俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

交流戦

2016-06-04 10:45:30 | Weblog
 プロ野球の交流戦が始まった。ファンは普段見られない対戦を喜ぶが各チームにとっては手抜きをするためのチャンスではないだろうか。だからこそ新戦力が試され易い。中日の小笠原投手や楽天のオコエ瑠偉選手などが起用されるのはベテラン選手を休ませるという目的もあってのことだろう。あるいは今期未勝利の巨人の内海投手や大竹投手などが再起を賭ける舞台としても利用される。これらは決してファンサービスが主たる目的ではあるまい。
 通常のリーグ戦(以下単に「リーグ戦」と表記する)であれば勝つことによって自ら1勝を得、ライバルである相手チームに1敗を負わせることができる。このことで1ゲーム差が生まれる。しかし交流戦の1勝は0.5ゲーム差しか生まない。だからペナントレース主体で考えるなら交流戦の1勝はリーグ戦の1勝の半分の値打ちしか無い。この格差は今年のセリーグのように混戦状態であれば特に大きくなる。今日(4日)現在、首位から最下位までのゲーム差は僅か5.5ゲームでしかも最下位にいるのは昨年の覇者のヤクルトだ。これではどのチームがどのチームと覇権を争うことになるかなど全く予想できない。だからこそリーグ内の全チームを少しでも叩いておかなければ最後になって思わぬ寝首を掻かれるということにもなりかねない。
 関係者は当然このことに気付いている。だからこそ様々な報酬を提供することによって手抜き試合にさせまいとする。しかし大相撲の力士が地方巡業よりも本場所を重視するように、各チームがペナントレース最優先になることは避けられない。
 年間の試合数を見れば、交流戦の相手とはたった3試合だがリーグ戦の相手とは25試合も戦う。だから戦力分析の重要度も全然違う。たとえ好投手によって抑え込まれようとも一過性の交通事故のようなものであり、両チームが日本シリーズで対戦しない限り悪夢は再現されない。だからパリーグの大谷投手やセリーグの菅野投手のようなズバ抜けた好投手と対戦する試合であれば二線級投手を使って捨て試合にするという戦略も有効だ。
 この傾向は選手よりも監督やコーチに顕著に現れる。管理職である彼らに期待されることは個々の選手の能力を発揮させることよりもチームとしてどれだけ結果を残せるかということだ。ローテーションの谷間を敢えて捨て試合にするように、目先の利益を追わずに年間の勝利数を最大化するために中長期的なビジョンを作らねばならない。目標勝率は6割で充分でありそれ以下でも充分に優勝を狙える。
 個々の選手の査定はリーグ戦も交流戦も対等だから露骨な手抜きは起こらない。打撃も守備も一球入魂だ。しかしベテラン選手であれば、監督やコーチの立場を理解して、交流戦でのレギュラーの座を快く若手に譲る選手もいるだろう。これは必ずしもチームのためではなく自分のためでもある。賢い選手であれば相手チームのバッテリーの癖や性格を理解して配球を予想する。そんな選手であれば初物との対戦を避けたほうが成績が良くなる。こうすることによって監督やコーチとの人間関係も良くなる。
 人間は自分が直接関わることについては保守的でありながら他人には変化を求める我儘な動物だ。ファンにはそんな我儘が許されている。折角の交流戦の試合数は当初の36試合(1チーム当り6試合)から24試合を経て昨年からは18試合にまで減らされてジリ貧状態だ。この傾向に歯止めを掛けるためにファンが怒りの声を上げる必要があるだろう。