鬼平犯科帳の時代小説に出てくる、江戸時代の役人の日常を追体験しようと、街を歩いた!
折しも、衰えた筋力の回復リハビリを意図している最中である。 目標6000歩は歩きたい!!
七草粥で腹拵えして出発である。
鬼平犯科帳主人公の長谷川平蔵は実在の人物で、松平定信の寛政の改革の時代に活躍した人物である。
最も大きな功績は、江戸時代の社会福祉施設である石川島人足寄場を建設運用したことであろう。
合わせて、火付け盗賊改め方長官という現代風に言えば、特別機動捜査隊長官の役職で活躍したと云う。
この実在の、人物、組織や事跡を題材に選んだ小説家池波正太郎の目の付けどころは流石である。
全24巻の大著作を著し大作家となった。
今回は、此に出てくる中小役人の与力同心達が自宅から役所に通ったであろう、通勤ルートを歩くことにした。
火盗改方の役所 ( 役宅 )が、この千代田区役所の位置に有ったらしい
近くの区観光協会でそれらしい史跡や古地図の情報を聞いたが、残念ながら有意義な情報は得られなかった。 墨田区辺りの待遇とは違った扱いである。
ここから、今日の史跡探し街歩きが始まる。
桜で有名な千鳥ヶ淵を過ぎ
靖国神社に沿って靖国通りを過ぎると市ヶ谷見附である。
外堀から江戸城内への入場を監視していた番所が、見附と言われる場所である。
火付け盗賊改め方の役人ならば、顔パスだったのだろうか??
市ヶ谷見附を過ぎると、直ぐに防衛省である。 ここは、作家三島由紀夫が盾の会のメンバーとともに、決起騒動の結果、割腹自殺したところで有名である。 当時は防衛庁市ヶ谷駐屯地と言ってたが、防衛省に名前と格付けを変えていた。防衛省となると本当に強面の軍事組織にイメージを変える。
ここが、与力、同心たちの住む組屋敷が有った処だそうな。 正式にはお先手組組屋敷と言った。
ここまで、約4Kmである。
一里の道のりを、弁当持参、重い刀を両刀腰に差して、雪駄草履裸足の和服で歩くのである。
当時の侍の足腰の強さと健脚は、驚嘆に値する。自分の足で歩いて実感するものである。
此処までで6~7000歩である。 今日は此処から長谷川平蔵菩提寺の戒行寺まで行く。
途上、新宿区立歴史博物館で関連資料を探したが、此処にもそれらしい痕跡は見当たらなかった。
古の地名を感じながら、最終地点にたどり着いた。
本日、歩程 14802歩を数えた。
本日の街歩きに際し、出発と帰宅のそれぞれの電車で、座席を譲って頂いた。このところ高齢者とみて席を譲って頂く事が多くなっている。
優しさや礼儀正しい若者たちに温かい気持ちになるのと同時に、年寄然とした自らが顕在化したのだろうか・・・・