脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

何のための空手か

2007年05月01日 16時43分32秒 | 武術・身体系
40代に入ってから始めたものに、空手がある。
最初に入門したのは、寸止め空手をやる小さな町道場だった。
全空連の和道会に属し、T大の空手部OBや
現役のT大空手部の指導者が稽古をつけてくれていた。

しかし、いつも形(かた)の稽古ばかりやらされて、退屈気味だった。
道場主の先生に、組手稽古は何故やらないんですか?と尋ねたところ、
「危ないから…」というお返事を頂戴したときには、体から力が抜ける思いだった。

その後、縁あって、フルコンタクトをやる他流の稽古会に参加させてもらい、
空手の醍醐味と恐さ、しんどさを体験した。
はっきり言って、自分の体力、年齢、性格等を考えると、
フルコンには、ついていけないと思った。

実戦で強くなりたいとは思うものの、
やはり武道の本義は、身体の運用を通して、
気持ちを引き締め、心を鍛えることの方にあると思っている。
武道が何であれ、その人なりの志す武道の在り方が、
良識の範囲内においては自由にあって良いものであると思う。


空手の歴史や空手家のエピソードを調べていたら、
松村宗棍(1809~1890)という、沖縄でも屈指の武道家であり、
空手道の先達である人に、こんな話があった。

 あるとき、松村師が門人を引き連れて町を歩いていると、荒くれ男に行く手を阻まれた。
お前は、空手の達人だそうだが、どれほどのもんなんだ、
と宗棍を名の知れた空手家と知っての挑発をしてきた。
この先に行きたければ、オレの股の下でもくぐっていけ、と男は言う。

師は、それでは…と、素速い身のこなしで男の股下をすり抜けると、
向こう側に出てスタスタと歩き去ってしまった、というものである。

この話は、事実かどうか多いに疑問がある。
史記で有名な「韓信の股くぐり」と同じ筋だからである。
だが、松村宗棍にこのようなエピソードが残っているということは、
徒らに武威に頼らぬ人品を備えた人物だったということだろう。

空手家には、武勇伝の類の話も多いが、
私は、松村師のような、武の道のあり方に敬服する。

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