毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

兄の葬儀で

2014-12-13 09:18:12 | 日記

  阿蘇のお山は今日も噴煙を噴き上げている。兄の通夜は底冷えのする寒い夜だった。沢山の方々に参列していただいた。亡き兄も喜んだことだろう。

 通夜の席でのご導師のお説教。

 高い木の上で1人の仙人が修行していた。下を通りかかった僧侶が「何のために苦しい行をなさるのですか」と尋ねると、仙人は「200年生きるためだ」と答えられた。さらに僧侶が「200年たったら、それからはどうなさるのですか」と聞くと、「それからは」と聞いて仙人はすぐに木を降りられたそうだ。生あるものにはいつか生を閉じざるを得ないときが必ずやってくる。その日まで変わらぬ日常生活を送ることが大切です。と。 

 亨年81歳の兄の交友の広さには驚いた。横浜や名古屋から駆け付けてこられた友人がおられた。人づきあいがよいとはいえぬ兄だったが、日頃の生活では友を大切にされていたことがよく分かる。

 葬儀の日は青空の広がるよい天気、阿蘇の噴煙を間近に見る熊本市の戸島斎場で荼毘にふされた。阿蘇は兄と私が生を受けた地でもある。空高く舞う阿蘇の噴煙は多分兄を悼んでの事ではなかろうか。

                                                                                                        合掌

         


父代わりの兄が亡くなった

2014-12-12 20:30:20 | 日記

 朝早く電話が鳴った。兄嫁からの電話だった。兄が今朝早く風呂場で倒れ亡くなったと言う。たった一人の兄。驚いて声が出ない。涙も出ない。ただ受話器を手に呆然と立ち尽くした。

   通夜と葬儀の時間などを知らせるために娘の職場に電話した。娘の声を聞いいた途端に涙が止まらなくなり、声はかすれ用件を十分に伝えることが出来ない。娘が何度もよく分からないと問いなおしてきた。

   兄は12歳、私が10歳の時に父が亡くなった。亨年37歳。それ以来2つ違いの兄は自分にとっての父親役となった。兄は12歳の時に、少しでも母を助けようと就職した。今なら中学2年生というところだ。大変な苦労があったことだろう。

  兄はもういない。兄弟喧嘩は何度かあったがそれも遠い昔の思い出となってしまった。今年5月には義父が亡くなっている。わが家の大切な大黒柱とも言うべき2本の大きな柱が今年相次いで倒れてしまった。

   晩年にさしかかって残された時間はそう多くない。いつか閉じざるを得ない生ではあるが、大黒柱に支えられた生活が一転して船頭のいない生活に変わってしまい戸惑うばかり。

  あと少しでよい。支えて欲しかった。心からの冥福をお祈りしよう。

 

 

 

 


死ぬまで続く医療保険で大助かり

2014-12-05 15:44:15 | 日記

  思わぬ病で金婚式の記念旅行がふいになった。入院期間は約2週間。

  入院費は国民健康保険のお陰でわずかな額で済んだ。有難いことだ。入院費の負担は1割、最高でも高額療養費で44,000円。病気して初めて保険のありがたさを知った。

  平成3年現役を退くさいに、老後のことを考え郵便局の簡易保険に初めて加入した。10年満期の終身保険。当時よく言われていたのはお葬式の費用。その費用1説では200万円とも300万円とも言われる。退職後何年生きるか分からないがその時に、多分それだけのお金は残っていないだろう。子どもに負担させるわけにはいかない。

  10年の保険期間はまたたくまに過ぎて行った。その保険にはさらに医療保険の特約が付いていた。特約は本体の保険が満期になっても毎月掛金さえ払えば死ぬまで有効だと言う。入院すれば、最初の4日は支給されないが、残りの入院日数に応じて、医療費が支払われる。また、手術すればそれにも補償がある。年金生活では月々の掛け金は大きな負担ではあるが、万一のためどうやら今まで続いている。

  今回の入院は始めて簡保に医療費を請求することとなった。まず、病院の診断書を取る。その費用は5千円。診断書と保険証書を持って郵便局へ。

  「何日入院されましたか」と受付の担当者から質問があり、請求金額が総額で10万円未満であれば診断書は必要なく、病院の領収書だけでよいと説明された。手術は受けましたかとも聞かれた。胃の内視鏡検査は受けたが手術したかどうかはよく覚えていない。止血をしたと聞いていますと答えた。

  そこで保険について疑問に思ったことを尋ねてみた。

  「日帰り入院とは」「医者が入院と認めた場合です」。

  「再入院した場合の補償は」「前回の病気と関係があり、再発が1年以内であれば引き続きます。その場合1日の入院でも保険はでます」。

  「例えば白内障手術など日帰りで手術を受けた時の補償は」、「入院することが条件になります。日帰り入院でも保険は支給されます」

  病気を奇禍として新しい知識がまた増えた。

  ちなみに今回の医療保険の補償は入院10日分の補償と、手術1回分の補償だった。入院費を支払っても余りがある額が支給され驚いた。保険の大切なこと改めて知ることとなった今回の入院だった。

  皆さん保険には多分加入されていると思いますが、その補償の内容を常に把握して置くことが大切ですよ。

  

 


年賀状の季節がやってくる

2014-12-04 13:07:57 | 日記

  師走にはいり「喪中につき年頭のご挨拶は失礼させていただきます」との年賀欠礼の通知が増えてきた。毎年、賀状を交換する知人や友人もそれぞれに歳を取り老人の域に達しつつある。

  OB会からの訃報情報もだんだんと増えてきた。思わぬ故人の名前を訃報で見つけ驚くこともしばしば。何か歳をとるということが苦痛になってきた。

  今年の賀状に「このところ物忘れすることがすくなくなり迷惑をおかけしており、今後とも新年のごあいさつを続けていく自信がありません。誠に失礼ではございますが、今回をもちまして年賀の礼を終わりとさせていただきます」とあった。

  おかげさまで今年傘寿を迎えることができた。これを機会に毎年の賀状、終わりにさせていただこうかなといま考慮中。ところが、今年5月に義父が亡くなり、賀状よりも喪中欠礼の通知をどうするか、数通の年賀欠礼のはがきを前に、気持ちの整理ができずにいる。

 


52億キロ6年の長い旅「はやぶさ2」

2014-12-03 16:36:30 | 日記

  2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所う(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が、2005年夏にアポロ群の小惑星イトカワに到達し、世界で初めて、その表面を詳しく観測してサンプル採集をを行い、2010年6月30日22時51分、60億 kmの旅を終え、大気圏再突入し、当時日本全国がそのニュースに湧きかえったことを、つい先日のことのように思いだす小惑星探査機「はやぶさ2」の今日の打ち上げ。胸がわくわくする。

  「はやぶさ2」は午後1時22分、鹿児島県南種子町の種子島宇宙センターから、国産ロケットH2Aで打ち上げられ、予定された軌道への投入に成功したと発表があった。

  「はやぶさ2」は、世界で初めて小惑星の微粒子を持ち帰った「はやぶさ」の後継機。開発期間は約2年半、打ち上げ費も含む総開発費は約290億円。

  トラブル続きだった初号機の問題点を改良し、地球と火星の間にある小惑星「1999JU3」から内部の物質を採取、持ち帰ることを目指す。採取に成功すれば世界初となる。

  当初は、11月30日に打ち上げが予定されていたが、射場付近の天候不順が予想されたため2度延期されていたものだ。国産ロケットH2Aの打ち上げ成功は2007年の7号機から20回連続で、成功率は約96%。これは世界のロケット先進国に堂々と肩を並べられる成果だという。

  「はやぶさ2」は52億㌔の旅を終えて2020年に地球に帰る予定。期待は大きくその成功を信ずるとともに帰ってくる日が待ち遠しい。

   だが、なにせ高齢の身、元気でその日を迎えることが出来るだろうか、神のみぞ知る。