戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
12月7日の新聞に文部科学省が教員の残業の上限を月45時間年360時間とする指針案を中央審議会に示したの報道が出て如何に教員の業務削減するかが問題になって居るそうです。
その論議されている対策と私の考えです。無条件賛成はOK、→以下は私の意見
・児童生徒の早朝登校を禁止OK
・休み時間や掃除の時間に地域人材を入れるOK→地域の人材の活用はいじめ防止の為にも必須→但し休み時間に地域の人が何をするのか?
・情報通信技術の活用OK→但し遅すぎる
・授業準備を手伝うスタッフの配置→それに伴う経費の捻出は?それより授業準備の資料の標準化と共有化、教師はそれに自分なりの考えを入れて標準のレベルの向上を図るべき
・登下校の見守り→地域の人のボランティアに頼る
・給食→今でも専門業者頼り
・昼食時間の食育→今でも教師の時間は殆ど取らない
・健康・保健指導→今までの体制の強化による教師の負担軽減
・カウンセリング→厳しいものは専門家と教師の協力
・部外者による部活指導OK→活動に素人の同然の教師が指導しても何もならない→地域の専門家→開放された学校→いじめ防止
・生き過ぎた部活の制限→事実上難しい→余所が制限しているのに、自校だけがこつそりやるなどありがち→対策は上部機関が細かく見るしかないがそれが出来るか?
・基本給+4%の給与形態→割り切って会社員と同様の制度にする→残業時間管理が良くなる
・膨れ上がった業務→日教組全盛時代の名残→報告書の減少→いじめ問題の調査などのように教育委員会など上部機関は必要な書類は自分で学校に出向いて自分で調査する→より正確な調査で、調査に現れない微妙な事も判る
・進路指導→進路に就いての相談は生徒を一番知って居る教師への相談は欠かせない。もしその中に受験勉強の指導があれば辞める→生徒自身に責任を持たせる。
「その他の教師負担の軽減策」
・小学校の英語、プログラミングの教育を廃止→その時間があればより基本的な国語、算数の教育に集中する。その成果が上がれば中学校の授業の余裕が出来る。小学校の英語教育反対の藤原国彦さんのご意見の「1に国語2に国語3 4が無くて5に算数」のようににより小学校で基礎的な教育を生徒に教え込む。
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「勉強の邪魔になるのに子にスマホ」
6月20日の読売の「編集手帳」の記事。中高生のネット依存症のは国内に52万人。厳しい情報社会で依存症になれば落ちこぼれは確実なのに何故スホを持たせるの?私の経験ではイジメは密閉社会に居るのが一つの原因。ネットと言う密閉社会でイジメが起こるのは当然。それでもスマホを子に持たせる?
「子にスマホ?何処に行ったか男親」
私の家でもそうですが家での実権を持つの母親。然し子供がしっこくスマホが欲しいと言ってつい負けるのも母親。いつもは蔭の薄いがいざと言うときは男親の出番。記事に書いた様にことを論理的に子供に言い聞かせるのが男親の責任と思うのですが。
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戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします「コミュニケーションの道具としての英語」
18才で会社に就職して通勤の電車に乗る間の暇つぶしに、会社の図書室から借りた文芸物を読むことにしました。然し往復で約1時間×約300日の通勤の間には自分好みの本は数年で全て借りつくしました。そこで思いついたのは読むのに時間がかかる英語の原書と言う何ともせこいアイディア。最初は一日半ページも進みませんでしたが、前に書いた計算のように転勤先のバス送迎の時間、外国出張の日を除いて「どうしても乗らねばならぬ交通機関」での読書の継続とは怖いもので、少しづつ読む速さが増してきて、いつの間にか、モームの文芸物、シャーロク・ホームズ、クリスティーの探偵物、通俗物のシドニー・シェルダンなど手に入る好きなものの殆どを読みました。60才ごろで冷やかしに昔の大学共通一次の英語にトライして見た所読みやすい学校英語の為か2回とも自己採点で95点、間違ったのは当然に発音に関する問題。この読書経験が思わない大きな影響を私の人生に与えることになりました。転勤先での英文の仕様書の取り組み、外国人技術者との対応、ブラジルなど三か国への長期出張、退職後の外国人技術者の育成応援のボランティア団体参加など。
「外国での経験」
・ブラジルでの経験
ブラジルの出張はスタートして直ぐに最初に起動する送風機が動かぬと言うのて私が呼び出されたのです。幸いに一晩の徹夜で無事復旧。お蔭で上がった私へ評価。最初の定期修理まで居れと言う会社の指示でとどまる間、お人好しの私は気づいた点は何でもカウンターパートの課長に提言。その総てが受け入れられました。課長の話が本社まで届いたのか、帰国前に会社の重役から私の意見を訊く会に呼ばれました。私は産まれ育った北九州弁丸出しの英語で約一時間、保全から見た次期建設の注意。国が進めているブラジル産機器採用の問題点。幾ら性能が良くてもブラジルの技術では故障に対応できないものは買わないこと。競争入札ではメーカーが受注のために予備品を必要限度以下に提出するので注意などの例を挙げ、そのために建設の時から保全のスタッフを投入することなど片言まじりに話ました。私は勿論このことは本社には内緒でしたが。海外出張者には始めてと言われる、出張先の社長から私への感謝状が本社に届きました。そして次期建設の準備では現地の保全担当者が私のいた工場に来ていました。
・イランでの経験
満期間近に会社の関連会社に出向した私の最初の仕事は新設のイランの工場への出張でした。
元の会社から技術指導チーム、出向先の会社から私をトップに現地の工員の技術指導のチームという元会社の立場から言えば万全の体制での出張の筈でした。
然し現実は元の会社の傘下の工場の設備をそのまま大きくした工場、元会社としては始めての老大国の英国の設備の購入したことなので故障続出。
技術指導チームにも保全担当も居ましたが未経験のことばかり、そのリーダーがブラジルで一緒になっていたこともあり、結局経験だけは長い私が先に立って仕事をする結果になりました。
例えば、英国製の小型ボイラーのハンドホールのパッキング面が荒仕上げのまま、それをグランド・パッキングで止める構造のため頻発する蒸気漏れ。明らかな手抜き工事。私はその部分を切除、フランジ付きの管を溶接、パッキングとめくら板で漏れを止めるという簡単な構造で切り抜ける。大型のポンプの電動機がの振動の原因は出向先の会社の工員による据えつけ不良と判り、ベッドの変形部分を足りない工具で修正、据えつけ直しなとなど。
その中で問題になつたのは多くの小型ポンプの振動と、メカニカル・シールからの漏れが止まらないこと。自分たちの責任は総てアラーの神の所為にするが、他人の責任は徹底的に?追求する国民性でついには工場長やテヘラン在住の日本人の取締り役を交えての大会議になりました。
私は技術指導チームのリーダーの依頼で、何時もの北九州弁訛りの片言英語で話しました。
小型ポンプは配管の影響でポンプとモーターとの芯が狂い振動が出ることが多いので、ポンプが停止毎にポンプと配管のフランジのずれがあれば直せば振動がなくなる。液漏れに就いてはどのような形の液のシール部も焼きつかないように内部の液で潤滑されている、だから目に見えない限度の漏れが出るのは当然。問題のポンプの液は外気に触れると固化するので漏れが目立ったり、いたずらすることになる。その為に蒸気を吹きつけるような工夫がされている。問題になったポンプは吹きつけ装置の位置がずれを直したり、蒸気の量が不足にならぬような調整をすれば次第に問題がなくなると話して皆の了解へ得ました。そして事実漏れの苦情はほとんどなくなりました。
両国での経験は、道具としての片言英語でも先方に通じること。そして話す内容とそれに対する経験と知見と言う材料がなければ喋れないことを示しています。
教師の負担増大。「授業とは直接関係ない」多くの報告。時間のかかる授業の準備。部活活指導のための教師の負担増。そして起これば深刻な影響のあるイジメ問題。児童へのプログラミング教育、そして英語教育の導入。
私のような北九州弁まじりの英語でもこれだけ話せるのです。多くの問題がある学校で教えるべきなのは話す材料だと思うのですが。
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追記:今まで自慢話めいたことを書きましたが、私どもがいたイランのキャンプで技術指導チームの保全のスタッフが私の部下を殴るという問題が起こりました。つまり私が顔なじみの同チームのリーダーの頼みにあつて担当の彼と相談無しに物事を進めたのに我慢できなかつたが、先輩の私に手が出せずに私の部下に手を出し可哀相に業務の最中に交代されたのです。一点集中型で周囲への気配りを良く忘れる私。叩き上げの初・中級管理職としてそれなりに仕事が出来たがそれ以上には不向きな私。その反省から関係者に迷惑をかけないよう、退職後の趣味のグループやボランティア団体でも何時も控えめにするよう努めてきましたし努めています。
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「子供時代の読書の大切さ」
前回は藤原雅彦さんが国語教育の大切さのご意見に関して、「コミュニケーションの道具と材料」の内その材料に就いて私の経験を書きました。今日はコミュニケーションの道具としての国語の基本となる読書の問題に就いて私の経験に就いて書いてみたいと思います。読みようによっては自慢話のように見えると思いますが、ご辛抱戴いて読んで戴ければ幸いです。
・昭和初期の子供達が字を覚えたのは正月のいろはカルタによるカナ文字。次に百人一首による平仮名でした。それで昭和初期の多くの子は小学生になる前から総ての本にふり仮名がついていたので何でも読むことが出来ました。それで日中は外で遊び暮らしていた私たちの夜の楽しみは読書だけ。当時はテレビ無し、ラジオも物好きな父親が作った鉱石ラジオだけ。中でも私は無類の読書好き。貧乏人の子沢山の家庭で、毎月の給料日に四人の男の子へ買ってくれた佐藤愛子さんの父親の紅緑さんの「一直線」や「ああ玉杯に花受けて」の少年クラブや、兄が余所から借りてきた譚海(たんかい)と言う勧善懲悪の講談本。私は兄が読み終えるのを待つか、寝るのを待ち構えて本を読みました。子供五人がごろ寝で、電灯が一晩中点け放しの家でしたから。それで私は小学校に入る前から殆どの本を読むことができました。小学校を出るころは母と姉の眼を盗んでの子供心にも妖しげな「人妻椿」のタイトルの婦人クラブなど手当たり次第。
だから今で言う国語のハナ、ハト、マメ、マスなどは私にとっては問題外、(サイタ、サイタ、サクラガサイタは弟の時代)。
それと入学前後で読書で自然と身についた物事の理解力、集中力で数学、理科、歴史なども学校の授業は予習復習なしで皆に就いて行けました。
唯、皆と同じに手を焼いたのは読書では役に立たない「九九の声」の丸暗記。
弱かったのは兄の得意の書道、図画、工作。
然し学校の生徒の評価は兄の得意な学科ではなく私の得意な分野だけ。
家に帰っての勉強は宿題を除いてはゼロ。何しろ勉強する時は腹這いか、皆で使うちゃぶ台だけ。親から勉強しろと云われたことなし。それでも貧乏で中学受験のできぬ私が受験する子の横に坐らさせました。何かと相談に乗れと言うのです。
高等小学校卒業間近に担任の先生から急に工業学校に進学を勧められ親もそれに同意。受験勉強なしに受験したのに、結果は9倍の倍率の中何と合格。
然し調子が良かったのはそこまで。理由は英語、技術的な専門教科はそれ迄の読書力が活かせなくなったのと、皆徹夜を厭わない学期試験への受験勉強をしたのに、勉強の習慣のない私。慌てて夏休みに英語の勉強のし直し。何かして学級の中位程度に追いついたのがやっと。
「今の小学校の現状」
私がイランに居た当時部下が「漫画を読む」と言ったのに驚きました。漫画は見るものと思っていたのに。世の中は本を読むより見て直ぐ判る漫画 を読む時代になったのです。それと本のように集中しなくても判るテレビの「ながら勉強」の出来る時代。
そして「勉強の邪魔になるよう子にスマホ」の普及。政府は初等教育の無償化を進めているのに親は子のスマホの為に月に1万円近くを使うヘンテコな今。昔人間の私は子の願いに負けて母親がスマホを許しても、子の将来の為に絶対に持たせないのが男親の勤めと思うのですが。
私の経験のように読書による児童の理解力、集中力があれば授業も遥かに楽になるし児童の成績も、授業のコスパが上がるのにと言う教師、児童にとって不幸な時代?!
勿論多くの小学校で読書の時間を設けていますが私の子供時代の読書量に比べると「やらないより増し」の効果しかないようです。
小学校には多くの問題が云われています。
教師の負担増大。「授業とは直接関係ない」多くの報告。時間のかかる授業の準備。部活活指導のための教師の負担増。そして起これば深刻な影響のあるイジメ問題。一方的な思想に囚われた日教組の存在。それに取って付けたような児童へのプログラミング教育、そして英語教育の導入。
政府がやらねばならぬのはまず日教組でゆがめられた学校業務の合理化、児童の読書の習慣化、そのためスマホの禁止、そして新しい学科の採用の要否とその優先度の見直しだと思うのですが。
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「漢検1級の本を見て気づいたこと」
最近本屋で漢検1級の本を見ていて気づいたことがあります。
例えば「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」と言う難字を何時覚えたかと言う問題です。勿論このような難字は滅多に出ない字ですから、書くことは出来ませんが読むことと意味は理解できます。なお上記の本の新聞など時々出る難字の読みの30問の練習問題を見ましたが29問は読めました。
これだけ書くと私が抜群の記憶力を持つように見えますが、人の名を覚えるのが苦手で何時も失敗しています。強いて言えば昭和初期生まれとして普通の人の読書量より私のそれの方が少し多かったのかも知れません。
「私の読書経歴」
昭和一桁の時代の本は殆どすべての漢字にふりかながついていました。だからカルタで覚えた平仮名の知識があればどんな本でも雑誌でも読むことができました。私の子供時代では日中は学校の宿題や予習そっちのけで晩まで遊んでいました。然し夕食後の娯楽と言えば鉱石ラジオもやっとでしたから本を読む以外に暇をつぶすしかありませんでした。当時は少年クラブなど子供向けの本と勧善懲悪の講談本(羹に懲りーの字とその意味を知ったのは、講談では難しい言葉をかませ後で優しく言い換えるのが普通なので、講談本で覚えたのかも?)。それでも足らず親の眼を盗んで「人妻椿」など子供の眼からみれば妖しけな題の婦人雑誌までと言う文字通り乱読でした。小学校、高等小学校時代は殆ど勉強はせず手当たり次第の本ばかり。旧制の工業学校に入るころは前記の本を卒業。時々覗き始めた新聞。昭和17年に入社してからは会社の図書室の文芸物。20歳を過ぎてから八十歳まで英語の原書に切り替わりましたので、それ以後の日本語の読書は新聞を除いて殆どありませんでした。つまり上記の漢字や練習問題の漢字は20歳過ぎになるまでに覚えた確率が高いと思います。
「幼・少年期の読書の良かった点」
私の経験から感じたことです。
・読書により授業中に必須の集中力が養われ、読書で得た知識が活かされる。(テレビなら観ながらでも他のことが出来るが、読書は集中しないと読めない。)
今の小・中学校などの国語・歴史・社会・理科など一般学科は読書により積み重ねた知識と集中力があれば授業の内容は理解でき、少年時代の柔らかい頭ですぐに覚えられるし忘れない。書き取りなど除いて試験・受験勉強なしで程々の成績が納められる。但し数学だけは工業学校に入学(*注記参照)して受験クラスいた人を見て感じたのだか、中学以上は問題の解き方、計算、文字式の変換などはスピードも要求されるので練習も必要。試験の時はそれで生み出した時間を読書で得た読解力を活かせる応用問題に注ぐ。
「幼児からの読書の習慣を着けよう」
然し今の少年・少女を取り巻く環境は激変しています。
皆が行くから皆高校に行く、行くとしても良い学校に行かねば、ろくな大学に入れない。良い大学に行かなければ録な就職先もない。下手すれば大学を出ても単純作業の非正規社員になるかもという厳しい環境です。それで小学校から偏差値に象徴される生徒への締めつけ。
国でも現在は例年の小学校6年生の国語、数学の学力テストとその成績の発表があり、学校にハッパをかけ、新聞も如何にして学力を挙げるべきかを書いています。
・勉強の邪魔になるよう子へスマホ
小・中学生を待つ厳しい将来、そのために学校の偏差値などの締めつけなど子供を取り巻く厳しい環境のなかで、小・中学生の家でのスマホの使用時間1~3時間。某テレビの娯楽番組でスマホを持つ人または持ちたい人が全体の65%も。昭和初期より遥かに厳しい環境なのにスマホで時間を潰すなど、当時生まれの私からみれば世の中はどうかしているとしか見えませんが。
おまけにスマホによる非行、イジメなど多くの問題が頻発しているのに。
・男親無視二時間も子がスマホ
私の家でもそうですが、どの家庭でも事実上妻が主導権をもっていると思います。然し女性は優しくて子供の無理な願いについ受け入れる人も多いと思います。
昭和初期の悪い癖で、こんなときこそ男親の出番だと思うのですが、今子供の将来を取り巻く環境が如何に厳しいか、そのため今何をすべきか、スマホを持たないために起こるかもしれない問題をどうして避ければ良いかなど論理的に話せるのは男親であり、そうするのが男親としての責任だと思います。
何時間もスマホを扱う時間があれば、その時間に頭の柔らかい幼児、少年・少女に読書習慣を身に着けさせて置くべきだと思うのですが。
*注記:私が家で勉強も全くと言って良いほど勉強せにず旧制の工業学校に入学できたのは環境の問題があります。
当時は進学出来るのは金持ちの子、その中で頭の良い子は公立、そうでない子は私立、貧乏な子は高等小学校と決まっていたので、遊ぶ時間はいくらでもありました。
つまり小学校、高等小学校、旧制中学、今の高校のレベルも今に比べて低かったのです。
たまたま姉、兄が就職して得た金で少し家計が少し良くなったこともあり、そのようなのんびりした時代もあり、多分、人より多い読書量で得た集中力と知識だけでも受験勉強も殆どせずに工業学校に進むことが出来たのです。
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いじめの発生は仕方がないと諦めたように見える学校や地域社会。学校やクラスの閉鎖化防止。弱いものいじめや多人数で一人の子のいじめは人として恥ずかしいものだと言う教育の強化。
「九州男子」
私は川柳のクラブ誌で次のような事を書いたことがあります。(括弧内は今回の注記)
北海道から(北九州市の)折尾に来た若奥さんの「九州男児は強いと聞いていたが、近所のどの家庭でも女性の方が威張っているのは何故?」の質問に私は言った。「同じ親から生れるのだから、男が強ければ女も強いのは当然だ。それと口論のとき九州の男は体力の弱い女に腕力を振るうなど男の恥と思っている。だから口数で勝る女が家庭ど主導権を握るのだ」。
川筋生まれの高倉健さん(注記)もテレビの追悼番組で言っていた。「九州では男が弱くて脆い女を苛めるなど草野球のように「ミットもない」と言われていることを博多生まれの癖に知らぬのか」と武田鉄矢さん演じる男に言っていた。(この台詞は明らかに健さんの考えを入れたもの)今、いじめ、DV、幼児虐待、少年少女殺害など弱いもの相手の事件の報道が絶えない。私は九州ではこんなことは殆どないと思いたいのだが。
注記:筑豊炭坑が盛んだったころの遠賀川周辺には炭坑で働く人独特の気質があり川筋生れと言う言葉が生れました。なお高倉さんは筑豊地方の中間市の生れです。
「いじめがない学校の特徴」
私も今もそうですが「冴えない」少年、貧乏人の子で継ぎ接ぎだらけの服で苛めの対象になっても可笑しくない子でしたが苛めを受けたこととは全く記憶がありませんでした。川筋の若松で育った家内にも訊くと同じ答え。
旧制の工業学校時代でも当時硬派と呼ばれた生徒たちが、他校の生徒と毎日喧嘩をしても、友達に手を出すことは絶対にありませんでした。
つまり弱い生徒に手をだすなど、硬派の生徒の沽券・プライドに関わると思っていたのでしょう。 この貧弱な経験をネットに書いたところ早速藤村の「夜明け前」を見ろ」など、幼い子供の社会では自分が気付かずに気に入らない生徒を除け者にしたこともあったのではないか、など当然なコメント。
そう言えば団地でも問わず語りに若いころ苛めを受けたことを話す友達が二人。
それで私なりに考えて見ました。
・九州男子に象徴されるように男の子には男らしく、女の子には女らしくと言う躾けがされていた。
・私の通った旧制工業学校は現在の北九州市の八幡東・西区の境界近くにあった。八幡東・西区、戸畑区には当時の現在の新日鉄を始め多くの工場次々に建設され多くの人が流入。地域の人もそれを受けいれる風土があった。
・高倉さんの生れた川筋も炭坑での職をを求めて多くの人がきていた。
・家内のいた若松区も石炭の積み出しが盛んでやはり川筋と言われていた。
・全国の県民性を纏めた本によると、福岡県でも北九州市の西部、筑豊地方の人達の開放的な性格。
・いじめを受けた団地の友達は閉鎖的な農村出身者。
・戦後「教育独立」の機運で学校がいつの間にか閉鎖社会を作っていた。その象徴が一般社会では考えられない、日教組の校長の吊るし上げ。
・娘が教師になった当時いじめ、荒れた学校が多く四月発表の教員の転勤報道で何時も私の娘が何処に移るか心配していたが、教頭に昇格した転勤したやや小さい小学校ではこう言ったトラブルが全く無かったので安心したこと。その小学校の特徴は開放的で地域の人達との緊密な連携。
それで得た私のいじめ防止の結論です。
「いじめ防止の対策」
・学校では最初に書いたように男は男の良い所、女は他への思いやりや気配りなど女の良い所を教えてそれを活かすこと。男・女の生徒はともお互いにその良い所を見習うことを教える。
・弱いものいじめは男女の生徒とも人として恥ずかしい行為だと教える。
・いじめの問題が起きたときは生徒全員を一同に集め、(所謂チクリした生徒へのいじめ防止のため)誰とは特定せずに全般的な問題として、弱いものいじめや多人数の人で一人の生徒を苛めるのは、人として恥ずかしい行為だと徹底的に教える。(旧制の高等小学校で生徒が弛みかけてときに行う「講堂修身」と言われていたやりかたです)
・学校を地域の人に開放する。
・休み時間などは低学年と高学年の生徒が一緒に遊ぶ様にするなど、クラスの閉鎖化を防ぐ指導をすること。
・学校内外で暴力事件が起こり学校では手に負えないときは警察を導入する。そして学校も生徒も治外法権でないことを教える。
「私の提案の問題点」
学校やクラスの閉鎖社会化の防止は問題もあるかもしれませんが誰でも賛成すると思います。
・男女の良い所を活かし、その良い所を認め合い、見習い合うと言う教育は多分今までの男女平等の教育の流れから言えば反対と思います。
然し男女平等の教育が所謂草食系の男を産み、母親の言うことの聞かぬ子へ父親の一喝、拳固一発の昔では考えられない男親の陰湿な幼児虐待の続発の社会を産んだのも事実です。
・弱いものいじめ、多人数で一人をいじめるなどは人として「卑怯」「恥ずかしいこと」の考え方を学校で受けいれられか。
然し現在はいじめられ子への対処法ばから言われ、どうすればいじめ防止ができるかの議論がなおざりにされているような気がしてならないのですが。
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・民主党政権の子ども手当てとの違いは・若い女性が希望し経済成長にも繋がる育児関係設備の増強を
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幼児教育の無償化検討…3~5歳の保育料が軸
政府は、2013年度から幼児教育無償化に向けた本格的な検討をスタートする。
有識者会議を設置し、時期や対象施設、予算の確保策などの具体案を同年度中にまとめる方針だ。
無償化は子育て世帯の負担を軽減し、少子化対策につなげる狙いがある。
有識者会議は、3~5歳児が通う幼稚園、保育所、認定こども園の無償化を軸に検討を進める見通しだ。この場合、必要となる予算は年7900億円程度と見積もられている。政府と自治体の負担割合も含め、予算の確保策が最大の焦点となる。政府・与党内には、5歳児に関わる教育のみ無償化する案も出ているが、この場合でも年2700億円程度の予算が必要だ。
[私の意見]
・幼児教育の無償化に対しては基本的に反対です。
その理由は
・民主党政権時代にばら蒔きと自民党が批判していた子ども手当てと良く似ている。
・子ども手当ての話が出たとき該当する若い母親から、それより出産、育児のための支援設備の強化を求める意見が多かったこと
・子ども手当てに対して財政が厳しいなか、自民党は所得制限を付けるべきだと主張、同意見の党も多かったこと。
今朝の新聞では文科相か幼児保育をする家庭はおおむね収入の低い人が多いから、所得制限を求めないと言っていましたが、子ども手当て支給の該当の家庭の収入が急に増えるわけはないので、当然に野党や血眼で安倍政権のアラを探しているマスコミから批判がでるのは判りきっています。
・その対案として私は幼稚園、保育所、認定こども園の規制緩和と、増設による待機児童のゼロ化を提案します。
その理由は
・前述のように、該当する家庭、特に女性のニーズに応えること
・幼児教育の無償化の目的とする少子化対策としては上記設備の強化の方からより直接的効果的であること
・必ず起きる所得制限の問題がなくなること
・女性の社会進出が容易になるため少子化の伴う労働力の不足を補えること
・設備の増設は雇用の増加に繋がること、特に女性の雇用機会の増大に繋がること
・雇用の拡大→消費の増加→GDPの増加に繋がること
・安倍内閣の成長戦略の為の投資の拡大と言っても当面の問題として、笹子サンネルに象徴される今までのインフラ設備の強化と言う一時的な需要を満たすだけに終わるが、上記設備の増設は将来の経済成長に繋がる
前回書いたように将来の経済成長に繋がる高速道路の新設など自民党流のばら蒔き批判は間違いなく出てきます。
一方育児関係施設の増設に反対する野党、マスコミはほぼいないのも確実です。
特に都知事時代の駅前保育所の案を官僚に潰された石原さんと彼の率いる維新の会が賛成に廻るのも確実で、外野から見れば小さい話ですが、安倍さんの維新の会引き込み、野党の分断戦略の足しになるのも間違いないと思います。
なお今日のタイトルと違いますが、
・石原・橋下維新の会、渡辺みんなの党を巻き込んでの官僚政治打破、公務員制度改革
・高齢者向施設の待機老人ゼロ
・幼児・高齢者向き施設の常勤職員の家庭を持てるまでの何らかの形での金銭的支援
・高齢化を見据えた現役時代からの健康管理による医療・介護費用の削減、その足を引っ張る従業員使い捨ての「ブラック」企業の締めつけ
・自民党で検討中と言われる一般企業の非正規社員の正社員化のための法人税減税
などの自民党の成長戦略の一環として考えて貰いたいものです。
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東京都教育委員会の君が代の起立斉唱命令に従わなかった教師に対する、戒告や減給、停職の懲戒処分を受けた教師たちが、それぞれ、その取り消しを求めていた訴訟で判決がでました。
その判決は
・君が代の起立斉唱命令に従わなかった教師に、減給以上の重い処分を行う場合は慎重な考慮が必要だ。
・戒告処分については「裁量権の範囲内」だ。
・過去に卒業式で国旗を引き降ろすなどの妨害行為に及び、何度も減給などの処分を受けてきた元教師に対しては、停職を認める
・補足意見:不起立と懲戒処分が繰り返される事態の解消に向けて、全ての関係者による具体的な方策と努力が必要だ
これに対して読売新聞はその社説の
国旗・国歌訴訟 最高裁判決で混乱収まるのかで次のように指摘しています。 (括弧内は私の意見です。)
式典のたびに違反を重ねる行為のペナルティーとして、半ば機械的に、減給や停職といった重い処分を科していくことは裁量権の範囲を超えて違法になる、との判断を示した。 (ツイッターでは多くの人達が橋下さんの教育条例制定を狙ったものだとツイートしています。)
処分の行き過ぎに歯止めをかけたものと解釈できるが、これで式典の混乱が収まるのかどうか、疑問も残る。教師が「違反しても重い処分にはならない」と受け止め、不起立や斉唱拒否が続くことにならないだろうか。
桜井龍子裁判官の補足意見は当然で、教育現場は耳を傾けるべきである。 (然し不起立する教師は確信犯ですから、上記のような読売の心配は続くでしょう。)
学校の秩序を著しく害する行為を重ねた場合、停職という厳しい処分にするのは当然である。
そもそも学習指導要領は教師に対し、国旗掲揚と国歌斉唱を指導するよう定めている。入学式や卒業式は、国歌への敬愛や斉唱の意義について、児童・生徒の理解を深める貴重な機会でもある。
にもかかわらず、長い間、一部の教職員組合が、「反国旗・国歌運動」を展開し、教育現場の秩序を乱してきた。
グローバル化が進む現代社会において、子供に自国や他国の国旗・国歌に敬意を表すという国際常識を身に着けさせるのは、教師の義務だ。教師が式典で模範を示すのは当たり前のことだろう。
[私の意見]
・教職員へ
橋下さんの言うように教職員は公務員ですから、地方自治体の規則はたとえ嫌でも護らねばなりません。
公務員は昔の兵隊のように徴集されたものではなく、本人の自由意志で応募したものですから、最初から応募しなければ良いし、後で辞めるのも自由です。
また地方自治体の規則が気にいらなければ、規則を変える運動、民主主義ですから議員首長を選べば良いのです。
それで失敗した以上は、教育者として児童・生徒に模範になる行動をすること、詰まり自治体の規則に従うしかありません。
私は教師としては自分の意志を貫くより、自治体の規則に従うのが優先すべきだと思うのですが。
だから幾ら心の中で国歌・国旗が反対としても先ず規則にしたがって行動すべきで、前記の選挙で失敗したのなら、規則の不合理性を裁判に持ち出して争うべきです。
また、もし国旗や国歌が嫌いなら、その対案を出すべきです。
・政府・地方自治体または教育委員会へ
読売が指摘しているように、グローバル化が進む現代社会において、子供に自国や他国の国旗・国歌に敬意を表すという国際常識を身に着けさせるのは教師や教育委員会の義務だと思います。
その点から言えば同じ学校で、外国人の子弟や教師がいれば、その国の国旗掲揚と国歌の演奏をさせ、その後に日の丸掲揚と君が代の演奏をさせてはどうでしょうか。
普通の人なら、特に教師なら生徒の目の前では、たとえ米国・中国・韓国が嫌いでも、自分の意志に反してでも起立すると思うのですが。
それでも日本の国旗・国歌のときだけは起立しないのでしょうか。
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先日のテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」で就職氷河期の問題で、解説者が大卒の就職内定率が低いと言うが、実際の就職者数は前々年より前年の方が上がっている。
それは業界の希望する人材とその数と、それ応えるべき大学のミスマッチで、特に文科系にその傾向が強い と言っていました。
つまり大学全入の傾向に伴う過大な大卒の就職希望者数に問題があるというのです。
この問題に就いてネットで調べて見ますと、大学進学希望者全入時代、大卒就職希望者就職内定率最悪についてどう思いますか?と言うQ&Aのサイトがあり、現役の大学教員をしていると言う人から次のようなコメントがベストアンサーに選ばれていました。
・教育の送り出す人材と、産業のもとめる人材の間にミスマッチが生じている
・高校卒の進学率が上がったのは生産現場の自動化やロボット化が進み、必要な人数が減っている
そのため、大学へ進学するが、大卒者の必要数もそれほど増えていないため、現在のような就職難が発生したのではないか
・日本の産業構造を考えれば、30年前とそれほど大きく変化していないのに、理系の卒業者数に比べ文系の卒業者数は圧倒的に増えている。
それは大学の経営的に設備費やランニングコストのかからない文系学部の新設が多くあった。
それにより文系学部卒の学生の就職先は、これまで高卒向けであったものも含まれてしまい、そのため高卒後の就職先が無くなるというと悪循環を起こしている。
・工学部や他の理系学部でも、近年の科学技術の発達にともない、大卒では最先端ヘ達することが困難になり、大学院への進学があたりまえになりつつある。
一方、文系学部では、大学院への進学は「就職の妨げになる」との風評も出てい。これは文系学部卒業生の「大卒以上レベルの社会の必要人数」が以前に比べて増えていないことを、暗に示しているのではないか。
・このような状況が学生の勉学の意欲を削ぎ、レベルを落としているのではないか。
加えて「ゆとり教育」の悪影響だろうか、学習意欲レベルの低い学生も多くなり、「大学卒の資格さえ取れればいい」と思う学生が増えているのではないか。
・加えて、労働は「権利」ではなく「義務」であるということを理解していない。あるいは「職業選択の自由」の意味をはき違えている(職業選択の自由を勝ち取るためにはそれに必要な技能を身につけることがもとめられるという義務をともなうことを理解していない)学生が多く見られる。
・まじめにきちんと大学や大学院で自分の能力を伸ばす努力をしている学生は、大変だが就職できない状況ではない。その辺は、企業もしっかりと人を見定める努力をしていると思う。
「ゆとり教育」の批判に就いては少し脱線気味ですが、それを含めて現在の教育や大学の在り方の問題点をズバリ突いたコメントだと思います。
それに対しての民主党政府の(どれと言って宛はないが余所が行くからとりあえず普通科でも入っておこうかと言う生徒のいる)高校までの無償化の考え方は、ただでさえ多すぎる大学への進学者数の増大を応援するようなもので、テレビ東京の解説者や大学の教員の方の指摘する方向を助長するようなものです。
そして上記の問題点を踏まえた現実的な対策は、
・文化系の大学への一律の補助金を見直す。 (文科系本来の目的の阻害しない程度に)
・その分を理科系の大学に廻す方向で見直す。 (現に今回の共通一次テストでは理科系への希望者が増えているそうです。)
・高校無償化も普通科設置校への補助金を見直す。 (就職に直結する学科へはレベルの維持か増やす)
・見直しの基準として高校の場合は中学校での全国学力テスト、大学の場合は学力一次試験で一定の点数を獲得した生徒、学生の入学者の全学生に占める割合でを考慮して、補助金の支給額を増減させる。
高校・大学の場合は各学科に必要な基礎学科は上記テストの必須科目として、評価の対象とする。
・大学の最終的な評価は卒業生の社会での活動実績に依るのが正しいが、事実上困難なので、受験者の大学の(例えば官庁への採用数の多い東大とか、理科系ではどの大学が強いかなど)選定に任せる。 (詰まり(今回のテーマで言えば就職で)人気の悪い大学は自然淘汰される。)
私の提案は少し乱暴な所もあると思いますが、韓国が優秀な学生に440万円を支給し、特別チームの指導・助言も受けられるのに比べると、日本の高校の無償化は、選挙で民主党に有利な点を除いては、余りにも手ぬるい、的外れ、無駄遣いのような気がしますし、少ない財源からみても、もっと思い切った対策を取るべきだと思います。
もう一つの問題は大学の教員の方も指摘されて居ましたが、就職難に伴う教育の問題です。
菅さんは、 (最近すっかり言わなくなりましたが)雇用増大→需要増大→景気回復を唱えていました。
たしかに、リクルート社調べによりますと、5,000人以上の大企業の求人倍率は0.47倍ですが、300人以下の中小企業の2011年大学新卒の求人倍率は4.41倍と高いそうで、大卒の人がその気になって中小企業にチャレンジすれば、菅さんの言うように雇用も増大する可能性はあるのですが、問題は大卒者がその気になればなんとか成りそうですが、高校までの教育の問題が大きく関わっています。
私などから見れば中小企業に入っていきなり大きな仕事を任されるのは、大きな生き甲斐を感じると思うのですが、高校迄の教育でチャレンジ精神が乏しくなったのと、不景気の影響で皆安定指向で大会社に殺到し、就職氷河期と言われるまでになっています。
良い会社や官庁に入るなら、それなりの素質があれば猛勉強をすれば済むことです。
然しゆとり教育と、その名の元での(夏休み、春休みなど既得権に加えて)教職員の土曜日の授業放棄、それに伴う塾の増加と教育費の増加、横並びの教育、優しすぎる教育が、勉強の意欲を無くし、社会での競争に耐えられない、ひ弱な安定指向に走る学生の発生など大きな問題になっています。
そんな事は判っているのに、そのような教育をしてきた日教組を支持母体にし、本流の人達と考えと全く違う社会主義思想の社会党出身者、財源がないと判っているのに依然として(勉強の意欲の高い生徒も遊び呆けている生徒にも、所得制限も無視し)公平?なばら蒔き政策を推進せよと言うグループを抱える民主党政権。
一方、重点的ににポンと金を投げ出す韓国政府や、ハングリー精神豊富な韓国学生。
このままでは日本は似た国情を持つ韓国からかも益々置いておかれるような気がしてならないのですが。
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今年の全国学力テストも例年と同じにほぼ同じに
・ベスト・ファイブ:秋田・福井・富山・石川・山形
・ワースト・ファイブ:沖縄・北海道・高知・大阪・岡山
の結果に終わりました。
この件でネットを探していたところ「教育毒本」と言ういかにもおどろおどしいタイトルのエントリーをみつけました。
著者は大阪府居住の現役教師で、08年の学力テストの結果についての意見です。 (少し長いですがユニークな意見なので終わりまで読んでいただければ幸いです。)
・大阪府が下位にとどまっている根本的な理由は、教育委員会をはじめ俺達教師もちゃんと分かっている。ただ、諸団体からの圧力や、自分で自分の首を絞めたりして、それを語ることはタブー視されてきた。結局は、臭い物にフタで問題解決を先送りしてきた感もあるのだが、教育だけで何ともできない部分が多いのも事実。
・特定の地域や層は、学校や勉強どころではなく毎日の生活に精一杯。今日一日をなんとかしのぐことが最優先なのだ。そんなもの、大阪に限らず全国あちこちにあるわけだが、決して均一ではない。西日本、特に大阪に激しく集中している。
・その地域を切り捨てれば平均点は一発で上がる
・教育の力だけでこの地域差を何とかできると思ったら、それは大間違い。
そんなもの教育素人の幻想にすぎない。勝手なときだけ教師の力を過信してもらったら困る。
・橋下知事も文部科学省の偉い人たちも、そういう公教育の薄暗いリアルはご存じないまま、現場に責任をかぶせて世の中を動かそうとしている。素人の思いつき暴言で簡単に改善されるほど、世の中は甘くないんだがな。
・要するに、学力の差は学校や教育委員会の責任だ、という(産経新聞の)論調だな。
宿題を出さないことや、夏休みの補習などを行っていることが、地域の格差につながった。
そしてこれは「教師が独り善がりの授業」をすることや「競争や評価を嫌う体質」がまねいた結果だそうだ。だから沖縄や大阪は順位が低いと。
・もちろん教師や教育委員会が改善すべき点はいくらでもある。
そして俺達の力ではどうにもならないシステム上の問題や、予算がらみの行政レベルの問題も。
今回の記事では、沖縄は学校が宿題を出さないから成績悪かったという言い方をしている。
そういえば、俺もほとんど宿題は出さないんだけどな。
宿題は、やるのが当たり前という前提なので、やってこない者が多いと授業が成り立たない。
だから出来るだけ授業の中だけで完結するようにして、宿題は出さないというのが最近の現状だ。
ただ、沖縄に限ったことではないが、過去には宿題を出せる雰囲気でない時代もあったんだぜ。
家で勉強できないような環境の子もいるから、それで宿題を出すのは人権問題だとおっしゃった団体があったんだから。
・ (前回のブログで)家族失業率と成績が相関関係にある話を書いた。
・家庭の経済環境を端的に示す数字が生活保護率。
今度はこの生活保護率と全国学力テスト成績との相関関係をグラフにしてみた。
釧路市、大阪市、高知市と、いずれも学力テストで下位だった地域だ。ちょっと読んでみると教育どころではない実態が良く分かる。
その中から大阪市について一部引用してみる。
生活保護率:39.0%、被保護人員:102,616人、 被保護世帯数(世帯)、生活保護相談件数(H16年度): 65,879件、新規生活保護申請件数(H16年度): 23,629件
俺が言いたいことは、たとえば大阪なんてけっこう大変な所なのよ、ということだ。
生活そのものがやっとでは、教育にお金をかける余裕はもちろんないし、中学、欲を言えば高校まで無事卒業できれば上等。成績がどうこうなんて、そんな腹のふくれないモノ興味なし。
昔は、だからこそ勉強をして這い上がるという夢があって、実際そうやって生活を向上させた。
だが、今は違う。二極分化、そして下流が親から子に遺伝する時代だ。
・産経新聞はこういうの分かって物を言ってるのか?
「もちろん学力差の要因はこれだけではない。教師の指導法や学習環境、学校教育以外の地域状況などさまざまだろう。」などと書いているが、論調の体裁を整えるために、申し訳程度につけたしただけだろうと想像がつく。
こういう根深いところにある問題に目を向ようとせず、データの意味が読み取れないからと、安易に学校や教育委員会の責任にして叩いて終り。話題性だけ煽って盛り上げたつもりが、実は誰も本当の意味が読めないまま関心を失って通り過ぎていく。こういうのを空騒ぎという。
・想像で原因を推測することは出来るのだが、それを立証するとなると難しい。
それが分かったら、ひとつひとつ対策をしていけば、良くなっていくはずなのだが・・・
・報道はもう下火だし、結局、話題になったのは都道府県別順位だけか。なんだかなあ。
[私の意見]
著者から批判された産経新聞の今年の「全国学力テスト」の社説
の中で著者の指摘した部分に就いては次のように書いています。
秋田、福井など上位校は宿題など家庭学習もきちんと行われ、地域が教師を信頼し、協力しあう態勢が共通している。上位校に授業方式などを見習い、平均と比べ成績が悪い学校が家庭に呼びかけ、地域をあげて学力向上に取り組み始めたばかりである。
そして昨日か一昨日のテレ朝の「スーパーモーニング」でも秋田の家庭の早寝早起き朝御飯の習慣、三世代の家族、健康な地域社会などの例を上げ、鳥越さんが正に昔の家庭や地域社会がまだ秋田に存在していることが、例年の好成績を示す原因だと総括していました。
少なくとも教育環境に就いては、正に著者の指摘したのは正しいと思います。
荒れた家庭
然し著者は「俺達には、滞納された給食費を徴収する権限すらないんだから(笑)」
と嘆いていましたが、給食費を払わない家庭を作ったのは、戦後以来の日教組主導の、国民に権利はあるが責任も義務も無いと言わんばかりの教育で、我がことはさておき他人に自分の権利を主張する子どもを作り、それが親になった結果だと思います。
貧乏と学業成績
著者は大阪には貧乏な家庭が多いのも原因の一つと指摘していますが、私の子ども時代の私の家庭もそれこそクラス内で最低の超貧乏でしたが、それでも何とか小学校では上位の成績を占めていました。
その理由は娯楽と言えば、鉱石ラジオがあるかないかの時代で、唯一の楽しみ、そして情報源は雑誌や講談本でしたが、私の無類の読書好きだったことが、何とか上位を占めることができた理由と思っています。
ただ今の子どもにとってある意味で不幸なのは、著者の言う保護所帯でさえテレビの一台はあり、子どもの関心がそれに逸れることです。
それと携帯など子どもを取り巻く情報が溢れ過ぎて、学校で新しいものを学ぶ好奇心や集中力が阻害されることです。
然しこれは学校、地域、教育委員会で協力すれば、 (現在学校で良く行われている読書活動のように)克服出来ない問題ではありません。
宿題やテストの意味
著者は他の問題では威勢のよいことを書いていますが、宿題を出さぬことは少し言い訳がましい書きぶりでした。
私は宿題やテストに就いては子ども時代から、特に(引っ込み思案の子や授業について行けない子が授業中に挙手して発表しない)子どもが本当に判っていないのかを知る知り、次の授業に反映させ、落ちこぼれをなくす唯一かもしくは最高の手段だと思って居ます。
これがいつの間にか、試験は子ども達に順位を付けため、宿題はそれによい点を稼ぐ手段として、何だか悪いことのように、思われ少しでも教師の労力を減らす言い訳の手段になっているような気がします。
落ちこぼれの防止より教師の労働条件を良くしようとするのは、教師としての サボタージュとしか考えられないのですが。
そして全国の学力テストは、著者が指摘した上記の問題の解決や教育方法の改善のために、是非必要で、読売、産経が主張するように全国一律のテストに戻す必要があると思います。
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