んだ貨物車に潜り込むと言う反対派のパーフォーマンス。焼却後の残差の放射性物質残差の確認、勿論ゼロ。
全体としての結論は私が何時も書く様に、世論に流されずに自分で考えること。
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追記: 北九州市内の旧八幡市歌、「天の時を得、地の利を占めつ、炎えんえん波頭をこがし、煙もうもう天に漲る」のように環境最悪の改善を日本で最初に訴えた北九州市内に住む普通の小母さん。これが北九州市が環境改善都市のトップを目指すようになったそうです。