先日「英国一家、日本を食べる」という本を買って表紙の言葉にギョッとした。「人食紀行」と書かれていたからだ。勿論これは誤読であり「異邦人食紀行」だった。以前に新聞のテレビ欄の「今日の料理」に「人肉じゃ」と書かれていたことがある。これは「一人肉じゃが」が変に区切られたせいだった。小学生の頃、ニンニクを「人肉」と書いた同級生がいたことをふと思い出した。
文字に対する誤解は再確認することによって解消できる。しかし発言であれば証拠が残らないから意外な誤解が起こり得る。マスコミやネットが有名人の言葉尻を捉えて非難することが少なくないが前後の文脈から考えて言い掛かりと思えることが少なくない。
阿刀田高氏の「詭弁の話術」は私の愛読書の1つだがこんな話が紹介されている。
昭和49年のことだ。野党議員が衆議院予算委員会に三菱商事の社長を呼んで吊し上げた。タイで合弁事業の指揮を執っていた社員が社内報に「豚は太らせてから料理せよ」と書いてタイ国とタイ人を蔑視したのはケシカランと叱責して社長に謝罪させた。この経緯は新聞でも報じられたらしいがとんだ誤読だった。ここで豚に喩えられていたのは自社の合弁事業であってタイ国やタイ人ではなかった。中途半端に合弁事業を打ち切るべきではないという主張に対する酷い言い掛かりだった。マスコミは出典を調べることを怠って、悪徳企業を懲らしめる正義の味方として野党を称賛したが、政治家もマスコミも全く無責任だ。
強大な権力を握る政治家やマスコミと喧嘩をしても不利になるだけだ。二の矢・三の矢で矢継ぎ早に攻められては堪らない。だから三菱商事の社長は「読解力0の阿呆共め」と思っても陳謝せざるを得なかった。こんな事情があるから政治家もマスコミも増長する。
写真が真実を写さないことも意外と理解されていない。写真があれば「百聞は一見に如かず」と信用する人が多いが、写真は印象を操作するための道具としてしばしば悪用される。人の表情は刻一刻変化するから一瞬の表情を切り取ってしまえば印象が変わる。サミットを成功と伝えたい新聞なら安倍首相の笑顔を使い、失敗だったと報じたい新聞は苦々しい表情を使う。こんな簡単なことで印象を操作できる。
部分は全体の一部として捕えるべきであり独り歩きをさせてはならない。外科医は悪い臓器を切り取ってしまえば片付くかのように考え勝ちだがその臓器を失った人がどうなるかということを余り考えない。
専門医は自分の領域しか考慮しないから部分の改善が全体の改悪を招いても気にしない。血流、血糖、コレステロールなどが不足すれば脳の機能が低下する。しかし生活習慣病を「治療」しようとする医師は平気で脳の機能を低下させる薬を乱用する。昨年コレステロールの摂取制限が取り消され、今年の5月には高齢者の血糖値の基準値が緩和された。来年にはいよいよ高血圧の「正常値」が根本的に見直されるのではないかと私は期待している。部分医療ではなく総合医療こそ望ましい。
ある人が2つの症状のために内科と整形外科に通ったとする。この全く異なる症状の原因が同一であった場合、内科と整形外科が類似した薬を処方するということは大いにあり得る。その場合、薬効成分が重複するから過剰投与になる可能性が高い。総合医療あるいは「お薬手帳」に基づいてこんな重複を回避する必要がある。
文字に対する誤解は再確認することによって解消できる。しかし発言であれば証拠が残らないから意外な誤解が起こり得る。マスコミやネットが有名人の言葉尻を捉えて非難することが少なくないが前後の文脈から考えて言い掛かりと思えることが少なくない。
阿刀田高氏の「詭弁の話術」は私の愛読書の1つだがこんな話が紹介されている。
昭和49年のことだ。野党議員が衆議院予算委員会に三菱商事の社長を呼んで吊し上げた。タイで合弁事業の指揮を執っていた社員が社内報に「豚は太らせてから料理せよ」と書いてタイ国とタイ人を蔑視したのはケシカランと叱責して社長に謝罪させた。この経緯は新聞でも報じられたらしいがとんだ誤読だった。ここで豚に喩えられていたのは自社の合弁事業であってタイ国やタイ人ではなかった。中途半端に合弁事業を打ち切るべきではないという主張に対する酷い言い掛かりだった。マスコミは出典を調べることを怠って、悪徳企業を懲らしめる正義の味方として野党を称賛したが、政治家もマスコミも全く無責任だ。
強大な権力を握る政治家やマスコミと喧嘩をしても不利になるだけだ。二の矢・三の矢で矢継ぎ早に攻められては堪らない。だから三菱商事の社長は「読解力0の阿呆共め」と思っても陳謝せざるを得なかった。こんな事情があるから政治家もマスコミも増長する。
写真が真実を写さないことも意外と理解されていない。写真があれば「百聞は一見に如かず」と信用する人が多いが、写真は印象を操作するための道具としてしばしば悪用される。人の表情は刻一刻変化するから一瞬の表情を切り取ってしまえば印象が変わる。サミットを成功と伝えたい新聞なら安倍首相の笑顔を使い、失敗だったと報じたい新聞は苦々しい表情を使う。こんな簡単なことで印象を操作できる。
部分は全体の一部として捕えるべきであり独り歩きをさせてはならない。外科医は悪い臓器を切り取ってしまえば片付くかのように考え勝ちだがその臓器を失った人がどうなるかということを余り考えない。
専門医は自分の領域しか考慮しないから部分の改善が全体の改悪を招いても気にしない。血流、血糖、コレステロールなどが不足すれば脳の機能が低下する。しかし生活習慣病を「治療」しようとする医師は平気で脳の機能を低下させる薬を乱用する。昨年コレステロールの摂取制限が取り消され、今年の5月には高齢者の血糖値の基準値が緩和された。来年にはいよいよ高血圧の「正常値」が根本的に見直されるのではないかと私は期待している。部分医療ではなく総合医療こそ望ましい。
ある人が2つの症状のために内科と整形外科に通ったとする。この全く異なる症状の原因が同一であった場合、内科と整形外科が類似した薬を処方するということは大いにあり得る。その場合、薬効成分が重複するから過剰投与になる可能性が高い。総合医療あるいは「お薬手帳」に基づいてこんな重複を回避する必要がある。