俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

唐入り

2012-12-22 09:02:59 | Weblog
 天下統一を果たした時点で豊臣秀吉は困り果てた。それまでの貴重な人材が余剰人員になってしまったからだ。
 当時の日本は多分世界最強の軍隊を持っていた。しかしこの武力集団は戦闘のスペシャリストだ。現代の自衛隊とは違って土木工事や災害救助には使えない無用の長物だ。そこで秀吉が選んだ対策は中国征服だ。朝鮮出兵はそのためのプロセスであって目的はあくまで「唐入り」つまり明王朝の征服だ。
 侵略の是非を問おうとは思わない。当時の価値観では強い国が弱い国を支配するのは当然のことだった。しかし日本軍は朝鮮・明の連合軍に敗れた。余剰人員の活用と領土拡張という一石二鳥の作戦は虚しく潰えた。
 過剰な武力が災いを齎すことは人体でも起こる。免疫という強力な防衛力が暴走することがある。アレルギー反応がそれだ。免疫力は常に病原菌と戦っている。ところが日本が清潔になり過ぎると戦う相手がいなくなる。そのために戦う必要の無い相手と勝手に戦い始める。
 今ではすっかり国民病ともなっている花粉症だが、杉花粉症の第一号患者が日光市で確認されたのは昭和38年、東京オリンピックの前の年だ。多分、当初は奇病として扱われたことだろう。今では国民の約30%が患っていると言われている。
 病原性大腸菌Oー157の被害が増えたのは無害の大腸菌が減ったせいではないだろうか。Oー157の生命力は普通の大腸菌よりも劣っているそうだ。通常なら生存競争で淘汰される筈の菌だが、普通の大腸菌が減ったからこんな迷惑な大腸菌が繁殖するようになったのだろう。人類は細菌と共存すべきなのだろう。清潔であり過ぎることが災いを招く。

解散のタイミング

2012-12-20 09:13:13 | Weblog
 田中真紀子文部科学大臣は「自爆テロ解散だ」と言って今回の野田首相による解散を非難しているが、これは自分が落選したことに対するヤツ当りだろう。むしろ野田首相の言うとおり「年を越せばもっと酷くなる」ということが実情で、年内解散という判断は惨敗を最小限に食い止める英断だったと思う。
 第一に、年を越せば「嘘つき」の言葉が重くなる。「近いうちに信を問う」と言ったことを認めているのだから遅くなれば遅くなるほど不利になる。
 第二に、小沢グループの抜けた民主党の集票力が半減しているということだ。それなりに支持基盤を持っていた小沢グループの基礎票が欠けた時点で自民党に太刀打ちできないことは明らかだ。小沢グループを排除したことによるプラス効果よりもマイナス効果のほうが圧倒的に大きい。その中で第三極が台頭しつつあった。11月の時点ではバラバラだった第三極が集結すれば反民主・反自民の受皿として躍進して民主党を凌ぎかねない。バラバラな内に仕掛ければ第三極内で勢力争いが起こる。実際に、選挙協力をしようとしていた維新の会とみんなの党は調整に失敗して多くの選挙区で共倒れとなった。あるいは小沢グループに飲み込まれた旧・減税日本や旧・未来の党は惨敗した。もし減税日本のまま選挙に臨んでいれば16人全員が落選するような惨めな結果にはならなかっただろう。
 野田首相が思い描いた最悪のシナリオは、自民党だけではなく第三極にも負けて第三党に転落することだっただろう。解散を急ぐことによってそれだけは阻止できたが、そのために自民党が漁父の利を得たとも言えよう。
 参院選まであと半年ある。それまでに第三極が体勢を整えれば野田首相が恐れていた最悪のシナリオが実現する。民主党の代表選に誰も立候補しないのは、参院選では衆院選よりも酷い大惨敗の可能性が高くその責任を取らされることから逃れようとしているからだろう。

軽減税率

2012-12-20 08:41:12 | Weblog
 政権は交代したが3党合意に基いて消費増税は実施される。しかしせっかく政権が代わったのだから増税内容の見直しぐらいはやって欲しい。民主党政権では殆んど俎上に載せられなかったが、新政権の目玉政策として軽減税率が取り上げられることに期待したい。
 1つは食料品などに対する軽減税率だ。もう1つは医療・教育・福祉などの非課税から税率0への変更だ。昨年の11月25日付けの「消費税増税(2)」でも書いたことだが、非課税事業の場合、仕入れに掛かった消費税の全額が自己負担となる。そのため増税されればその分が丸々経費増になる。
 零細企業が消費税を販売価格に転嫁できなくて苦しいという話はマスコミでも採り上げられるが、非課税事業者の場合は一部ではなく全く転嫁できない。こんな状況で増税されたら病院や学校の倒産が相次ぐ。
 税率0であれば消費税相当額を利用者から徴収できなくても、仕入れに掛かった消費税の還付を受けることができる。これならば消費税の負担から免れることができる。税率0が無理なら1%でも良い。利用者が1%を負担すれば、事業者は徴収した税額から仕入れで発生した税額を差し引いて納税し、それがマイナスであれば還付を受けることになる。
 新たに発生する還付額は、輸出企業に対して現在支払っている還付額に比べれば微々たるものだ。何らかの手を打たなければ医療・教育・福祉は破綻する。3党合意文書には「医療に関する税制上の配慮等についても幅広く検討を行う」と明記されている。是非幅広く検討して改善して貰いたいと思う。

違い

2012-12-18 11:21:02 | Weblog
 「何でも美味しい」と言う人がいる。私が小学生の頃、学校給食を喜んで食べている同級生がいた。今ではかなり改善されているが、当時の給食は酷い物だった。そのシンボルが脱脂粉乳だ。アメリカで大量に発生する搾りかすの処理場として日本の学校給食が使われた。アメリカ人にとってのゴミが日本では食料とされた。不味くて吐き気を催させる代物だったがそれを喜んで飲んでいる人がいた。先生からは誉められていたが、多分正常な味覚を持ち合わせていなかったのだろう。脱脂粉乳のせいで味覚が狂った人は少なくなかろう。
 音楽の分からない人にとってはどの曲も同じようなものだ。だから流行っている曲が良い曲とされる。美の分からない人は著名な作家の作品を有難がる。善の基準が無くなれば「総て善し」となる。イワン・カラマーゾフの「神が無ければ総てが許される」はその典型だ。
 優劣を判定するためには能力が必要だ。その能力が備わっていなければ区別できない。人間はどの猿が賢いのか判別できるが、猿にはどの人間が賢いのか分からない。
 政治が分からない人は政治家を選ぶ能力が無い。だからそんな人は芸能人やスポーツ選手に投票する。彼らにとっては誰であろうと何党であろうと、違いが分からない。だから彼らにも分かる基準である馴染みがあるかどうかが判断基準になる。

脱デフレ

2012-12-18 10:53:48 | Weblog
 自民党の安倍総裁は2%の物価上昇を目標にすることによってデフレ脱却を図ろうとしているようだ。デフレを物価の下落と定義するならそれでも良かろう。しかし物価の下落は結果であって原因ではない。
 経済学者は数式を使うことが好きだ。数学的に「こうすればこうなる」と断言したがる。多くの場合、それは相関関係であって因果関係ではない。経済学と医学は因果関係と相関関係を混同し勝ちだ。
 「風邪が治れば熱が下がる」という事実から「熱を下げれば風邪は治る」と考えることは論理的にも医学的にも誤りだ。発熱はウィルスに対する攻撃であると同時に免疫力向上反応なので、薬で熱を下げれば病は悪化する。原因と結果を取り違えているからこんな馬鹿な医療が横行している。
 デフレのメカニズムは次のように説明される。景気の低迷→企業業績の悪化→賃下げ・雇用の減少→消費の低迷→物価の下落→企業業績の悪化→。これがデフレスパイラルと呼ばれるが「スパイラル」と呼ぶことで原因と結果を曖昧にしている。どれが原因か分からないのでスパイラルという言葉で逃げているようにも思える。まるで卵が先か鶏が先かの議論のようだ。
 物価を上げるだけでは景気は回復しない。雇用と賃金の上昇、そしてそれが齎す消費の好転を伴わなければスタグフレーションを招きかねない。
 安倍氏は楽観的なシナリオを描いているようだ。補修を含む公共事業→民間投資と雇用の創出→景気の回復→税収増→国家財政の再建。このように総てが思惑どおりになれば経済の問題は一挙に解決される。うまく行かなければ、将来世代へのツケが拡大する。これがうまく行くかどうかは分からないが、現役世代にとってマイナスになることは無かろう。

既存の施設

2012-12-16 10:56:52 | Weblog
 笹子トンネルは事故の起こった上り線だけではなく下り線でも多くの不具合が見つかった欠陥トンネルだ。しかしこれを廃止せよという議論は全く無い。補修工事をして騙し騙し使えば良いという方向でコンセンサスが得られているようだ。
 なぜ廃止しようとしないのか。作り直せば10年近い歳月と数百億円の費用が掛かるからだ。多少危険であろうとも使える施設なら使えば良い、怖くて通れない人は迂回をすれば済む、ということだろう。施設とはそんなものだろう。造った瞬間から老朽化が始まり、危険な状態になってから初めて取り壊される。
 原発はどうだろうか。今更新たな原発を作ることは不可能だが、既存の原発の内使える物は使ったら良い。施設も人もエネルギー源も揃っているのだからこれを使わないことは宝の持ち腐れとさえ言えよう。
 笹子トンネルは庶民が利用できる施設であり、これを使えないことは権利に対する侵害と捕らえられる。原発は電力会社だけが使う施設であり庶民にとっては縁遠い存在だ。だから安易に原発禁止が叫ばれる。しかし電気は国民の必需品だ。安価で安定した電気を使うことは国民の権利だろう。
 私は事故以前からの原発反対者だ。地震大国である日本に原発は危険過ぎると考えている。しかし既に作った施設を使うなとは言いたくない。作る前に断固反対して阻止すべきだ。作ってしまった施設はできるだけ有効に活用すべきだろう。今の日本の原発は事故以前と比べれば遥かに安全な状態になっており、廃炉になるまでに重大な事故を起こす可能性は殆んど無かろう。

危険性

2012-12-16 10:36:34 | Weblog
 笹子トンネルと原発はどちらが危険だろうか。事故の起こった上り線だけではなく下り線でも670箇所の不具合が見つかっているのだから欠陥トンネルだと思える。安全重視の風潮からすれば廃止という話が出ても良かろうと思うがそんな話は一向に耳にしない。
 原発の危険性はどの程度だろうか。昨年の事故は1,000年に一度と言える大地震によるものだから再び近いうちに起こる可能性は極めて低い。それなのに原発廃止論が強い。
 可能性だけで考えれば笹子トンネルのほうが原発よりも遥かに危険だ。それなのに原発のほうが危険だと見なされるのはなぜだろうか。笹子トンネルなら被害者はせいぜい数十人だが原発なら数十万・数百万人に被害が及ぶからだ。
 数学には「期待値」という概念がある。それは報酬×確率で算出される。例えば1億分の1の確率で1億円が当る籤の期待値は1円であり、100分の1の確率で1,000円が当る籤なら10円だ。期待値が10円の籤のほうが圧倒的に有利だ。
 危険性を測るには期待値を使う必要がある。それは事故が起こった時の被害にその可能性を掛けることによって算出できる。期待値という概念を使わなければ原発の存否は議論できない。原発存続派は、あと1,000年は安全だと主張し、反対派は、事故が起こったら重大な災害になると主張する。これでは議論は噛み合わない。危険性は「期待値」に基いて判定されるべきだろう。

健康情報

2012-12-14 13:35:23 | Weblog
 あり得ない話だが、もし個人の記憶容量が一定なら、記憶すべきことを取捨選択する必要がある。重要なことだけを記憶に収めて重要でないことは排除すべきだ。社会常識を欠いた人が妙に芸能やスポーツ情報に詳しいことはよくある。彼らは記憶の取捨選択を誤っているのだろうか。そうではなかろう。情報の質を決めるのは時間だ。自由時間は有限なのでどの情報のためにどれだけの時間を割けるかによって情報の質は決まる。テレビや週刊誌ばかりに時間を割いていれば重要な情報を集めるための時間が無くなる。重要な情報は脳から溢れているのではなく初めからインプットされていないと考えて間違い無かろう。
 では最も重要な情報とは何だろう。平凡な答だが健康情報だろう。困ったことに社会には偽の情報が蔓延している。善意に基く嘘も悪意(商業主義など)に基く嘘もあり何が本当なのか分かりにくい。
 マスコミは自動車産業に次ぐ大スポンサーである製薬会社の意向に背こうとはしない。風邪薬や鎮痛剤が有害であることが分かっていてもマスコミは報じず逆に盛んにコマーシャルを流し続ける。
 国も頼りにならない。厚生労働省がもう少しまともならこんな無秩序になることは無い筈なのだが、薬害エイズ事件にも見られるように、国民より製薬会社を大切にするような体質だ。傷を消毒すべきでないことは今では殆んど定説になっているようだが、厚労省は一般市民に対しては勿論、医師に対してさえ通知しているようには思えない。
 医師も製薬会社とは腐れ縁だ。薬が毒物であることを積極的に告げる医師は少ない。患者は患者で多くの薬を受け取って喜んでいる。無知に基く困った調和だ。
 国もマスコミも医師も本当のことを言わないから国民は正しい健康知識とは縁が無くなっている。せめてNHKぐらいは製薬会社の嘘を暴いてくれないものだろうか、

妊娠中絶

2012-12-13 13:40:39 | Weblog
 私は妊娠中絶をそれほど悪いこととは思っていない。中絶は殺人と同じだと主張する人もいるが、中絶は文字通り「中途で絶つ」ことであり生まれた子供を殺すこととは違う。むしろ母体の健康のほうが気掛かりだ。
 もし中絶が殺人と同じなら人工授精時に行われる受精卵の選別も殺人だろう。受精卵はその時点で既に遺伝子が確定しているからだ。
 もっと極端なことを言えば排卵でさえ殺人になり得る。非受精の卵子を培養してクローンに育てることは多分近い将来可能になるだろう。それなら卵子の時点で生命体とさえ言えよう。
 妙な理屈を捏ねるのは「人間と胎児は同じではない」と言いたいからだ。同様に胎児は受精卵や卵子と同じではない。これは白・グレー・黒の関係と同じであって人間と卵子の間には無数の中間段階がある。
 無数の中間段階があるからどこかで線引きをせざるを得ない。妙なヒューマニズムを振り翳して胎児の人権などを主張するから矛盾に陥る。
 中絶の倫理を問う前に、なぜ母体の危険を冒してまで中絶する必要があるのかが問われるべきだろう。中絶せざるを得ないやむにやまれぬ事情があるからだ。高校生である、結婚できる可能性が無い、貧しくて育てられない、暴行による妊娠など様々な事情があり得るが、出産することによって母子共に不幸になるケースが大半だろう。それぞれの事情を放置しておいてわざわざ不幸な母子を新たに作ることが「正義」とは思えない。
 不幸は当事者だけに留まらない。「ヤバい経済学」(東洋経済新報社)によると、1990年代にアメリカで犯罪が激減したのは1973年に中絶が合法化されたから、とのことだ。出産すべきでない環境で産まれた歓迎されない子供は劣悪な環境で育てられるために犯罪者になる可能性が高いようだ。中絶を認めることが犯罪被害者の減少にも繋がるのだから多少でも功利主義的な考えを持つなら中絶を認めざるを得ないだろう。

学力

2012-12-13 13:07:39 | Weblog
 11日に2011年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が発表された。文部科学省は、脱ゆとり教育の成果が現れて小4・中2の学力が向上したと見ているようだが全く楽観できない状況だ。「小4の算数・理科が過去最高点」という類の見出しを新聞各紙が掲げているがこの評価はまやかしでしかない。小4の参加国数を見ると2003年以降、25カ国・36カ国・50カ国と増加している。上位の常連のシンガポール・台湾・韓国・香港・日本の5カ国はほぼ毎回参加しているから、フィンランド以外の新たな参加国は殆んどがこの5カ国よりも学力の低い国だ。従って平均点は下がる可能性が高い。このことを補正せずに、全体の平均点が500点になるように調整すればどの国の相対的得点でもこれまでよりも高くなる。もし全体の得点ではなくシンガポール~日本の上位常連5カ国の平均点を基準にすれば、日本の得点はゆとり教育の見直しのきっかけとなった2003年と同程度の得点にしかならないだろう。今回の結果を本気で喜んでいるのなら文部科学省の役人の学力こそ問われるべきだろうし、文科省の発表を鵜呑みにするマスコミも同程度に阿呆だ、
 この資料には現れていないが日本人の学力にはそれ以外にも大きな問題がある。学力は通常、身長などと同様に正規分布する。つまり横軸に得点を、縦軸に人数を取ると平均値近辺が最も高く、それをピークにして左右になだらかな曲線を描く。ところが現在の日本人の学力は「ふたこぶラクダ」を描く。つまり平均点付近が抉れてその両隣に山ができる。これはどういうことだろうか?
 本来「中の中」の学力を得られる筈の者が中の下や下の上へとランクダウンしているからだ。では最大多数である「中の中」が落ち零れるのはなぜだろうか。努力しないからだ。普通に勉強すれば中の中になれる者が勉強しないから中の下や下の上に落ちている。社会において中流階級が重要であるように、学力も中の中の充実こそ望ましい。このドロップアウト集団が日本人の平均的学力を押し下げている。