日経ビジネス掲載記事の見出しである
ロシアによるウクライナ侵攻は道義的にも国際法上も、そして何より人道的に許されざる行為だ。
ロシアによるフェイク主張やプロカバンダに関わらず、客観的に見て誤った行為者はロシアプーチン政権だろう。
人道的にと、日本のウクライナ支援は是とするが・・・・
一方、僕には首を傾げる気分が、ウクライナ支援機運から以前にも増して強くなっている。
表題にあるように、アジアを始めとして紛争や困窮、飢餓に苦しむ国々からの避難受け入れと、今回のウクライナ避難民受け入れとの非対称性だ。
スリランカ留学生ウィシュマさんの死亡事件は、避難民受け入れとは異なるものの同根の思想を含んでいるもののように思える。
記事は、ミャンマー国軍の専制的な圧迫による避難民受け入れが、米国の受け入れ実態と雲泥の差だと指摘している。
日本の避難民救済や移民受け入れ施策の際の入国管理には、日本人の有色人種差別が根底に潜んでいるのではないだろうか。
自らが有色人種であるのにも関わらずである。
有色人種差別というのが不適当なら、白人崇拝と言っても良いかもしれない。
明治維新以降、アジアで率先してヨーロッパ文物を取り入れ、曲がりなりにも先進国と云われるようになった成功体験が、私たち日本人の底流意識に白人崇拝を生み出し、逆転してアジアその他の有色人種の後進性を卑下する意識を植え付けたのではないのだろうか。
全てではないとしても、世界の多くの先進国白人社会には有色人差別意識は厳然として有る。
私たち日本人もその中に行けば、アジアのミャンマーやフィリピン、中国、朝鮮韓国の人々と同じに扱われるのだ。
何事によらず、他者に対する差別や虐め迫害は、自らをも同じ境遇に至らしめることを容認したことになると云うことを肝に銘ずるべきなのだ。
人を虐めたり迫害したり差別する人は、自分がそうされても抗議する権利を放棄したと同義なのだ。
人を愛すれば、愛される。
人を嫌えば嫌われる。
2022年4月13日の山荘桜