うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

西へのキャンプ旅 3

2016-06-12 09:18:31 | 旅行記

四日目である。急遽探した安宿(1泊朝食付)とは云え一人6500円である。一昔前の団体観光ホテルと云った宿であった。タバコ臭いのが最大の難!!! 早々にチェックアウトして、郡上八幡城へ

 

木造建築の美しい城である。天守への階段を登るとギシギシ床鳴りがするのがリアルに往時を思わせる。最古の木造天守とは云え岐阜大垣城を模して1933年に再建されたものだとか。それでも何処へ行ってもコンクリート造りに変わってしまった昨今、大変貴重な城ではある。戦国中世期、覇権を争った信長、秀吉、家康の3傑が跋扈した地域であるだけに、翩翩たる歴史を感じさせる城である。

城下町も城に良く似合った美しく潤いを感じる街並みであった。飛騨高山から白川郷を巡ってきた後だけに、意図的、観光的な迎合感が無いのが良い。

民家の軒下には豊富な清流で錦鯉が泳ぎ、石畳の道は時間をかけてのそぞろ歩きが似合う街だった。

 

足早に過ぎ去るのが勿体なく感じて、立ち寄った和caféがまた、素晴らしかった。美術博物館を併設し、往時の豪商だろうかの家を利用した座敷で抹茶を頂いた。さりげなく配置された掛け軸や襖絵、焼き物は値物であろう。家屋を含めた国指定文化財の中で、何代目かの当主にお茶の接待を頂き、期せずゆったりした時間を過ごした。

郡上八幡は郡上おどりでも有名である。此処は昔日、父が良い所だと話していたのを聞いていたので何時かは訪れようと思っていた。父が若い頃どのような機会で訪れたのかは知れないが、物見遊山の観光では勿体ない所である。

郡上のなー 八幡 (アーソンレンセー)  出て往くー 時にゃー (アーソンレンセー) 

雨もー降らぬのにー 袖―絞るー (アーソンレンセー) 

 郡上八幡でゆったりした時間を過ごした後である。今日は移動距離43kmの岐阜市内の三光鳥が巣作りするというキャンプ場での宿泊とした。

近隣のカクヤスでビールとワイン、生鮮スーパーで内臓を出して貰った鯵をソテーで食した贅沢な夜であった。1泊テント人張1020円、食費2098円である。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西へのキャンプ旅Ⅱ

2016-06-06 16:54:23 | 旅行記

3日目は夕方の雨予報を気にしながらの行程である。

梓川を遡り、新島々、沢渡と北アルプス、上高地への入口を横目に、乗鞍下のトンネルを抜けると日本海側の風なのであろう木々の葉の色合いが常緑樹が多いのか緑の色が濃く感じたものである。

最初の寄り道が飛騨高山である。

江戸中期から徳川幕府の直轄領として代官所が置かれた町が中心であり春と秋に催される高山祭は有名である。豪華絢爛な山車を曳く京都の祇園祭、と秩父祭を含めた日本三大曳き祭りに数えられる。また、古い町並みの保存がミシュランガイドに取り上げられて外国人旅行者の有力訪問地に挙げられる。

 確かに外国人観光客の町と化していた。彼らに交じって街並みの写真を数枚、あとは造り酒屋で地酒を購入し高山ラーメンと飛騨牛コロッケを食して、早々に次の目的地白川郷へと向かった。

 白川郷も飛騨高山と同様、或はこれにも増して外国人の波であった。

風景は雪深さを思わせる山村の家並みではあるし、子供の頃から教科書で目にしてきた合掌造りには興味をそそられるのではあるが、あまりの異国の人々の多さの方に圧倒されるばかりであった。

また村内を巡るリムジンバスまで有料であったのには食傷したものである。

村を一望する展望所まで歩けば20分ではあるがチョットした山登りである。村内には一般車の駐車、侵入は出来ないのであるから、老人幼児は乗り合いバスが必須であろうに有料とは・・・??

 早々に白川郷を出たのも、天候の悪化傾向から今夜の宿泊場所を再検討する必要からでもある。 当初計画した目的場所は長良川上流域にあるキャンプ場であったが、雨が本降りに変わりキャンプは諦めた。郡上八幡近隣のホテルを携帯検索で探し3日目はホテル投宿となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする