1000万ドルの夜景
稲佐山から一望する長崎市街の夜景
生まれ育った町は、いろんな表現をされる。
「異国情緒」あふれる町、「和・華・蘭」が入り混じった町、さらに「坂の町」、
もう一つ加えると「雨の町」、もっともこれは前川清が
「今日も雨だった」と歌ったからに過ぎないのだが……。
さだまさしや福山雅治、もっと古くには美輪明宏を生んだ町。
お分かりのように、この町は長崎である。
その町に40年近く住んでいた。心から切り離せない故郷。
生まれたのは、中華街・新地だった。
その規模は横浜にはとても及ばないが、それでも全国でも
有数の中華街なのは間違いない。
その片隅で生まれ、小学3年生まで住んでいた。
もっとも、その頃はこれほど多くの中華料理店が連ねていたわけではなく、
中国から移住してきた人たちの住居が混在していた。
同じ年頃の中国人の子とよく遊んだものだ。
新地に隣接するようにある「出島」。
鎖国時代、ここを経由して西欧文化が伝えられたことは、よく知られている。
今はきれいに整備されているが、あの頃は子供たちの遊び場の一つでもあった。
生まれたのは「華」の街だったが、引っ越したのは
まさに「蘭=西欧」の街・大浦という所。
家のすぐ近くの東山手には日本最初の女学校・活水学院があり、
そこに通じる石畳の坂が観光スポットとして、よく知られる「オランダ坂」。
雨に濡れたオランダ坂は観光写真にうってつけで、さすがの風情を醸す。
これに一帯の洋風住宅がマッチし、まさに異国情緒漂う地域だ。
異国情緒なら、東山手の対面というか、街並みを挟んで向かい合わせになる
南山手の方が上かもしれない。
ここには、現存する日本最古の教会堂であり、
教会としては唯一国宝に指定されている大浦天主堂がある。
我が家は代々カトリックであり、日曜日には父に連れられ
ミサに通ったことを覚えている。教会内は実に厳かだった。
現在は近くに大浦教会が建てられており、
ミサはもっぱらこちらで行われているようだ。
この大浦天主堂の、すぐそばの坂を上った所にグラバー園がある。
国指定の重要文化財となっているグラバー邸、リンガー邸、
オルト邸のほか市内に点在していた6つの明治期の洋風建築を
ここに移転・復元している。
ここからは、かつて“ツルの港”と言われた優雅な姿の長崎港を一望できる。
三浦環の蝶々夫人が、ピンカートンの帰りを待ちわびた港である。
三方を山に囲まれたすり鉢状の地形のため、山の斜面に伸びる住宅街。
「坂の町」と言われるゆえんだが、自然と足腰が鍛えられることになる。
また、自動車教習所では坂道発進をみっちり仕込まれた。
今はほとんどオートマチック車だから、さほど心配いるまいが、
当時はマニュアル車であり、上り坂で停車し発進する際、
クラッチ、アクセル操作を誤るとずるずると逆走しかねない。
「坂の町」ならではの厄介さなのだ。
稲佐山から見る夜の長崎の街は「1000万ドルの夜景」、
あるいは「世界三大夜景」の一つと言われるのも、
そんな地形だからこそであろう。
良くもあり、不便さを感じる生まれ故郷だった。
亡くなった愛しい人への想いを切なく綴った、さだまさしの「精霊流し」、
そして、長崎で過ごした青春時代を振り返る
福山雅治の「18-eighteen」が聞こえてくる。
そう言えば、唯一人の身内となった姉は元気にしているだろうか。
もう随分帰ってないな。