TBSラジオの夕方6時~9時までの番組に、荻上チキがMCを務める"荻上チキセッション"がある。
本日のメインセッションが、ヤンキー先生で一時期、名を馳せた義家氏が裏金問題もあり自民党議員を落選し、これを機に政界引退を発表した事を取りあげていた。
"ヤンキー先生母校へ帰る"のドキュメンタリードラマをプロデュースした当時北海道テレビの河野プロデューサーが、番組に出演されていた。
30年前の北海道余市にある北星学園余市高校は、中途入学や不登校生徒を積極的に受け入れ、当時特色のある学校で、これをHBCが継続的に取材放送をしていたものである。
この番組で取り上げたのが、、長野の高校を中途退学して編入した当時の義家少年の素行や日常であったし、卒業後、母校の教師になり一躍ヤンキー先生として有名になるまでの取材をしたのが、河野プロデューサーだった。
その後、自らの母校や自らのヤンキー体験を、ある意味踏み台にして安倍チルドレンとして政界へ転身したのは、周知のことである。
有名になった義家少年の変わっていく様を抑制のきいた語り口で、答えていた河野氏が印象的であった。
この学校に娘を通して、PTAとして関わった筆者は、番組への感想投稿をした。 番組内で紹介されたのでここに再掲する。
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当方、義家氏が母校に帰ったそのほぼ同時期に、娘が在籍していたものです。
娘も中学時代不登校に陥り、進学先に困って、東京から北海道余市の高校へ入学しました。
本当に地域の下宿のおじさんおばさんと教師集団が文字通り有機的関係も保ちながら、社会性を失い迷っていた我が子を再生に導いてくれたと思っています。
これは、教師だけ学校だけではできない事だったし、担任教師の寝食を惜しんだ努力と下宿の含めた地域の人々の協力、加えてPTAの全面的支援と信頼などの三位一体が有ってのものと今でも思っています。
不登校や学校崩壊への取り組みに積極的な北星学園余市高校を取材制作したHBCの番組を何度か拝見し、当方の娘の再生をも追跡取材されたこともありました。
娘が卒業する前後に、義家氏が母校の教師として赴任されたように記憶しています。
何時間かは娘も授業時間を持たれたように記憶しています。
義家氏に対して、残念ながら特別な印象はありません。 マスコミの寵児として、在籍されていた間は殆ど取材と講演に飛び回って居られたように記憶しています。
その後、政界への進出に対しては、そのような実績を踏み台にしたなって想いしかありません。
ですから、政治の世界で何をなされたのかも興味も知識もありません。
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