俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

水平持ち

2016-06-08 09:51:45 | Weblog
 使わない傘を横向きにして持ち歩く人がいる。使わない傘は杖のように縦にして持つのが当たり前だと思うのだが彼らはまるでリレーのバトンのように横に持って前後に振る。平坦な場所であればさほど気にならないが、登り階段や昇りエスカレータでこんな持ち方をされれば傘の先端が目の前に迫るから、単に不快なだけではなく実際に危険だ。きっと周囲の歩行者に気を使う必要の無い過疎地育ちの田舎者なのだろう。
 とは言え私も大阪在住時に2・3度見掛けた。そんな時は必ずワザと当りに行った。決して因縁を付けようとした訳ではない。無知な人にそれが危険であることを理解させるためだ。全員、傘を縦に持ち替えて逃げるように立ち去った。偉そうに注意をするよりもこうしたほうが却って円満に解決できるのではないだろうか。
 私は役割上やむを得ない場合以外は、上から目線で他人に注意したくない。第三者に注意や指導をすることは優越感に基づく行為だ。注意されて怒る人は、注意されたということに怒るのではなく見下されたことに怒っている。明らかに自分が間違っていたことに気付かされた時、劣等意識の強い人ほど恥じ入る代わりに逆切れし易いから注意が必要だ。私が編み出した方法は自らを当事者にすることによって優越者の位置に自分を置くことを回避する。当事者であれば被害者と加害者という立場の違いがあっても一応同じ地平に立てる。あとは相手が反省すれば済むことであって私がわざわざ教え諭す必要などあるまい。
 傘の横持ちを水平持ちと名付けた人は多分、「水平」という言葉に凶器というイメージを持つ少数者つまり団塊の世代の全共闘崩れの人だろう。他の世代は「公平」とか「平等」という悪くないイメージを持っている。当時の凶器になり得た「水平」の用語例は3つある。
 第一の例は「水平打ち」だ。これはプロレスの力道山の得意技だった。斜め上から打ち下ろす空手チョップを強化した荒業だ。鍛えることが難しい喉を攻撃するから必殺技にもなり得た。
 第二の例は多分、新左翼側による造語だろう。マスコミが報じる機動隊は、学生の暴力に耐える正義の味方だったが、機動隊員も人間だ。耐えてばかりではいられずたまには憂さ晴らしもした。周囲に見えないように足を掛けたり乱闘のドサクサになれば、盾を防具としてではなく横向きにして武器として使った。それを学生の側では「盾の水平打ち」と呼んでいた。「盾」と「横」と「水平」のシャレを狙ったネーミングだったのかも知れない。
 外から見ていれば案外気付かないことだが機動隊員と学生の体力差は歴然としていた。片や屈強な戦士であり片や青瓢箪だ。戦にならないほど戦闘力が違っていた。
 最後の1つは「催涙弾の水平撃ち」だ。これはマスコミも使っていた言葉で機動隊員による過剰警備と位置付けられていた。たとえ催涙弾であろうとも銃のように扱って人に向かって発射すれば充分凶器になった。
 水平持ちと名付けた人についてプロファイリングを試みたが当たっているかどうかは分からない。知っている人がいれば教えてほしい。