毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

体内時計を大切に

2013-06-19 19:57:51 | 日記

 老人夫婦を和ませ癒してくれた小さな庭のバラの花が消えました。短い期間でしたがご苦労さま、ありがとう。  

 待っていたわけではありませんが、やっと本格的な雨が降り出しました。部屋の中が湿気くさくなり、カビの発生も心配です。
 
 午前5時にベットを離れます。体内時計が正確に起床の時間を知らせてくれます。

 新聞が待っています。みっちりと時間をかけて目を通します。6時30分はラジオ体操の時間です。高血圧の診断を受け薬を飲んでいますが、薬のせいもあり数値はおかげさまで良好です。
 
 昨日の新聞には、体内時計に異常をきたせば血圧が上がるとありました。ストレスです。私の高血圧も関係があるのでしょうか。血圧があがれば今以上に規則正しい生活が求められることでしょう。 

 ブログを初めて11日、どうやら今日も続いています。でも、まだまだ未熟。ブログの活用が十分とは言えません。ブログの基本的な利用方法などダウンロードし勉強したのですが、写真の投稿がまだ出来ずにいます。
 
 あす午後8時からニコニコ動画で、海底5000メートルの深海からのライブ放送があります。朝7時からは対イタリアとのサッカー実況です。テレビを見るのも楽しみの一つ、仕事の一環でもあります。体内時計と相談しながら充実した毎日を送ろうと思います。

 毎日が日曜日、多忙なこと多忙なこと。これも退職後の生きがい私の大事な居場所の一つです。体内時計を大切にし、血圧を良好に保ちながらブログを書き続けることとします。でも、いつまでブログを続けられるか心配でもあります。


台風4号が近づいた。

2013-06-18 18:55:26 | 日記

 長い間、老人夫婦に季節の訪れを知らせ楽しませてくれた、小さな庭に咲いたバラの花は盛りを過ぎた。

 梅雨入り宣言はあったが晴れた日が続いている。バラに変わったわが家の小さな庭には季節の花、アバカンサスが紫色の花を風になびかせている。老人夫婦を楽しませ気持ちを和ませ癒してくれる。ありがとう。             

         

 鉢に植えたブルべリーにも実がついた。まだ青い実なのに鳥たちがその実を食べようと寄ってくる。ヒヨドリだろうかツグミだろうか、鳥の名前はよく知らない。 

 台風第4号が発生し明後日には九州に接近すると予報が出た。昨年は幸いなことに熊本には台風がこなかった。しかし台風は怖い。台風がくればどこに避難すればよいのかと迷い、築30年の木造の古いわが家がそれに耐えるだろうかと心配は一入(ひとしお)。台風は来ないでほしい。そう願うばかりだ。

 先日、台風3号が本土に接近したが幸い何処にも被害はなかった。いつもの年より今年は台風の発生が早いようだ。数も多くなりそうだ。

 〝備えあれば憂いなし”というが歳をとるとそれもままならない。天災地変を避けては通れない。この季節、老人夫婦二人できるだけの備えをと、本格的な台風シーズンを前にない知恵を出し合う毎日がしばらく続く。


認知症(ボケ)封じの健康法

2013-06-17 13:27:53 | 日記

   朝の新聞に65歳以上の高齢者のうち推定で15%強の人が認知症だと出ていた。

 さらに新聞のコラム「私の視点」には、認知症の発症率が高まる75歳以上の高齢者全員について、公費負担による認知症検査の制度を設け、早期発見・早期対応の仕組みを作ることだ。と提案されていた。

 高齢になると認知症の脅威はだれにでもある。新しい制度は歓迎だが、いざ検査を義務づけされるとなると少し気が重くなる。

 家庭内の誰かが認知症になると、家族の負担は肉体的にも経済的にも耐えられないという。まして高齢の夫婦二人だけの世帯では老老介護となりその負担はさらに重くなる。

 高齢者の仲間入りをしてからは、認知症対策として私なりに3つを考えている。ところが実行するのはなかなか難しい。

 認知症対策その1は真向法。

 効果のほどは別にして1回が3分で終わるところがよい。使い古して堅くなった体を前に曲げ、後ろにそらし大変な努力がいる。その格好といったらない。朝と夜2回だが〝うちの奥さま”に笑われながらこれはどうやら続いている。

 その2は入浴健康法。

 湯船につかるかシャワーを毎日1回は必ず行う。これは優しいと飛びついたのだが割と難しい。疲れた時やたらふくご酩酊のおりにはどうしても億劫になってしまう。こんな時にはよく〝うちの奥さま”と喧嘩になる。喧嘩になれば負けるが勝ち。早々とベットにもぐりこむこととなる。

 その3が問題だ。1日1文、作文健康法。

 最初の2・3日は書く材料も多くホイホイと書けたものの、毎日となるとすぐに種切れとなり何を書こうか迷ってしまう。その上、時間も食う。最低1時間くらいは必要だろうか。とぎれとぎれで続いていたこの健康法、GOOのブログが救ってくれた。感謝、感謝。

 後は朝のラジオ体操と散歩だが、どうやらこれは今も毎日続いている。

 歳をとることは素晴らしいことだという。でも、体力の衰えや体の不調、認知症などは嫌ですね。相応に元気でいたいと思うならそれなりの努力が大切なことは言うまでもない。しっかり頑張ることにいたしましょう!


怖い熱中症

2013-06-16 18:04:03 | 日記

 30度を超える真夏日が続いている。うだるような暑さにはうんざり。
 
 午後3時過ぎのこと、サイレンを鳴らした救急車が突然我が家の前で止まった。驚いて飛び出したところ救急隊員のかたが、前の家のご主人を手際よく救急車に運ばれているところだった。救急車を呼ばれたのはご本人のようだ。

 前の家のご主人は42歳。まだ現役のばりばり。どうしたのかと大いに心配だが、どのような症状だったか状況は全くわからない。その時、ご家族の方は不在だったようだ。

 夜になって、その時留守をされていた奥様が訪ねてこられ、熱中症で意識もうろうとなりご自分で119番へ連絡されたのだと話された。午前中は仕事で農地の草刈りだったそうで、昼すぎにひと段落し車で家に帰る途中、意識がもうろうとなったのだという。

 「高齢者は、熱中症に注意してください」「家の中でも熱中症にかかることがあります」と、1日に何回かテレビ等で注意喚起がされている。しかし、今までは何か他人ごとのように思えてならなかった。ただ、水分を多くとり、涼しいところで過ごすと良いなど少々の知識はあったが、すぐそばで熱中症の方に接してその恐ろしさを初めて知った。

 他人ごとではない熱中症が怖くなってきた。一人でいるときに熱中症で意識不明となったらどうすればよいのか。家の中でも、高齢者が熱中症にかかり孤独死となることが多いと聞く。熱中症について日頃から家族と十分な話し合いをしておくことが大切だとやっと気付いた。

 熱中症の怖さを実感させてくれた救急車のサイレン。ありがとうございました。

 


いやな梅雨・でも大切な梅雨

2013-06-15 20:37:35 | 日記

 梅雨入り宣言があって約1週間がたちました。梅雨の晴れ間ではありませんが、晴れた暑い日がしばらく続いたのですが、今朝は久しぶりの大雨です。

 沖縄では梅雨晴れしたとのことです。熊本の梅雨はまだまだ続きます。梅雨の季節は好きではありません。熊本の梅雨、はやく明けて欲しいものだと思っています。

 昨年、熊本県は大水害に見舞われました。市内を流れる白川が氾濫し熊本市内のほとんどが水に浸かりました。景勝地阿蘇地区の被害はさらに甚大でした。オーストラリアに住む甥からのメールには「熊本の大水害」と現地で大きく報道されたとありました。

 長いサラリーマン生活の中では何度か大水害を経験しました。

 昭和28年6月28日、門司(現在は北九州市門司区)に勤務していたおりの大水害。当時、山津波といっていた大土石流が発生し、山際の狭くなった地域のすべてを飲みこみました。そこだけで約250人の犠牲者を出しました。

 当時、有線通信士として門司電報局に勤めていた私は、中心部が水に浸かった大通りをひざ上まで浸かりながら出勤しました。水害で市内全域が水に浸かり、交通機関が途絶したため、80名近くの通信士のうち出勤できたのはわずか数名だったと思います。当時の門司局は九州でも主要局の一つ、九州管外を含め約80の通信回線がありましたが、水害でつながっていたのは、下関線の単信1回戦だけ、優秀な通信士でも、1時間に60通程度を処理やっとのこと、それに対し、安否を問う全国からの電報は数千通を超えていたといいます。わずかな通信士が不眠不休で、24時間以上通信台の前に座り込んだことを覚えています。

 余談になりますが陸の孤島となった門司局では、大量にたまった電報を福岡まで、リュックに詰めて使送する計画だったそうで、その大役を引き受けることになっていたことを後で知りました。

 昭和57年7月23日、1時間当たりの雨量が約100ミリを記録した長崎の大水害も悲惨なものでした。各地で土石流が発生し市内を流れるすべての川が氾濫しました。死者は300人を超え、行方不明者も多数に上りました。その時は、長崎に通ずる道路がすべて不通となり、外部との連絡がまったくとれなくなっていました。電気も水道も止まりました。みんなが悲嘆にくれたものです。 

 当時、社員約3000人の通信会社で厚生業務を担当していたのですが、社員や家族の水と食事と休む場所を確保するため、約1カ月間は家に帰ることができませんでした。水害直後は社員やその家族の生存を確認する作業や復旧作業に追われたものです。現在ではスマホやPCで連絡がすぐにとれますが、電話が不通となったこの大水害では通信手段がまったくありませんでした。

 安否を気遣う全国各地からの電報は約5万通に達しました。その配達が大変です。一刻も早く届けたいと九州各地から配達のための応援を求めたのですが、交通機関は壊滅、応援者も不足、またその宿泊施設の確保もままならず、大変な作業だったことが思い出されます。応援の配達員は一時500名を超えたと思います。

 長崎の観光名所、眼鏡橋も流されてしまいました。歌で有名な思案橋では暗渠が吹き出し水柱が10メートル以上の高さに達しました。有名な中華街も天井まで届く水で見る影もありません。

 地震や水害等、天災はいつ起こるか分かりません。いうまでもなく日頃からその対策と準備が大切だと思います。いろいろなことを思い出しながら、この梅雨大雨で被害が出ないことを願っています。

 だが、虫のよい話ですが水不足の地域もあります。そこには雨を降らせて下さいね。災害を伴う鬼雨でなく喜雨であることを!願っています。