俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

責任回避

2016-06-24 10:52:51 | Weblog
 嘘のような話だが、かつては「晴時々曇、所により一時俄雨」という天気予報があった。こんな情報は殆んど役に立たない。こんな天気予報に基づいて傘を持参すべきかどうか判断できない。その後、降水確率が報じられるようになってからこんな玉虫色の天気予報は無くなった。
 今でも少なくない学者が「その可能性はゼロではない」と発言する。誤るまいと考えるからこんな発言をするのだろう。明日首都圏で直下型地震が起こる可能性も北朝鮮が核兵器を使う可能性もゼロではない。間違えまいとすれば「ゼロではない」と発言する。しかしこんな情報の価値はゼロに等しい。役に立たない。
 可能性を白黒に仕分けることはできない。必ずグレーの領域がある。可能性1~99%がグレーに含まれる。これでは殆んどがグレーとして評価される。確率○○%と表記して初めて情報として役に立つ。
 しかし日本人には悪い癖があって確率を正直に発表しない。読売新聞の調査に拠ると、気象庁の発表する降水確率は1.6倍高いらしい。つまり気象庁が80%と発表すれば50%、50%と発表すれば30%しか実際には降らなかったそうだ。これは過失ではなく意図的に履かせた下駄だろう。本音よりも多少高めの確率を伝えることによって非難を避けようとしているのだろう。
 降水ありと予報して降らなかった場合と比べて降水無しとの予報が外れた場合のほうが利用者は怒る。だから予め高めの予報をして予防線を張っているのだと思う。こんな事情があるから私は公表された降水確率を信じずに6掛けにした上で判断している。もし気象庁が本音で発表していればこんな補正など不必要だ。
 時間帯別での予報にも同様の傾向が見られる。降り始めは予報よりも遅く降り終わりは予報よりも早いことが多い。これも利用者からのクレームを避けるためにわざと長い目の降水時間を公表しているのではないだろうか。
 これは天気予報に限ったことではない。癌と診断して癌でなかった場合「良かった」で済まされるが、癌でないと診断して実は癌であれば訴訟沙汰にもなりかねない。こんな目に遭わないために医師はグレーの患者には癌と伝える。こんな傾向があるから癌でない人に対する無駄で有害な癌治療が絶えない。
 降水確率に下駄を履かせるぐらいなら許容されるが癌かそうでないかであれば笑い話では済まされない。だから日本での癌の基準は世界一甘い。海外であれば良性腫瘍と判定される腫瘍が日本では悉く悪性腫瘍と判定されている。もっと客観的かつ科学的な基準に基づいて判定されるべきだろう。
 ビジネスでは京セラの創業者の稲森元会長の「悲観的に計画して楽観的に実行せよ」という言葉が重視されている。計画段階において最悪を想定することは必要だが最悪を想定するだけでは何1つ実行できなくなる。それを戒めるために「楽観的に実行せよ」がセットにされたのだろう。これは実践することを重視した優れたバランス感覚の賜物だろう。ペシミズムもオプティミズミも偏った考え方であり正確な予想が最も望ましい。責任回避のためにタテマエとホンネを使い分けることは慎むべきだろう。