2020年はコロナに振り回されたような一年だった。
しかし現象面からは見ればコロナが最大の災禍のように感じるのだが、本質的にはコロナも地球気候変動の一現象に過ぎないことに想いを致すべきなのだと思う。
数十年前から気候変動、地球温暖化による災禍として、暴風、洪水、干ばつ、パンデミックは必然的に起り得る現象として挙げられていた項目である。
初めて聞いたような顔をして、WTOの対応や震源地の武漢への怒りなどを表出すること自体が、取りも直さず今まで気候変動地球温暖化に対して無関心だったのだと表明するのと同義なのだ。
16年前、職場の月一回の安全講話の中で地球温暖化について資料を作って話したことが有る。
この時、60名ほどの構成員の中でこれに関心を示したのは記憶に残る限り皆無であった。
16年前でも既に対策は遅きに失したと訴えたに関わらず、多くの人が無関心を決め込んでいた結果が、2020年のコロナパンデミックなのだ。
正直、新年の慶賀や来福を願う挨拶を交わしてはいるのだが、今年も来年もその次も災禍は増え続けるのだろう。
大型台風、熱波熱暑、洪水、乾燥、飢餓、イナゴ等の農業被害、そして疫病等の温暖化による災害は増えこそすれ減じる事は無いだろうし、加えて地震や戦争、紛争、分断差別、貧困が引き起こす災禍は、文字通り人類の危機と云えるものだろう。
そして何より心が折れてしまうのが、もう既に間に合わないと言われるのに、対策に歩み出さないどころか背を向ける世界のリーダー達や眠れる愚鈍な大衆を目の当たりにする現実だ。
一方、より個人的な事柄でも、コロナに因するとは云え最後であろうと思い計画したイタリア彷徨旅の頓挫があり、良かれと思い始めた独居老人介護に有らぬ疑義や裏切りを得た事、喜寿になった途端の体力減退限界を実感した事、そして何より50数年来の親友の死別が年の瀬に惹起した事等、ここ数年来無かった災厄の一年だった。
この現実には、もう本当にゴマメの歯軋りしか為す術は無いのだろうか・・
数年前から始めた高齢者生活ボランティアで訪問した、独居高齢者からの指名依頼と感謝の便りやプレゼント・・
コロナ禍で帰国の儘ならない外国の友人や、高三で母を亡くした独居の青年へ振舞った手作りお節料理に応える溢れるような笑顔・・
と、云ったような身近な人や個別具体的な人の笑顔や細やかな幸福こそが光明だし、災厄から人をそして何より自分を掬い上げる営みだと思い始めた年初でもある。
70年何事も成し得なかったと語った友も逝ったし、もうその時は今更埋めようもないのだから・・・・遣れることを楽しみながら一つ一つ重ねようと・・・
4家族分のお節重を手作りした(黒豆、田作り、昆布巻き、数の子はお取り寄せです)