俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

二刀流

2013-06-20 10:08:32 | Weblog
 大谷翔平投手の二刀流が話題になっているが、まだまだ「客寄せパンダ」のレベルであって本物ではない。過去には凄い投手が沢山いる。
 一番凄いのは巨人の堀内恒夫投手だ。1967年10月10日にノーヒットノーランの偉業を達成するのと同時に3打席連続ホームランを打っている。
 これに勝るとも劣らないのが1973年8月30日の阪神の江夏豊投手だ。延長11回の試合でノーヒットノーランを達成しただけでなく、決勝点は何と自らのサヨナラホームランだった。但しその後が悪い。「野球は一人でも勝てる」と放言してチームメイトから嫌われた。気持ちは充分に分かるがここは日本人らしく同僚を立てて欲しかった。
 戦前戦後にかけて阪急などで活躍した野口二郎投手は投手で4番を26試合も勤めた。
 強打者でもある名投手は少なくない。国鉄・巨人で活躍した400勝投手の金田正一投手や阪神の村山実投手などはしばしば代打でも登場した。
 こういった面々と比べれば、当然のことながら大谷投手はヒヨッ子だ。名選手として球史に名を残すためにはまだまだ精進が必要だ。持ち味である速球に磨きをかけて欲しい。
 万一、投手として大成しなくても打者の道が残っている。世界のホームラン王の王選手は甲子園の優勝投手であり、打撃の神様の川上哲治選手は準優勝投手だ。あのイチロー選手も愛工大名電高のエースとして甲子園大会に出場している。最悪の場合でも、投手を諦めてから打者に転向しても手遅れにはなるまい。まずは投手として一流を目指して貰いたいと思う。

丸投げ

2013-06-20 09:28:43 | Weblog
 子宮頸癌ワクチンの推奨中止を報じる18日の朝日新聞の見出しは「接種判断 丸投げなの」となぜか女性言葉だった。推奨しないことがなぜ責任放棄になるのか私には理解できない。逆に「どうすべきか示せ」と言うほうこそ責任を国に丸投げしているように思える。国が決めたら途端に不安から安全・安心に変わる人の精神構造を疑う。奴隷根性としか思えない。
 いつも書いていることだが薬は同時に毒物でもあり得る。誰にでも絶対に安全な薬などあり得ない。牛乳や小麦の食品アレルギーで死ぬ人さえいるのだから薬の副作用で死ぬことも覚悟すべきだろう。リターンを得るためにはリスクを負わねばならない。ノーリスク・ハイリターンは幻想であり、そんなものはかつて海江田万里氏が推奨した安愚楽牧場のようなものだ。そんな怪しいものこそ絶対に信じてはならない。
 それにしてもこの朝日新聞の記事は胡散臭い。散々、厚生労働省を批判している私が言うのは奇妙かも知れないが、作為が見え過ぎる。事実の報道の形を取っているが肝心な引用文にはどれも主語が無く、記者の創作と思える。例えば「『判断の丸投げだ』とのいらだちも募る」と書いているが、いらだっているのは誰だろうか。記者個人の感情ではないだろうか。これを社説に掲載するのなら一向に構わないが社会面の記事としては不適切だろう。公平な記事を装いながら世論を誘導しようとするところに朝日新聞らしい嫌らしさが感じられる。 
 朝日新聞の記事をコメント欄に引用するので参照して欲しい。なお紙面では「丸投げなの」だった見出しがデジタル版ではいつの間にか「丸投げか」に変わっている。

養老放棄(2)

2013-06-18 10:28:59 | Weblog
 現役時代は、田舎に住む母を扶養親族に登録して毎月銀行振込で仕送りをしていた。退職後は現金を直接手渡すようになった。ふと、とんでもないことを思い付いた。私が扶養をせず母に生活保護を受けさせたらどうなるだろうか。
 現状は毎月、大体次のとおり。
 ○私  扶養控除1,000円  仕送り50,000円  合計△49,000円
 ○母  年金50,000円    仕送り50,000円  合計100,000円
 一方、母が50,000円の生活保護を受けたらこうなる。
 ○私  扶養控除0円  
 ○母  年金50,000円    生活保護費50,000円  合計100,000円
 これなら母の生活は全く同じままで私の負担が減って公費支出が49,000円増える(生活保護費50,000円ー扶養控除1,000円)。更に医療費まで無料になる。私とて鬼ではないので幾らかを小遣いとして渡すとしても現状よりも負担は小さくなる。
 こんなことをしている人が決して少なくないのではないだろうか。せっかく国が金を出すと言うのだから国民として受給する権利がある。それどころか権利を行使しない人こそ無知蒙昧であるとさえ言えよう。生活保護を受ければダブルインカムやトリプルインカムまで可能になる。
 私自身がこんなことをしようとは思わないし他人に勧める気も無い。しかしこんな方法を使う人を咎めることもできない。親の扶養が子の義務とはされていないので合法だからだ。生活保護を受けている老人の少なからずが、そのほうが得だからという理由で子による扶養を受けていないのではないだろうか。一時期問題になった公務員の親の生活保護費受給率の高さはこの実例ではないだろうか。
 こんな妙なことになるのは扶養控除が少な過ぎることも一因だろう。私は基本的には控除を増やして給付は減らすべきだと考えている。子ども手当てなど無くして扶養控除を充実させるべきだと考えている。そうしないと正直者が馬鹿を見る変な社会になると思う。
 なお、4月19日付けの「養老放棄」ではこんな裏技ではなく、社会問題として捕らえているので参照して欲しい。

WhyとHow

2013-06-18 09:55:36 | Weblog
 Whyと問わない人が増え続けている。その一因は皮肉なことに科学技術の進歩だろう。身近にある情報機器はすっかりブラックボックス化しているので「なぜ」と問わずに「どう」使うかだけを知れば事足りる。
 しかしWhyは本当に不必要だろうか。「なぜ」を問わなければ因果関係と相関関係が混同されて迷信が罷り通ることにもなりかねない。
 平成21年に文部科学省が、朝食を食べないと学力も運動能力も低下すると発表した。悪習を勧めている訳ではないので目クジラを立てる必要は無いが、朝食さえ食べれば成績が上がるのかと問うなら疑問が生じる。なぜ朝食を食べないのかが問われるべきだろう。
 色々考えられる。貧しくて食費を削らざるを得ない、深夜までゲームで遊んでいるので朝起きにくい、食欲そのものが無い、等々。朝食を食べない原因にまで踏み込まないと正しい対策は立てられない。
 戦後のテレビの普及率と平均寿命の延びは見事な相関関係になっている。だからと言ってテレビを見ていれば寿命が延びるという訳ではないし、多分テレビばかり見ている老人は認知症に罹る可能性が高まるので却って寿命を縮めることになるだろう。これはテレビを買える生活レベルになったから寿命が延びたと考えるべきだろう。こんな類の実例は嫌になるほど多い。
 国立がん研究センターは1990年以来、生活習慣についての膨大な量のアンケートを実施してその追跡調査に基いて様々な発表をしているが、残念ながら踏み込みが浅いので眉唾物が多い。これは因果と相関を混同しているからだ。
 怪しげな健康情報に騙されないためにも、可能な範囲でWhyを問う必要がある。現代がWhyを問わない時代だけに、周囲に流されないためにもWhyと問うことを怠るべきではない。

短い老い先

2013-06-16 10:05:26 | Weblog
 老人と若い人を比べた場合、どちらのほうが時間を大切にすべきだろうか。若い人の時間のほうが大切と考えられ勝ちだ。若い人にとっては将来のための貴重な時間であり、老人にとってはオマケの時間だからだ。燃え尽きる前の蝋燭よりも新しい蝋燭のほうが大切なのと同じことだろうか。
 これは逆ではないか。皆が80歳まで生きるとしたら30歳の人には50年残っており、60歳の人には20年しか残っていない。もし10年を浪費するなら30歳なら残りの20%を、60歳なら50%を無駄にすることになる。あるいは30歳の人ならその失敗をコヤシにしてやり直すこともできようが、60歳の人にはそんな余裕は無い。消費期限の切れかけた食品を先に食べるように余命の少ない老人にこそ人生を楽しむ優先権があるのではないだろうか。
 癌で余命3年と宣告された人なら残された時間を大切にしたいと考えるだろう。3年間を精一杯頑張ろうとする人は勿論、享楽に溺れる人もまた「生き切ろう」とする意欲だ。楽しみを極めずにこの世を去るのは勿体ないと考えているからだ。
 老人はなぜ時間を大切にしないのだろうか。それはもうすぐ死ぬという自覚を欠いているからだ。歳を取れば取るほど終わりが近付くという事実から目を背けているからだ。
 残りが少ないと自覚すれば暇潰しなどしていられない。ようやく「社畜」という奴隷的境遇から解放された自由な時間を精一杯楽しまない手は無い。
 老人よ人生を楽しめ!余命の短さを自覚せよ!

可愛い日本人

2013-06-16 09:40:06 | Weblog
 女性の容姿に対する肯定的評価は「美しい」と「可愛い」の2種類に大別できる。「美しい」の典型は八頭身美人であり、背が高く手足が長くなければならない。しかしこれはギリシャ以来の西洋の基準に過ぎない。言わば白人至上主義が捏造した美であって普遍性を持ち得ない。一方、「可愛い」は幼さ・頼りなさなどに対して感じる好感情だ。英語でも恋人をBabyと呼ぶように、これは人類に普遍的な感情だ。
 日本人女性は幼く見える。アメリカのバーでザ・ピーナッツの二人が酒を飲んでいたら誤って店から追い出されそうになったらしい。大半の日本人は背が低く、胴長・短足で頭でっかちだ。こういう幼児的特徴があるために「美しい」と評価されることは難しいが文句無しに「可愛い」。これは決して負け惜しみではない。漫画やアニメの登場人物は3~5頭身だ。そのほうが「可愛い」からだ。
 日本が世界に誇る偉大なサブカルチャーと日本人の容姿が一致するということは大きな強みだ。「まるでアニメのように可愛い」が日本人女性に対する最高の誉め言葉ではないだろうか。きゃりーぱみゅぱみゅさんが海外でも人気が高いのはアニメを意識した容姿や動作により「可愛さ」を演出しているからではないだろうか。
 フィギュアスケートの浅田真央選手と金ヨナ選手は同い年でありながら雰囲気は全然違う。「真央ちゃん」と呼びたくなるほど「可愛い」浅田選手に対して金選手は色っぽい。これが日本人と韓国人の違いだろう。日本人は「可愛さ」を体得しているから長身の浅田選手も可愛い。
 ミスコンでは西洋的な「美しさ」が競われておりある程度基準も確立している。しかし「可愛さ」の基準は確定していない。現時点では無数の「可愛さ」がありその意味は曖昧だ。「kawaii」という言葉を世界に発信した日本人こそ「可愛さ」の魅力を解明してその質的向上に貢献すべきだろう。

子宮頸癌ワクチン

2013-06-15 13:32:00 | Weblog
 厚生労働省は昨日(14日)、子宮頸癌ワクチンの接種を奨励しないことを決めた。これは妥当な判断だろうか、過剰な反応だろうか?
 残念ながら私は子宮頸癌についてはよく知らない。大半の男性もそうだろうから、まず子宮頸癌という病気およびワクチンについて簡単にまとめておこう。
 ・主に性交渉で感染し、国内で年間約17,700人が発症して約2,700人が死亡する。
 ・平成21年から今年の3月末までに357件の重い副作用が報告されている。
 ・接種対象年齢の若い女性が無料で接種できる自治体が多い。
 ワクチンの効果について厚生労働省のホームページでも調べたが「減少するという効果の検証は困難」とされており、ここは勝手に患者も死者も半減すると見込んで試算せざるを得ない。
 もし死者が半減するなら年間1,350人の命が救われることになり、その一方でワクチンによる重い副作用は年間100人程度だから、このワクチンのメリットは明らかにデメリットよりも大きい。しかしそう言い切れないところが予防医療の難しさだ。
 ①命が助かった筈の1,350人は現時点では感染さえしていないのだから、ワクチンによって救われたという実感など持ちようが無い。
 ②副作用の被害者100人は健康体を台無しにされたと考える。
 結局、メリットは誰も実感しないままに被害だけが問題化することになる。
 乳癌予防のために乳房を切除したアンジェリーナ・ジョリーさんの場合は、自らの意思で予防医療を選んだ。だから勇気ある決断として賞賛される。もしこれが誰かによる強制だったら強制した人は徹底的に糾弾されるだろう。
 子宮頸癌ワクチンは統計的には有益だろう。しかし被害者にとってはただの毒物に過ぎない。予防医療ではデメリットばかりが表面化するのだから余程安全なものでなければ奨励すべきではなかろう。
 厚生労働省はこれまでに何度も医療事件を起こしているのだから、マクロの視点でのメリットばかりではなくミクロに配慮する必要がある。 
 多分、厚生労働省はこれまでの薬害を本気で反省してはいない。それは、大半の薬害について、建前はともかく本音では「マクロの視点に立てばデメリットよりもメリットのほうが大きかった」と考えているようだからだ。今回の子宮頸癌ワクチンについてもメリットのほうが大きいと考えているから「中止しないが積極的には勧めない」とした。薬には必ず副作用があり毒でもあり得るということを再認識すべきだろう。

選んだ責任

2013-06-14 10:05:45 | Weblog
 政治家は投票によって選ばれる。従って有権者は政治家との連帯責任がある。選ばれた側に責任があるのと同様、選んだ側にも責任がある。だから国民は主権者としての1票を貴重なものと考えねばならない・・・・。
 こんなのは欺瞞だ!「私」が選んだのではなく私以外の人々が選んだのではないか。確かに「私」は1票を投じている。しかし「私」が投票しなくても結果は同じだ。せいぜいある候補者の得票数が10万票から10万1票に変わるだけのことだ。
 こんな寓話がある。道に塩を撒いている男がいた。何をしているのかと尋ねると「ワニを追い払っている」と答えた。ワニなんか1匹もいないことを指摘すると「私が塩を撒いているからワニが来ないのだ」と言った。個人の投票などこの塩撒きと同じようなものではないだろうか。あるいは「地球の自転を狂わせないために」極力静かに歩くようなものではないだろうか。本人が有効と思っているだけだ。
 少なくともここ数十年、国政レベルでの選挙で1票差で当選した候補者はいない。ということは「私」の1票で当選した人など一人もいないということだ。当選者を決めるのは「私」ではない。私以外の「他人」だ。他人が選んだ政治家になぜ「私」が責任を持たされねばならないのか。
 有権者には政治家を選ぶ権利が与えられている。しかしそれは形式に過ぎない。決めるのは「私」以外の人々だ。「私」は見物人か野次馬に過ぎない。最末端の共犯者に加えられているだけであり、到底、主権者とは言えない。
 投票なんて他人が殺した死体に更に1刺しさせられるようなものだ。「私」が刺した時点で被害者は既に死んでいる。こんなことで共犯者にされるなど真っ平ご免だ。選んだのは私以外の「他人」であって「私」ではない。

死亡率半減

2013-06-14 09:35:37 | Weblog
 新しい治療法によって死亡率2%が1%に減った場合、死亡率が半減したと単純に喜んで良いものだろうか。死者ではなく死ななかった人に注目すれば、98%から99%へとたった1%増えただけだ。つまり99%の人には効果が無く1%にだけ効果があったと見なせるのではないだろうか。もう少し詳しく説明するなら、1%の人はその治療を施しても死に、1%だけが助かり、98%についてはその治療があっても無くても同じ、ということだ。結局のところ、効果があるのはたった1%で、99%の人にとっては効果も無いのにその副作用に苦しめられる可能性が生じるということだ。それが注射であれば、99%の人にとっては注射の痛みと副作用の危険性を負担させられるだけであり、1%だけが命を救われるということだ。
 インフルエンザについて考えてみよう。今でも最悪のインフルエンザとして語り継がれているスペイン風邪でさえ死亡率は2~3%に過ぎず、通常のインフルエンザなら0,05%程度らしい。スペイン風邪による死亡率半減ならほぼ上記のシミュレーションと一致する。一般のインフルエンザなら死亡率を半減したところで僅か0.025%減るだけだ。残りの99.975%の人の生死には全く影響しない。これでは副作用のデメリットのほうが遥かに大きいのではないだろうか。実際、スペイン風邪では、現在ではインフルエンザの治療に使うことが禁じられているアスピリンを投与したことによって却って死亡率を高めたとさえ言われている。
 治療効果の光の部分だけではなく影にも注目する必要がある。このことは薬だけではなく手術の有効性についても検証すべきだろう。

同時遍在

2013-06-12 10:19:11 | Weblog
 アリバイは「不在証明」と訳されるがこれは誤訳だ。ラテン語での意味は「他の場所に」であり、「そこにいなかった」という意味ではなく「他の場所にいた」という意味だ。実際、推理小説でのアリバイ崩しの多くは「他の場所にいた」という偽装を暴くことによって成立している。
 今では防犯ビデオがあるので「不在証明」も可能になったが、本来、不在を証明することは難しい。その時他の場所にいた、ということがその場所にはいなかったということの証拠になっている。これは同時遍在が神以外には不可能だという共通認識に基いている。
 神ならざる人は同時に複数の場所に存在することはできない。と言うことは、同時に複数の場所に現れ得るのは神だからだ、ということになる。
 AKB48は同時遍在が可能だ。それはチームA・チームK・チームBがそれぞれ別々に活動できるからだ。チームAであれチームKであれチームBであれ、どれもAKB48の一部だ。だから同時遍在と言える。
 AKB48に関して「神」という言葉がよく使われる。「神7」とか「神曲」とか「神公演」とか「神推し」とかが頻繁に使われる。これを大袈裟な言葉だと批判する人がファンの中にもいるようだが、「同時遍在できる」という神にしかできないことをするのだからこの言葉も許されよう。
 そう考えるとGodは誤りで実はGodsであって、それぞれがあちこちに現れるから同時遍在が可能なのだろう。