5月31日から火星が10年振りの大接近をしている。31日はあいにくの曇り空だったが6月1日は全国的に晴れて観察できたようだ。火星は元々かなり明るい星だがこの明るさは尋常ではない。火星の接近を知らない人であればUFOかと思うかも知れない。
地球が火星に近付いてもなにも起こらないが金星に近付くと大変なことになる。「キンセイニチキュウセッキン」を変換すれば「金正日急接近」となり得る。数年前であれば大事件だ。
私が誤変換の面白さを知ったのはパソコン以前のワープロの時代に「再提案」が「最低案」に「阿波踊り」が「泡踊り」に誤変換された時だった。それ以来誤変換に興味を持っていたが長文の誤変換にはしばしば驚かされる。(「誤変換傑作集」参照)
センスは良くないが私は言葉遊びが好きで仕事上でも使おうとして「わになるなにわ」という回文のコピーを考案した。「わ」には「輪」と「和」の文字を当ててそれぞれ「心通う」と「心和む」と読み下した。同時に円卓を囲んで円満に(輪)力を合わせる(和)こともイメージしようとした。たった7文字の割に随分欲張ったコピーで、結局何の成果も得られなかったが、私にとっては最も楽しい仕事だった。
いろは歌を作った人は凄い。究極のアナグラムだ。47種のかなを総て1回ずつ使って歌を作るなど世界に類を見ない偉業だろう。これがどれほど難しいかは、ランダムの10文字で文章を作ろうとすればすぐに納得できる。上手く使い切ることは至難だ。
「仮名手本忠臣蔵」というタイトルを考えた人も凄い。多分同時代の殆んどの人は「仮名手本」の意味を理解できなかっただろう。いろは歌の7番目の音を並べると「とかなくてしす」つまり「咎無くて死す」になる。ご政道批判はご法度だからこんな分かり辛い表現を使って幕府批判をしたのだろう。
文字の国の中国で言論弾圧が続いているがきっと民衆は知恵で抵抗しているだろう。その実例を知りたいと思うがそれを日本のマスコミが報じれば忽ち中国当局の目に留まる。現在「ロシアン・ジョーク」は人気のジャンルだがこれはソ連時代に生まれてソ連崩壊後に世界に拡散したものだ。13億の中国人民の知恵の結晶を知るためには中国共産党の崩壊を待たねばならないのだろうか。
ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」を著わして遊びこそ最も人間らしい行動だと主張した。遊びは損得や利害を超越した次元で成立する。その意味では趣味を職業にしてしまった人は不幸なのかも知れない。周囲の思惑によって行動が規制される。それと比べて私のような無名のブロガーであれば、あらゆるタブーから解放されて自由気ままに雑文を書ける。自費出版のような金銭的負担をせずに個人的に情報発信をできるインターネットは病み付きになりそうなほど遊び心を刺激する。
地球が火星に近付いてもなにも起こらないが金星に近付くと大変なことになる。「キンセイニチキュウセッキン」を変換すれば「金正日急接近」となり得る。数年前であれば大事件だ。
私が誤変換の面白さを知ったのはパソコン以前のワープロの時代に「再提案」が「最低案」に「阿波踊り」が「泡踊り」に誤変換された時だった。それ以来誤変換に興味を持っていたが長文の誤変換にはしばしば驚かされる。(「誤変換傑作集」参照)
センスは良くないが私は言葉遊びが好きで仕事上でも使おうとして「わになるなにわ」という回文のコピーを考案した。「わ」には「輪」と「和」の文字を当ててそれぞれ「心通う」と「心和む」と読み下した。同時に円卓を囲んで円満に(輪)力を合わせる(和)こともイメージしようとした。たった7文字の割に随分欲張ったコピーで、結局何の成果も得られなかったが、私にとっては最も楽しい仕事だった。
いろは歌を作った人は凄い。究極のアナグラムだ。47種のかなを総て1回ずつ使って歌を作るなど世界に類を見ない偉業だろう。これがどれほど難しいかは、ランダムの10文字で文章を作ろうとすればすぐに納得できる。上手く使い切ることは至難だ。
「仮名手本忠臣蔵」というタイトルを考えた人も凄い。多分同時代の殆んどの人は「仮名手本」の意味を理解できなかっただろう。いろは歌の7番目の音を並べると「とかなくてしす」つまり「咎無くて死す」になる。ご政道批判はご法度だからこんな分かり辛い表現を使って幕府批判をしたのだろう。
文字の国の中国で言論弾圧が続いているがきっと民衆は知恵で抵抗しているだろう。その実例を知りたいと思うがそれを日本のマスコミが報じれば忽ち中国当局の目に留まる。現在「ロシアン・ジョーク」は人気のジャンルだがこれはソ連時代に生まれてソ連崩壊後に世界に拡散したものだ。13億の中国人民の知恵の結晶を知るためには中国共産党の崩壊を待たねばならないのだろうか。
ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」を著わして遊びこそ最も人間らしい行動だと主張した。遊びは損得や利害を超越した次元で成立する。その意味では趣味を職業にしてしまった人は不幸なのかも知れない。周囲の思惑によって行動が規制される。それと比べて私のような無名のブロガーであれば、あらゆるタブーから解放されて自由気ままに雑文を書ける。自費出版のような金銭的負担をせずに個人的に情報発信をできるインターネットは病み付きになりそうなほど遊び心を刺激する。