毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

魔法のフライパン京都へ

2013-06-24 08:27:59 | 日記

  昨年4月22日の朝日新聞の人の欄に、ごく薄の「魔法のフライパン」で世界デビューする鋳造会社社長の記事がありました。
 
  肥後のことばですが「新しいものをいつも欲しがる人を“わさ(早稲)もん好(ず)き”」と言います。

  まさに“わさもんずき”を任ずる私、早速、その会社をPCで探して「魔法のフライパン」を購入しました。注文するのが早かったのか1週間くらいで「魔法のフライパン」は我が家の一員となりました。

  それを使った“うちの奥さま”の喜ぶことよろこぶこと。使い勝手が良く、料理は早く仕上がり料理のおいしさが抜群と。「ありがとうさん」と久しぶりに奥さまからお誉めの言葉を頂きました。“わさもんずき”の面目躍如たるものです。

  「魔法のフライパン」。形のよさもありますが、厚さは1.5ミリ軽量でデザインも素晴らしく、使わないときは、台所を見渡す白い壁にインテリアとして下げられています。

  今年4月、孫が京都の大学に進み1人で生活することとなりました。その準備が大変でした。生活に必要な品々をそろえるのに母親(娘)は大変だったようです。ところが孫が、包丁とフライパンはいらないと言ったそうです。

  我が家には、退職記念のときに京都錦市場の有名店で買った包丁があります。包丁の柄には奥さまの名前が彫ってあります。孫が大学に入る前に我が家を訪れたときのこと、食事のあとで料理の話になりました。そこで「包丁」と「魔法のフライパン」を見せたところ、とても素敵だと話していたことを思い出しました。その時、孫が瞬間欲しそうな目をしたのを見逃していたようです。

  後日、大学の入学祝い何がよいねと訪ねると、孫は即座に我が家で使っている「包丁」と「魔法のフライパン」をくださいといいました。母親に包丁とフライパンはいらないと言っていた意味がこれだったのですね。「包丁」と「魔法のフライパン」多分欲しかったのでしょうがそれ以上に私たちとのつながり、これまでのふれあい、その気持ちを形にして京都に持って行きたかったのではないでしょうか。

  嬉しくなってしまいました。中古品だがどうぞ大事にしてください。よろこんでさしあげますよと。その日を境に魔法のフライパンは我が家を離れ京都へ旅たちました。

  しばらくは、孫は今何を食べているのだろう。魔法のフライパン役に立っているだろうかと、我が家での話は尽きませんでしたが、現実の問題、わが家の料理は古い鉄のフライパンです。何か不便でなりません。

  ”うちの奥さま”と相談しもう1つ「魔法のフライパン」を買おうと決め、製造元に注文したのです。前よりも大きな28センチの魔法のフライパンです。

  注文承りましたのメールをすぐにいただきました。ところが、ぎょぎょです。製造が間に合わず2年半後の納入となりますとあります。大変な人気だと初めて知りました。頼めばすぐにくると思っていたのは間違いだったと気付きました。

  残念でした、高齢の私たち2年半あとまで元気でいることが出来るだろうか。元気でいたとしても体力はますます衰えるばかり。そうすれば魔法のフライパン少しでも小さい方がよいのではと。28センチを26センチに変更させていただきました。

  あと29ヵ月と28日......、毎日、暦を眺めながら「魔法のフライパン」のくる日を待っています。孫の「魔法のフライパン」も京都で大活躍していることしょう!

  


沖縄慰霊の日に黙祷

2013-06-23 16:30:30 | 日記

   今日沖縄では、68年前の沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」を迎える。

   多くの犠牲者を出した太平洋戦争末期の例えようのない熾烈な沖縄戦。沖縄の人々に大きな痛みと苦しみ、それに悲しみを与えた沖縄戦。その後、沖縄では米軍人による様々な悲惨な事件も発生し、苦しみや悲しみそれに加えての怒りは今も消えることなく面々と続いています。 

   沖縄に占める米軍基地は全体の約74%。基地の県外移設や米軍の訓練受け入れなど、他県(本土)の人達は基地の負担を沖縄ばかりに押し付けている。少し冷淡すぎるのではないだろうか。

  サラリーマンを退く直前にライフプラン講師の資格をとり、九州各地でライフプラン研修を10年にわたり主催してきました。そのため沖縄を訪れたのは50回を下りません。

   研修会場や町の酒場や食堂、市場やサトウキビ畑で働く、沖縄の人たちはみんなおおらか、優しい方ばかりでした。もしかして、もしかして、沖縄の人たちは戦争での痛みや苦しみ、米軍人の犯罪など、たくさんの怒りを胸に仕舞い込み、毎日過しておられるのではないでしょうか。

  国際通り近くの公設市場の傍の屋台で野菜を売る「おばあ」は、どの旅行者にも「ヤマトの人」と優しくにこやかに接してくれました。酒場では沖縄料理の数々を土地の人たちと変わらぬ言葉(つたないものではあるが)で注文し、泡盛を楽しく嗜み沢山の人たちとのふれあいが盛り上がりました。店のマスターは沖縄料理についてじっくりと話してくれました。

  ある日、酒場のアルバイトの女子高校生に「一番おいしい泡盛はどれ」と尋ねると「みんなおいしい。でも本土の人は度の薄い泡盛を注文される。本当はクース(古酒)で度の高い泡盛を自分の好みに合わせうすく割って飲むのが一番おいしいよ」と教えてくれました。

  仕事の合間に方々を歩いてまわったものです。那覇の中心地泉崎から歩きだし、糸満のひめゆりの塔、宜野湾のビーチと公園。今焦点となっている普天間飛行場、コザにある数々の米軍基地と。歩いていると何かふと異国を感じさせる風景があります。米軍基地です。嘉手納基地周辺では、ひっきりなしに戦闘機が轟音を立てて飛んでいます。その爆音には耳を覆いたくなります。

  豊見城のサトウキビ畑では立ち止まり、黙ってサトウキビの刈り取りを眺めて見知らぬ私に声を掛けてくれました。「サトウキビあげようか」もちろん沖縄言葉です。「はいいただけますか」と答えた私に3メートルはあるだろうサトウキビを1本、鉈で斬って手渡してくれました。一節だけと思っていたのにこれは驚きです。

  お礼をと言うと、少しでも本土の人によろこんでいただければと。大きく手を振られたのです。ありがとうございました。

  公設市場の店のおじさんがもらってきたサトウキビを持つ私を見て、長いと持ちにくいでしょうと短く切ってくださいました。留守居している“うちの奥さま”の良いお土産となりました。沖縄にまつわる沢山の思い出があります。

  昨年10月結婚48周年の旅行は沖縄でした。その時、台風に遭遇したものの親切なみなさんのおかげで、楽しい旅行ができました。また、今年も沖縄にしょうと“うちの奥さま”と話しています。沖縄大好きです。大好きな沖縄を“うちの奥さま”と一緒に訪れることが出来たのも幸せです。
 
  老人夫婦の私たちには何もできませんが、せめて沖縄の人たちの怒りと苦しみ、そして悲しみを一緒に分かち合えればと願っています。

  慰霊の日、遠い地から尊い犠牲となられた方々のご冥福を、今日式典に参加された皆様、それに沖縄の皆様とご一緒に、謹んで追悼させていただきました。


 


甥の子の結婚式に参列し。

2013-06-22 17:47:12 | 日記

 思いがけず、年金生活の老夫婦に甥の子の結婚式の招待状が届いた。

 今日はお祝いの日。昨日までの台風4号は温帯低気圧に変わり、小雨は降っているがまあまあ落ち着いたよい日和。式場で心からのお祝いを申し上げた。

 披露宴。昔に比べ随分と派手になったものだ。目が舞うような派手な演出に驚く。その日の出席者は老いも若きもキリスト教信者となりアーメン。今日の出席者の方々がもし葬儀となれば多分お寺さん頼りとなることだろう。

 すべてが式場のプログラムで進行する。開始から終了まで、係員だろうかカメラマン6人が会場を飛び回っている。
その費用は大変だろうと思わぬ心配をする。

 料理も飲み物も素晴らしかった。おいしかった。長生きしこのような式に参列できてよかったの一言に尽きる。

 今はサラリーマン生活を終えすべて年金頼りの生活。あらかじめ退職後の費用は考えていたものの、予期できぬものとしては病気の費用、それと冠婚葬祭費だと先輩が話していた。

 マスコミや町の評論家はお祝いの費用はいくら、病気見舞いはいくら、お見舞などのお返しは半返しなど額を示して豪華さをはやし立てる。先月も姪の結婚式があり式に参列した。いまだお祝いできたことはすばらしいこと。

 しかしお祝い金の捻出には頭を痛める。思わぬ出費にこれからの長い老後の生活どのようになるのだろうかと。心配は尽きない。

 アベノミクスも低所得者には効果なし。住宅ローンの金利は上昇し、円安で徐々に物価も上がっている。復興増税など税金も上がった。来年度からは消費税も上がる。

 その反面、過去の物価下落率を年金に反映していなかったと、年金が引き下げられることとなっている。それも大幅2.5%という。介護保険、健康保険なども改定のたびに増額されている。

 今もらっている年金の額で十分に満ち足りた生活を送っている人が何人いることだろうか。年金生活者のほとんどの人が精いっぱいの努力で今を乗り切っている。これ以上の負担。背負わさないでほしいとの気持ちで一杯になる。
 
 本音です。安倍総理、低所得者、年金生活者にも配慮をいただけないものでしょうか。 


台風4号、被害が出なくてよかった

2013-06-21 19:50:35 | 日記

  九州直撃かと心配された台風4号は、午前9時九州の西海上で温帯低気圧に変わった。よかったとホッと胸をなでおろすところだが、まだまだ油断は大敵。
 
  活発な梅雨前線の影響で、西日本では夜にかけて引き続き各地で激しい雨が降るおそれがあり、気象庁は土砂災害や河川の増水に注意を呼びかけている。
 
  毎年20前後の台風が発生し、そのうち約7割が日本に接近。2ないし3の台風が上陸しているようだ。台風シーズンはまだまだ先なのに今年の発生件数は多すぎる。今日また5号が南シナ海に発生したようだ。異常気象のせいだろうか。

  築後30年の木造住宅に住む老人夫婦の台風対策、それは大変なもの。大きな負担を肩に感じる。庭の植木鉢の移動、門扉をひもで縛る風対策、植木は大丈夫かな、周囲の窓の見回りも一苦労。普段使わない雨戸も閉めよう。万が一避難するとなればとの不安がますます増してくる。避難場所も調べておこう。非常用の食糧は、水に、懐中電灯、手配は十分だったかな。

  どうぞ避けてください台風様。来ないでください台風様。切なる願い。

  本格化する台風シーズン、精一杯頑張らねばと思いつつ私のところにだけは来ないでくださいと願うばかり。虫がよすぎるかな。もちろん私のところだけでなく、日本中のどこでも災害のないようにと願っています。
 

 
 


ブログは今日で12回

2013-06-20 14:59:53 | 日記

 長いサラリーマン生活を無事に終え、年金生活を始めたのは22年前。毎日を元気に楽しく過ごしています。現役時代はすべてが仕事、仕事でした。自分の生活をゆっくりと振り返る暇もなかったと思います。
 
 私ども夫婦、今年、そろって元気で喜寿と古希を迎えることが出来ました。いつもはあたりまえと思っている「聞く、話す、嗅ぐ、呼吸する、歩く」こと。これもみなさまのお陰と感謝しながら今朝も散歩に出かけました。歩きながら空気や水も無尽蔵でないことを肌で感じています。

 退職後の生活の場は、勤めてきた仕事とは無関係の地域社会です。地域の方々との交わりを深め、何かお役に立つことはないかといつも気をつけています。

 ブログを初めて今日は12回目の投稿。身の回りの出来事など身近なことを思いつくままに書いてきました。

 だが、ただ漫然と書いてきたようです。何のため。何を書きたいのか。今一つ、振り返りながら自分の気持ちを整理してみたいと思いました。