うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

2021年頭に当たって

2021-01-01 12:12:03 | 日記・エッセイ・コラム

2020年はコロナに振り回されたような一年だった。

しかし現象面からは見ればコロナが最大の災禍のように感じるのだが、本質的にはコロナも地球気候変動の一現象に過ぎないことに想いを致すべきなのだと思う。

 数十年前から気候変動、地球温暖化による災禍として、暴風、洪水、干ばつ、パンデミックは必然的に起り得る現象として挙げられていた項目である。

初めて聞いたような顔をして、WTOの対応や震源地の武漢への怒りなどを表出すること自体が、取りも直さず今まで気候変動地球温暖化に対して無関心だったのだと表明するのと同義なのだ。

16年前、職場の月一回の安全講話の中で地球温暖化について資料を作って話したことが有る。

この時、60名ほどの構成員の中でこれに関心を示したのは記憶に残る限り皆無であった。

16年前でも既に対策は遅きに失したと訴えたに関わらず、多くの人が無関心を決め込んでいた結果が、2020年のコロナパンデミックなのだ。

正直、新年の慶賀や来福を願う挨拶を交わしてはいるのだが、今年も来年もその次も災禍は増え続けるのだろう。

大型台風、熱波熱暑、洪水、乾燥、飢餓、イナゴ等の農業被害、そして疫病等の温暖化による災害は増えこそすれ減じる事は無いだろうし、加えて地震や戦争、紛争、分断差別、貧困が引き起こす災禍は、文字通り人類の危機と云えるものだろう。

そして何より心が折れてしまうのが、もう既に間に合わないと言われるのに、対策に歩み出さないどころか背を向ける世界のリーダー達や眠れる愚鈍な大衆を目の当たりにする現実だ。

 

一方、より個人的な事柄でも、コロナに因するとは云え最後であろうと思い計画したイタリア彷徨旅の頓挫があり、良かれと思い始めた独居老人介護に有らぬ疑義や裏切りを得た事、喜寿になった途端の体力減退限界を実感した事、そして何より50数年来の親友の死別が年の瀬に惹起した事等、ここ数年来無かった災厄の一年だった。

 

この現実には、もう本当にゴマメの歯軋りしか為す術は無いのだろうか・・

数年前から始めた高齢者生活ボランティアで訪問した、独居高齢者からの指名依頼と感謝の便りやプレゼント・・

コロナ禍で帰国の儘ならない外国の友人や、高三で母を亡くした独居の青年へ振舞った手作りお節料理に応える溢れるような笑顔・・

と、云ったような身近な人や個別具体的な人の笑顔や細やかな幸福こそが光明だし、災厄から人をそして何より自分を掬い上げる営みだと思い始めた年初でもある。

70年何事も成し得なかったと語った友も逝ったし、もうその時は今更埋めようもないのだから・・・・遣れることを楽しみながら一つ一つ重ねようと・・・

4家族分のお節重を手作りした(黒豆、田作り、昆布巻き、数の子はお取り寄せです)

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友の選択

2020-07-03 16:30:47 | 日記・エッセイ・コラム

病状分析の能弁の裏側には?
あたかも他人事を語るような君の滑舌は?

残された時間の支配権の主張
忍び寄る悪玉と、一方で自意識を放棄する代わりの安穏

何時、襲って来るかも知れない悪玉は、残された時間の少しの延長を取引材料に差し出し、
代わりに、その支配権を要求する

今、君は告げたのだ
人の命の有り様を!
一つ一つの心臓の鼓動や空気を吸う肺臓のフイゴは、苦しみから逃れるべくただ眠ったままの時間を生み出すのでは無いのだと‼
雄々しくも己れの生の支配を己れの手の内に握ったままで、其れを全うするのだと!!

残された選択肢は
何時来るかも知れない其れを待つだけの時間か⁉
限られた時を己れの儘に使いきる時間か⁉

その有り様は、僕らが過ごした青春の時と同じ有り様だ!!
確かに僕らはあの時と変わらぬ生き様を重ねて来たのだ❗
今更だけれども、今またその生き様を貫こうと。

友よ、今少し僕と過ごしてくれないか。
語るべき事柄は、しかし在りそうでいて沈黙の時は重なる
そして尚、僕は君を想い、その決断を黙認するしか能は無い

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新緑の薫りの中で

2020-05-17 16:27:34 | 日記・エッセイ・コラム

彼方の山の緑と紺碧の空との際立ち
萌え出す落葉樹のうす緑と常緑樹の濃緑とのグラデーション
それら全ての圧倒的な生命の息吹きの中で呆然と佇む
そして、まさに燃え尽きようとしている君の生命との対比に
僕は今、涙するしか術を知らない

農夫の操る田植え機が、水澄ましの様に水田を滑る
繁り出した桜緑をざわめかして渡る五月の風
溢れる麦酒の泡と青蛙の鳴声の悦楽は、今悔恨を誘う

昔出来なかった下世話な四方山話が、君との今唯一の糸口
君の雄弁は病状の分析と解説
そしてしかし、それらは全て互いの吐露すべき言霊を託した韻を踏む

君が導いたマイルス・デイビスやアート・ブレイキー、ジョン・コルトレーンを響かせ
僕らに筋を示したカール・マルクスを取り出し
今更、僕は何を成そうと
否、今更だから君と語らおうと

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友を恋うる

2020-04-03 22:14:32 | 日記・エッセイ・コラム

僕にとって君は、青春そのものだった。
それぞれに一つ目の挫折を抱え、人生に向かう不安を抱え、そして同じ匂いを感じた君だった。
君を知ってから丁度50年経つ。
罵りあい殴り合った時も、不思議に互いに許しあっていたのだろう。
君の拳に恐れは無かったし、関係が切れてしまうと云う気持ちも生まれなかった。


今、君の病を知り、今まで思ったことも感じたことも無かった寂寥の中に居る。
独り、デイブブルーレックやデュークエリントンや山下洋輔ばかりが僕の周りに響いている。


君が本当にやりたかった事を知っていたし、僕は其のことに一種嫉妬していたのかも知れない。
あれ以来、あんなにも激して論じた事は無いけれど、激したあの時は僕の今まで生きる場面場面で無くてはならない根拠であった。


時の少なくなった今更思う、僕らはもっとゆったり愉しみの時を過ごせなかったのだろうかと。
君が巣食った幡ヶ谷の幽霊小屋のようなスナックの破れたスッールに腰掛け喰った乾いた味のインスタントラーメン
そこで鳴らし聴いたジュークボックス  アダモの雪は降る
幡ヶ谷商店街の札幌ラーメン”コタン”のニンニクを効かせた味噌ラーメン
裏通りにあった定食屋の鯖塩焼き定食に目玉焼きを喰いながら聞いていた、陽水の”傘が無い”
腹をすかせた僕らに辛口カレーをてんこ盛りにしてくれた道玄坂ムルギーの親父さん
僕が君に導かれジャズの洗礼を受け、狂乱と懊悩の中の君が崇高にさえ思えた新宿のピットイン
そして、夜中に独り起きだし音を絞ったエレキギターの弦を弾く君を・・・・


一つ一つが、僕の伝説だ。


今、君が魔病の淵に居たとしても、僕は君を羨む。
僕には、君を思うような僕が居ないから・・・・

 

 

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トップリーダーは誰が選ぶのか??

2020-03-31 07:51:10 | 日記・エッセイ・コラム

ドイツのコロナウイルス状況が特異現象だとして注目されている。
感染数はアメリカ、イタリア、中国、スペイン、に次いで5番目の6.2万人だが、これに因する死者が525人で0.8%と、前掲各国との極端な違いを見せている。
因みに、アメリカから順に1.7%、11%、4%、8.4%である。
これについて、識者各氏がそれぞれ述べられており一々最もだと思うのだが、その中でも気になったのが、
ドイツでは、コロナウイルス感染は国民の大多数の感染は仕方がない、しかし重篤化、死者の数を少なくしようとの、当初からそのような戦略的対処方針が有ったのだということである。
この戦略から導き出されたのが、
1 特効薬やワクチンが開発されるまで時間稼ぎが必要だということ
2 自国の医療体制の対処数を超えないこと
3 検査体制を充実させること
等々、移動やイベント、集会の制限、学校や会社の休止など、時間稼ぎの各種施策が導き出され結果として、致死率最高のイタリア10人に一人に比して1000人に8人という数字に表れている。
振り返って私たちの指導的立場にそのような戦略が有るのだろうか??
現今までの各種施策からはそのような明確な対処戦略は国民には゜見えていない気がする。
ドイツのメルケル氏の国民に対するメッセージは、出色である。
政治家、トップリーダが発すべき事とはこんなことなのだろう。
基本的な戦略を持ち、自国の医療体制を信じや民主主義を重んじた政治家なのだろう。
もっと言えば、何より真摯な人間から出発した政治家なのだろうと、持ち上げたくなる。

どうして我々にはこのようなトップリーダーが居ないのか?
構成する国民の質だとしか言いようもない。
自らのトップが、この期に及んで自らの周囲の利権や不祥事についてキチンと釈明しない、ましてやこのような危機に瀕しているのに場当たり施策や開き直りの不誠実さにも、支持率を大きく下げない現状は、我々を含めた国民の民度が低劣だと言わざるを得ない。

 

以下に、メルケル首相の演説全文訳を転載させていただく。(出展 Mikako Hayashi-Husel より)


コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文
【試訳】
親愛なる国民の皆様*、 コロナウイルスは現在わが国の生活を劇的に変化させています。私たちが考える日常や公的生活、社会的な付き合い ― こうしたものすべてがかつてないほど試されています。
何百万人という方々が出勤できず、子どもたちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう。もちろんこのような状況で私たちはみな、これからどうなるのか疑問や心配事でいっぱいです。
私は今日このような通常とは違った方法で皆様に話しかけています。それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお伝えしたいからです。開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。
もし、市民の皆さんがこの課題を自分の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような課題がわが国に降りかかってきたことはありませんでした。
私はここで、現在のエピデミックの状況、連邦政府および各省庁がわが国のすべての人を守り、経済的、社会的、文化的な損害を押さえるための様々な措置を説明したいと思います。しかし、私は、あなたがた一人一人が必要とされている理由と、一人一人がどのような貢献をできるかについてもお伝えしたいと思います。

エピデミックについてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。世界中で懸命に研究が進められていますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。
この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばすことで時間を稼ぐことです。これが私たちのすべての行動の指針です。研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。
ドイツは素晴らしい医療システムを持っています。もしかしたら世界最高のシステムのひとつかもしれません。そのことが私たちに希望を与えています。しかし、わが国の病院も、コロナ感染の症状がひどい患者が短期間に多数入院してきたとしたら、完全に許容量を超えてしまうことでしょう。

これは統計の抽象的な数字だけの話ではありません。お父さんであり、おじいさんであり、お母さんであり、おばあさんであり、パートナーであり、要するに生きた人たちの話です。そして私たちは、どの命もどの人も重要とする共同体です。
私は、この機会にまず、医師としてまたは介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。
そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。

さて、重要なのは、ドイツ国内のウイルスの拡散スピードを緩やかにすることです。そして、その際、これが重要ですが、1つのことに賭けなければなりません。それは、公的生活を可能な限り制限することです。もちろん理性と判断力を持ってです。国は引き続き機能し、もちろん供給も引き続き確保されることになるからです。私たちはできる限り多くの経済活動を維持するつもりです。
しかし、人を危険にさらす可能性のあるものすべて、個人を、また共同体を脅かす可能性のあるものすべてを今減らす必要があります。人から人への感染リスクを可能な限り抑える必要があります。
今でもすでに制限が劇的であることは承知しています。イベント、見本市、コンサートは中止、とりあえず学校も大学も保育所も閉鎖され、遊び場でのお遊びも禁止です。
連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。わが連邦共和国ではこうした制限はいまだかつてありませんでした。
私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。
このため、国境検査の厳格化と重要な隣国数か国への入国制限令が今週初めから発効しています。 
経済全体にとって、大企業も中小企業も、商店やレストラン、フリーランサーにとっても同様に、今は非常に困難な状況です。
今後何週間かはいっそう困難になるでしょう。私は皆様に約束します。連邦政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を守るために可能なことをすべて行います。
わが国の経営者も被雇用者もこの難しい試練を乗り越えられるよう、連邦政府は、必要なものをすべて投入する能力があり、またそれを実行に移す予定です。 
また、皆様は、食料品供給が常時確保されること、たとえ1日棚が空になったとしても補充されること信じて安心してください。スーパーに行くすべての方にお伝えしたいのですが、備蓄は意味があります。ちなみにそれはいつでも意味のあるものでした。けれども限度をわきまえてください。何かがもう二度と入手できないかのような買い占めは無意味ですし、つまるところ完全に連帯意識に欠けた行動です。
ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。

さて、今日私にとって最も緊急性の高いものについて申し上げます。私たちがウイルスの速すぎる拡散を阻止する効果的な手段を投入しなければ、あらゆる国の施策が無駄になってしまうでしょう。その手段とは私たち自身です。私たちの誰もが同じようにウイルスにかかる可能性があるように、今誰もが皆協力する必要があります。まず第一の協力は、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、しかし、自分にはあまり関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。
私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりのある行動に依存しているか、それをエピデミックは私たちに教えます。また、それはつまり、どれだけ私たちが力を合わせて行動することで自分たち自身を守り、お互いに力づけることができるかということでもあります。
一人一人の行動が大切なのです。私たちは、ウイルスの拡散をただ受け入れるしかない運命であるわけではありません。私たちには対抗策があります。つまり、思いやりからお互いに距離を取ることです。
ウィルス学者の助言は明確です。握手はもうしない、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル人との距離を取る、特にお年寄りは感染の危険性が高いのでほとんど接触しないのがベスト、ということです。
こうした要求がどれだけ難しいことか私は承知しています。緊急事態の時こそお互いに近くにいたいと思うものです。私たちは好意を身体的な近さやスキンシップとして理解しています。けれども、残念ながら現在はその逆が正しいのです。これはみんなが本当に理解しなければなりません。今は、距離だけが思いやりの表現なのです。
よかれと思ってする訪問や、不必要な旅行、こうしたことすべてが感染拡大を意味することがあるため、現在は本当に控えるべきです。専門家がこう言うのには理由があります。おじいちゃんおばあちゃんと孫は今一緒にいてはいけない、と。
不必要な接触を避けることで、病院で日々増え続ける感染者の世話をしているすべての方々を助けることになります。こうして命を救うのです。多くの人にとってこれはきついことでしょう。誰も一人にしないこと、声かけと希望が必要な方たちの世話をすることも重要になってきます。私たちは家族として、また社会として別の相互扶助の形を見つけるでしょう。
今でもすでに、ウイルスとその社会的影響に対抗する創造的な形態が出てきています。今でもすでに、おじいちゃんおばあちゃんがさみしくないようにポッドキャストをするお孫さんたちがいます。
私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、イーメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便は配達されるのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしい例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。
皆様にお願いします。今後有効となる規則を遵守してください。私たちは政府として、何が修正できるか、また、何がまだ必要なのかを常に新たに審議します。
状況は刻々と変わりますし、私たちはその中で学習能力を維持し、いつでも考え直し、他の手段で対応できるようにします。そうなればそれもご説明します。このため、皆様にお願いします。噂を信じないでください。公的機関による発表のみを信じてください。発表内容は多くの言語にも翻訳されます。

私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。
私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます。
この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。
たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。
皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました。
【試訳終了】

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