知的障害者によるサッカー大会を初めて観戦した人がこんな感想を漏らした。
彼らのサッカーは通常のサッカーとは全然違う。最大の特徴は、プレイヤーの極端な偏在だ。戦略や戦術は殆んど無く、ゴール前に張り付いているいるゴールキーパー以外の全員が敵も味方もボールの周囲に群がって、全体がまるで1個の生命体のように激しく躍動する。その有機体のようにさえ見える不思議な動きは流れるようで美しい。
私は知的障害者を愚弄したくてこんな話を書いている訳ではない。ゲームに参加するために少しでもボールに近付くこと、これは至極真っ当な判断だ。私自身、小学生の時はそんなサッカーを楽しんでいた。むしろ相手チームの選手のいない場所に配置した味方にパスを繋いで得点しようとするような姑息な手段こそ、遊びとしてのサッカーから逸脱して勝つことだけを目的とした悪知恵のようにさえ思える。これは正々堂々とした戦いではない。
目先の利害に捉われることは動物としての宿命だ。現在と未来を秤に掛けたら殆んどの人が現在を選ぶ。食事制限が必要な人でも目の前にご馳走があれば欲望を抑え切れないし、たとえ彼女がHIV(エイズ)に冒されていると分かっていても美女の魅力には抗い難い。大切な赤ちゃんを抱いていても突然後頭部を殴打されたら手を離してしまうかも知れない。痴漢の濡れ衣を着せられた時に、一刻も早くその場から逃れたいという思いから嘘の自白をして罪を認めてしまう人は決して少なくなかろう。爪を剥がす類いの拷問を受ければ仲間を裏切ってしまうこともあり得る。
人は未来よりも現在や近未来を大切にするものだ。想像上での苦痛よりも現実の苦痛のほうが耐え難い。これは動物としての必然だ。こんな人類だから民主主義においても現在を重視することになる。未来の安定した幸福よりも今の安逸のほうが優先され勝ちだ。その理屈は幾らでも並べられる。不確かな未来よりも確かな現在のほうが重要だ、非常時である現在を乗り切らないことには未来などあり得ないetc.etc.。
要するに飢えた人々にとっては2日後のステーキよりも今のパンのほうが重要だということだ。ポピュリズム政治家はそんな人々に取り入ろうとする。ギリシャのチプラス政権やタイのタクシン派のように薔薇色の未来を約束すれば大衆はたとえそれが未来を犠牲にして国を破綻させるとんでもない政策であっても気にしない。背に腹は代えられないから願望に目が眩んで現実が無視される。
切羽詰まった人が多いほど薔薇色の近未来は魅力を増す。危機的な状況においてこそ不合理な空約束が効果的であるとは全く困ったことだ。あの聡明なドイツ人でさえナチスの甘言に騙されてヒトラーに全権を委ねてしまった。
今のところ日本は危機的状況ではなかろう。しかしマスコミが危機を煽れば煽るほど大衆は危険な選択をしようとするものだから、良かれという思いで煽ったことがとんだ危機を招くということは大いにあり得る。合成保存料の危険性を過度に騒げば食中毒が増えるし、DDTの毒性を騒ぎ過ぎたばかりにマラリアによる死者を激増させてしまった。たとえ善意に基づくものであろうともデマゴーグに頼って現実を軽視すれば恐ろしい結果を招きかねない。
彼らのサッカーは通常のサッカーとは全然違う。最大の特徴は、プレイヤーの極端な偏在だ。戦略や戦術は殆んど無く、ゴール前に張り付いているいるゴールキーパー以外の全員が敵も味方もボールの周囲に群がって、全体がまるで1個の生命体のように激しく躍動する。その有機体のようにさえ見える不思議な動きは流れるようで美しい。
私は知的障害者を愚弄したくてこんな話を書いている訳ではない。ゲームに参加するために少しでもボールに近付くこと、これは至極真っ当な判断だ。私自身、小学生の時はそんなサッカーを楽しんでいた。むしろ相手チームの選手のいない場所に配置した味方にパスを繋いで得点しようとするような姑息な手段こそ、遊びとしてのサッカーから逸脱して勝つことだけを目的とした悪知恵のようにさえ思える。これは正々堂々とした戦いではない。
目先の利害に捉われることは動物としての宿命だ。現在と未来を秤に掛けたら殆んどの人が現在を選ぶ。食事制限が必要な人でも目の前にご馳走があれば欲望を抑え切れないし、たとえ彼女がHIV(エイズ)に冒されていると分かっていても美女の魅力には抗い難い。大切な赤ちゃんを抱いていても突然後頭部を殴打されたら手を離してしまうかも知れない。痴漢の濡れ衣を着せられた時に、一刻も早くその場から逃れたいという思いから嘘の自白をして罪を認めてしまう人は決して少なくなかろう。爪を剥がす類いの拷問を受ければ仲間を裏切ってしまうこともあり得る。
人は未来よりも現在や近未来を大切にするものだ。想像上での苦痛よりも現実の苦痛のほうが耐え難い。これは動物としての必然だ。こんな人類だから民主主義においても現在を重視することになる。未来の安定した幸福よりも今の安逸のほうが優先され勝ちだ。その理屈は幾らでも並べられる。不確かな未来よりも確かな現在のほうが重要だ、非常時である現在を乗り切らないことには未来などあり得ないetc.etc.。
要するに飢えた人々にとっては2日後のステーキよりも今のパンのほうが重要だということだ。ポピュリズム政治家はそんな人々に取り入ろうとする。ギリシャのチプラス政権やタイのタクシン派のように薔薇色の未来を約束すれば大衆はたとえそれが未来を犠牲にして国を破綻させるとんでもない政策であっても気にしない。背に腹は代えられないから願望に目が眩んで現実が無視される。
切羽詰まった人が多いほど薔薇色の近未来は魅力を増す。危機的な状況においてこそ不合理な空約束が効果的であるとは全く困ったことだ。あの聡明なドイツ人でさえナチスの甘言に騙されてヒトラーに全権を委ねてしまった。
今のところ日本は危機的状況ではなかろう。しかしマスコミが危機を煽れば煽るほど大衆は危険な選択をしようとするものだから、良かれという思いで煽ったことがとんだ危機を招くということは大いにあり得る。合成保存料の危険性を過度に騒げば食中毒が増えるし、DDTの毒性を騒ぎ過ぎたばかりにマラリアによる死者を激増させてしまった。たとえ善意に基づくものであろうともデマゴーグに頼って現実を軽視すれば恐ろしい結果を招きかねない。