昨夜の磯前先生のラジオは関西圏にも関わらず、聴けませんでした 今朝、J友様からの情報で聴いたような気になっていましたが、N様がアップして下さったので有り難く拝聴できました。やっぱり直に聴けて良かった なかなか興味深いものがありました
磯前先生は、トッポの脱退の3月5日にかなりの思い入れがあるようです。確かにTGの分岐点として、トッポが抜けたことでTGは変わったし、GS全体の衰退時期とも重なって行った。
ラジオで、82年の同窓会のトッポの参加を感動している女性の声が紹介されていた。私にすれば、82年のトッポの参加は、69年の脱退を乗り越えてのTG再結成というのは嬉しかったが、参加自体にはそれほどの驚きではありませんでした。何故なら、トッポはずっと芸能人だったから。
それよりも、私は芸能界からスッパリ足を洗ったピーの不在の方が、見つからないパズルのピースように 暗い気持ちになった。辞めた後に、暴露手記を発表していたという、思いだしたくない過去もあったし。余程 ピーの復帰の方が、見果てぬ夢かと思っていた。だから、トッポの参加は2011年のピーの復帰ほどの驚きはない。でもそう言い乍らも、やっぱり、トッポの声が昨年末TGに戻ったことは、30年来の大きな出来事だったかな・・・
(磯)今晩は、TGファンの磯前です。
気迫のこもったご挨拶です、宗教学の先生ですが、TGの本を書いた動機は何ですか?
(磯)中三の1974年頃からTGの音楽を聴き始め、40年間 宗教学をやる前から書きたいと思っていた。
凄い情報量の本ですね?
(磯)ビートルズの本には負けない様な、メンバーが喜ぶ本、メンバーが忘れていることを書いてあげたい。
(司)日本のバンドの本は、感想ばかり。当人にはインタビューせず、その当時に書かれた本で読み解く。相当な自負をお持ちですね。
(磯)TGの決定打にしたい。復活TGは東京ドームと仙台に行きました。
①磯前先生の選んだ曲は、トッポが最後に参加したシングル「美しき愛の掟」
(磯)復活TGで、トッポが初めて弾いた曲(脱退したので、演奏できかった)涙を流して聴いた。私は水戸に住んでいた少年時代、ジュリーの全曲集のカセットを買って聴き、その中にはTGの曲も含まれていて「美しき愛の掟」が一番印象に残った。 ギターの掛け合いに感動しました。この曲からメンバーの関係が修復されるのに、44年かかった。
男子校で、1人TGを聴いていて、友人に嘲笑された。TGは解散コンサートの映像を見たが、ビジュアル的にも素敵。 TGは仲がうまくいかない5人の物語だ。
82年に同窓会が有りましたが、お姉さんたちがジュリーとトッポが、もう一度一緒にやって良かったと言っていた。
②二番目の曲は「坊や歌っておくれ」
トッポが失踪した後、トッポ抜きで4人で3月5日に録音した曲。私としては5人でやって欲しかった。
(司)もしトッポが入っていたらどんな曲になっていたでしょう?
(磯)サリーのバリトンはあるが、やっぱり高い音が抜けている。この時から、すぎやまこういちから、村井邦彦になった。ヒューマンルネッサンスの次のアルバムの目玉になる予定だったが、お蔵入りした。
(磯)TGは、小学生の同級生から始まっている。同じ町のグループ、それが人間形成にも関わっている。京都に住まなければこの本は書けなかった。今、沢田さんの実家の近くに住んでいる。沢田さんは東山。ピー達は西陣。出会いは河原町。
田園の跡はいま、コンビニになっている。タクシーに乗ったら、運転手さんが田園で500目の前で唄う沢田さんを見たと話した。他でもタクシーに乗ったらバンドをやっていて、コンテストに出てファニーズに負けたという話も聴いた。
5人は京都で出会い、大阪へ、東京へ、そして、ロンドン、パリ、ニューヨークへ・・・
③3曲目はカバー曲「傷だらけのアイドル」 後楽園スタジアムでのライブ音源。次は歌って欲しい。(笑)後楽園は日本初のスタジアムコンサート、この曲を聴くとTGはガレージバンドという感じ、彼らのライブはエネルギッシュで荒削り、熱気が伝わってくる。TGはライブバンドで、洋楽のコピーバンドだった。
我々のメンバーには中古レコードの店主も入っている。「CCC」のレコードジャケットには異なるバージョンの物がある。(普通はジュリーの顔だけ真ん中で、あとのメンバーはシルエット)メンバー1人1人の顔のバージョンがある。中古レコード店主がピーバージョンを発見した、次はそれで本を一冊出したいと、計画中
④ 4曲目は「光ある世界」
マニアックな曲をかけて欲しいと先生が言われたので。
(磯)このジャケットは、ジュリーとトッポの先頭に立ったものが2種類ある。元はバッファロースプリングティーンのレコードジャケットの転用(パロディ)。ガレージバンドとしてのTGと、この曲のようなクラシックなTGとがある。このシングルがTGの前期の全盛期。
解散に至る経緯、今でも5人はお互いを尊敬し大事に思いたい。しかし、この時期売れれば売れるほど、お互いが見えなくなってゆく。そういうところに私は惹かれます。
「光ある世界」ジュリーバージョンと、右がパロった バッファロースプリングティーン
http://www.etcrec.co.jp/tigers/column09.htm
完全復活が昨年末までかかってしまったのは何故?
(磯)時間では乗り越えられない、1969年の深い傷があった。傷が埋められない間は5人は戻れなかった。
60過ぎて、メンバーはどう変わった?
(磯)若い頃はTGはいい音を出すのが全てと思っていた。今は大人になり、お互いに踏み込んではいけない所がある。それは謎のまま。瞳みのるは、まだトッポから3月5日は何だったのか聴いていないと言っている。しかし恩讐の彼方というのもある。
⑤ 「雨上がりの僕」 トッポが脱退した心境を語ったと言われる曲、トッポのソロアルバムから。パリで4人のメンバーを思っている曲。ピーがロンドンから、トッポに会いにパリへ行ったが留守で会えなかった。TGはただのバンドの解散じゃない。5人全員の物語。
⑥ 「ひとりぼっちのバラード」 沢田研二のソロアルバム。ナベプロが、トッポのバークレーレコードから出たアルバムにぶつけるように、ほぼ同じ時期に出した。
2人にとって、このアルバムは人生のスタート、今でも二人はそれぞれのコンサートで唄っている。45年以上かけて、沢田さんはようやく65になってやっと歌える。
トッポも辞めた後の曲で唯一演奏している。沢田さんはエンターテイメントだから、何でもやれる。「サミーデイビスJrのようにエンターテイナーとして、歌にかけたい」 ピーはジミ・ヘンやクリームのようなロックバンドを目指していた。方向性の違いが見える。
最期は「道」ピーは解散後、トラックに家財を積んで立ち去った。「さらば、10年後にまた会おう」ピーはトッポが抜けたあと、3月5日、自分の手でTGは終わらせなければいけないと思ったのだろう。
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2014年2月17日
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