TBS系の「もてもてナインティナイン!」」で阿久悠さんを取り上げるというので、見てみました。
司会はナインティナイン。 伝説のヒットメーカー阿久悠
左にジュリーの「勝手にしやがれ」ジャケット写真が
ゴールデンコンビの都倉俊一がゲスト
「大ヒット」の法則教えちゃいますスペシャル
阿久悠さんの名曲集、いかに凄い人物か!
いの一番に、ジュリー登場「独創的な歌詞に注目!」※写真を大きくしました
ジュリー以外にも、「北の宿から」「津軽海峡冬景色」「また逢う日まで」等の大ヒット曲が紹介された。
阿久さんのシングル売り上げベスト20に、ジュリーは9位・10位・19位の3曲ランクイン。あら、そんなもんなのー やっぱりピンクレディーが上位ですね。
ヒットの法則① 時代の飢餓感を感じ取る
スターといえば手の届かない存在だった。ひばりと裕次郎、ジュリー! とてもボケていますが、元の画像もボケていたのです。 しかもジュリーは似顔絵。製作費を安く上げたいようです(-_-;)
それにしても、ひばりや裕次郎とは時代が違う気がしますが、特別な存在という事で、いい方に受け取っていいのよね?? まさか並べて称されるとは思わなかった。 世間には往年の大スターなのかなー いやいや、現役なのよー!!
この番組を製作している人は若いな、きっと・・・ 手の届かない大スターという事で、いい方に受け取っておきます。そうか 阿久さんが手がけたスターだから取り上げたのかな。
ジュリー達の様な手の届かないスターではなく、時代は親近感のあるスターに飢えている。素人がスターになれる番組を作ろう! だから「スター誕生」につながるわけですね。その導入のために、ジュリーが出てくるのか、いまいちピンときませんが、まあ いいです。それだけ、遠い大スターだという事です。今もね!
時代は親近感のあるスターに飢えている。素人がスターになれる番組を作ろう!オーディション番組は他にもあったけど、褒めるばかりだから 都倉先生はイラっとしたそうです。
見ててイラツク!
森昌子を一番最初に発掘したけど、歌はうまいがスターとはほど遠く、阿久さんはアイドルと呼ぶことにした。 ※これから、アイドルという言葉が流行ったそうです。
スターを次々に生み出す、阿久悠都倉コンビには、仕事の依頼が殺到。 断り続けたが、頼まれて仕方なく引き受けた、6年も売れなかった、山本リンダを見事にイメチェンさせた。
阿久さんの場合、まずタイトルからできる。
1973年、沖縄の売れない無名のお子様バンドだったフィンガー5。あきら君の声を聴いてビックリした都倉先生は「徹底的にロックンロールにしよう!」と思ったそうで、見事に人気者に。当時の都倉先生はまだ、25歳の若さでした。
1976年、スタ誕で発掘されたピンクレディーは最初のコンビ名の候補は「白い風船」「みかん箱」だった。 しかし、阿久・都倉コンビは当時の主流だったキャンディーズの様な自然な魅力ではなく、非日常の人工的なアイドルを作ろうと思った。デビュー前の垢抜けない二人が、フォークからの路線変更で派手な衣装とアクションで、ガラリと変身した話は面白かったです。
昭和歌謡最大のミステリー、何故 阿久悠は山口百恵に詞を書かなかったか? でも最大の謎って、大袈裟よね・・
森昌子、桜田淳子はすでに阿久悠の詞だった。二人とは違った路線でやりたいというプロデューサーの思いがあった。百恵さんが引退しなかったら、詞を書いていたかもしれない。
高校の時、クラスの同級生が「スター誕生」に出たんです。厳しい事いわれて、不合格だったけど 出場しただけで充分凄いと思います。
- 2013年5月14日
みんなからのコメント コメントする
えぇ~っ ひばりさん・裕次郎さんと同格ですか。
すごいけど・・すっかり伝説の人みたいな?
知らない人にとってはそういう存在なんでしょうかねー。う~む。
>えぇ~っ ひばりさん・裕次郎さんと同格ですか。
そうなんです、確かにジュリーは遠い人ですが、とっくに亡くなられた方と
並び称されるのは違和感が・・・。 早くも伝説にされたくはありません。
今もバリバリ現役ですよ!と大声で言いたいですね。