俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

浸潤と転移

2016-06-02 09:53:49 | Weblog
 今週になってから39℃前後の熱と咳が始まった。多分肺炎だろう。これは放射線治療を始める際に危惧された最悪のシナリオだ。放射線によって肺炎が進めば、これまで順調と思われた放射線治療を諦めねばならなくなる。実際に治療は中断されて再開の目途は立っていない。
 私の食道癌で命に関わることは2つある。食道が塞がって飲食ができなくなることと浸潤によって肺炎が継続することだ。放射線治療によって癌細胞を破壊すれば食道から胃への通路を確保できる。しかしそれによって肺との間に開いた穴が拡大する。治療によって病状が悪化する可能性が高いからこそ治療できないと言われた。
 肺炎は決して過去の病気ではない。日本人の死因の第三位だ。その多くは嚥下障害が原因だ。肺に穴が開けば誤嚥以上に継続して飲食物が肺に流入して肺炎の状態が持続する。
 放射線治療について2つのシナリオが想定された。1つは放射線が癌細胞も正常細胞も破壊することであり、もう1つは癌細胞の破壊によって生じた空白を正常細胞が埋めて治癒に向かうというシナリオだ。しかし後者の可能性はほんの数%しか無いと言われた。
 癌は転移が怖いと思っていた。転移していない癌であれば手術や放射線で取り除ける腫れ物のようなものだと思っていた。だから精密検査で転移が無いと分かった時には正直な話ホッとした。しかし内科医がポツリと付け加えた「血管に浸潤している」という言葉が気になった。聞き流しそうなほど軽く語られた言葉だったがこれが最も重要な症状だった。
 結局、血管ではなく肺への浸潤が最大の問題になった。肺の正常細胞が癌細胞に置き換わりつつあり癌の切除や破壊が肺の破壊になるから手を付けられないということだ。素人考えで、肺は2つあるのだから浸潤の進んだ肺を切除しても構わないのではないかと考えて提案したが即座に否定された。そう簡単なことではないらしい。
 癌は正常細胞が異常化することによって生まれる。個々の正常細胞は意外なほど短命で、崩壊と再生を繰り返して機能を維持する。細胞はDNAによって正確に再現されるがそれが狂って癌細胞が生まれる。元の細胞とは違って容易に死なないだけではなく勝手に増殖して奇形を形作る。単なる奇形であれば切除すれば片付くが浸潤と転移によって体内感染をする。このことによって癌は原発臓器だけの問題ではなくなる。
 大半の病気はバレーボールのスコアのように一進一退するものだ。それにも拘わらず良い兆候があれば永続すると信じ、悪い兆候を一過性と信じたがる。こんな楽観的な考え方だからしばしば糠喜びをする。「勝って兜の緒を締めよ」という言葉は慢心だけではなく楽観をも戒める言葉だろう。