1975年、1976年という、もう ひと昔もふた昔も前の新聞記事です。
こんなブログなんか始めなければ、きっと箱の中にしまったまま、
永久に日の目を見ないままだったでしょう。
いつかは記事を整理しなければと思っていたのが、今日になりました。
今さらとジュリーも怒るかなあ・・・?
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1975年のスポーツ紙(日付は不明) ↓ ※事件自体は12月7日
「ザ★スター」によると、NHKには何故ジュリーを紅白に出すのか?
という声が多数寄せられたようです。
1976年 6月16日のスポーツ紙 ↓
新聞では、新幹線内での出来事の内容がわかりませんが、
「ザ★スター」のジュリーの言葉によると、ジュリーは殴る意思はなかったが、
結果的に手が当たってしまったと言っている。
しかし二度にも渡って新幹線で暴力事件では、弁解も許されない(=_=;)
これが現在なら、一ヶ月の謹慎でもすまないのじゃないかと思います。
今なら、TVだけじゃなくてネットで集中砲火を受けて、叩かれまくり
凄いことになってると思う。それは被害者(?)だってそうでしょうね。
その当時、私はジュリーが新聞の芸能欄ではなく、三面記事に載ったのが
とても悲しかった・・・・ ジュリーはこの先どうなるのかと、何もわからなかった。
想像できなかった (T_T) これはジュリーのライバル陣営からすれば
格好の攻撃材料になったようです。
それで一ヶ月の謹慎ですが、「ザ★スター」でも、この新聞記事でも、
微妙な違いはあるが ナベプロ側から謹慎を言い渡されたという事になっている。
でもこれは違うよね? ジュリー自身の口から「謹慎は自分から申し出た」
「ナベプロはそんなことしなくてもいい、と言った」とラジオで発言していた。
私はいつも潔癖で正直すぎる、ジュリーの言葉を信じる。
当時、なんで ジュリー自身から謹慎を申し出たのでは、いけなかったんでしょうか?
なんで、プロダクション側からの処分を受けた形でなくてはならなかったんでしょうか?
対外的にそのほうが都合がよかったんでしょうか? 何故かわかりません。
でも結果的には この一ヶ月の謹慎は無駄ではなかった、
ジュリーに自分をみつめなおす時間を与える事になったと
いう事でしょうか。
- 2012年9月12日
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