6:29お宿(東山区祗園町)ー6:39祇園四条駅ー6:44-7:04東福寺駅ー京都駅ー膳所駅ー京阪膳所駅ー8:03石山寺駅ー8:12-9:18石山寺ー9:30-9:38石山寺駅ー9:06大谷駅ー10:22-10:27逢坂の関ー10:33蝉丸神社ー10:39-10:54大谷駅ー三条京阪駅ー三条駅ー11:25出町柳駅ー11:44-12:06蘆山寺ー京都御苑ー12:23今出川駅ー12:37北大路駅ー12:46紫式部墓所ー12:57雲林院ー13:30-14:07金閣寺ー14:18-14:29千本えんま堂(引接寺)ー15:13-15:49下鴨神社ー16:00出町柳駅ー16:19清水五条駅ー16:37-17:06清水寺ー18:00お宿(東山区祗園町)
一夜明けて12.29は曇り空で6時半頃に祇園のお宿を出て祇園四条駅から電車で途中で2回の乗換えて8時過ぎに石山寺駅に、駅から歩き始め10分ほどで最初の目的地の「石山寺」に着いた。拝観料600円を払って境内に、ここ石山寺は紫式部が「源氏物語」を書いたとされている場所で本堂に源氏の間があった。境内を1時間ほどかけて歩いた。岩山の崖のような所に寺全体が位置しており上り下りがあって少々歩きにくかった。境内の「源氏苑」に紫式部の像があった、あなたに会うために来訪したと報告した。この寺は花の寺なのだが今は紅葉は終わり梅には早いので残念だったが、紫式部に会えただけで満足した。
石山寺(東大門)
石山寺(本堂)
石山寺(源氏の間)
石山寺(月見亭、芭蕉庵)
石山寺(源氏苑)
往路を戻り石山寺駅に9時半に着いた、ここから京阪電車で大谷駅に9時過ぎに着いた。目的は「逢坂の関」で道迷いして逆方向に歩き16分もかかった。場所は駅から石山寺駅方面に戻った所だった。ここは「源氏物語」の「関屋」の巻で空蝉と光源氏が再会する場所でした。今は国道一号線が通り記念石碑と東屋風の記念館があるだけで当時の面影はなかった、それでも物語に思いをはせた。近くに坊主めくりで有名な蝉丸の蝉丸神社もあったが大したことなかった。
逢坂の関
大谷駅に戻り電車で11時半頃に出町柳駅にここから20分ほど歩いて「蘆山寺」(拝観料:500円)に、ここは紫式部の邸宅だったとされている場所で寺内には紫式部の像が庭には石碑があった。源氏庭は綺麗でここでも紫式部に思いをはせた。
蘆山寺
次は本来ならば京都御所に行きたかったが休止日でその周りの京都御苑を通って今出川駅から地下鉄で北大路駅にここから歩いて10分ほどで「紫式部墓所」に堀川通沿いの一角に石碑と小さな墓石と塚があるだけだったが綺麗に整備されていた、ここでも紫式部に思いをはせて手を合わせた。
紫式部墓所
10分ほど歩いて「雲林院」に、ここは「源氏物語」の「賢木」の巻で光源氏が籠った寺だが狭い境内に小さなお堂があるだけだった。
雲林院
30分歩いて「金閣寺」(拝観料:400円)に、紫式部とはゆかりも縁もないが史実の金閣寺放火事件(1950年(昭和25年)7月2日未明)をもとにした三島由紀夫の「金閣寺」の舞台で是非とも観たくて訪れた。(実は過去二回訪れたことがある)黄金の舎利殿これがすべてと言ってもいい金閣寺は観光客でごった返していた。警備員も多くいて監視カメラも至る所にあり令和の現代では放火はできないだろう。三島由紀夫の小説を今回の旅行の直前に再読したが、実際に訪れてみても余程の異常な精神状態でない限り放火はできないと強く感じました。
金閣寺
休憩後に10分ほど歩いて「千本えんま堂」にここには紫式部供養塔があるので参拝してみた。供養塔と紫式部の金の像があったので手を合わせた。もっと印象に残ったのは地蔵供養池で多数の地蔵が並んでいた。
千本えんま堂
ここで本日の予定は終了したが日没まで時間があったので鴨川まで一気に歩いて下鴨神社まで行き参拝した。参拝した理由は源氏物語の「葵の巻」での光源氏の正室・葵の上と光源氏の恋人の一人・六条御息所の「車争い」の舞台ということで訪れてみた。「車争い」は葵祭での出来事ではなくては斎院御禊での出来事だそうです。「須磨の巻」でもここに参拝して一句を詠んでいます。境内は末社が多くて過密状態だったが、南北に長い表参道の周りの「糺の森」が神秘的だった。
下鴨神社
表参道を歩いて16時に出町柳駅に着いた。まだ1時間弱あるので清水寺の閉門18時に間に合いそうなので行ってみることにした。出町柳駅から京阪電車に乗車して清水五条駅で下車して五条通から茶わん坂を上って20分ほどで清水寺に着いた。(拝観料:400円)ここも夕方にも拘わらず多くの観光客でごった返していた。意外と境内は広くはなくて30分ほどで一周できた。
茶わん坂
清水寺
帰路は清水坂を下り東大路通に右折して祇園に出てお宿に帰った。
清水坂
早朝から出かけたので予想以上に多くの箇所を巡ることかできた。天候もやや寒い程度で歩くには適していた。これで予定していた「紫式部と源氏物語」のゆかりの地を全部行けてとても満足しました。
一夜明けて12.29は曇り空で6時半頃に祇園のお宿を出て祇園四条駅から電車で途中で2回の乗換えて8時過ぎに石山寺駅に、駅から歩き始め10分ほどで最初の目的地の「石山寺」に着いた。拝観料600円を払って境内に、ここ石山寺は紫式部が「源氏物語」を書いたとされている場所で本堂に源氏の間があった。境内を1時間ほどかけて歩いた。岩山の崖のような所に寺全体が位置しており上り下りがあって少々歩きにくかった。境内の「源氏苑」に紫式部の像があった、あなたに会うために来訪したと報告した。この寺は花の寺なのだが今は紅葉は終わり梅には早いので残念だったが、紫式部に会えただけで満足した。
石山寺(東大門)
石山寺(本堂)
石山寺(源氏の間)
石山寺(月見亭、芭蕉庵)
石山寺(源氏苑)
往路を戻り石山寺駅に9時半に着いた、ここから京阪電車で大谷駅に9時過ぎに着いた。目的は「逢坂の関」で道迷いして逆方向に歩き16分もかかった。場所は駅から石山寺駅方面に戻った所だった。ここは「源氏物語」の「関屋」の巻で空蝉と光源氏が再会する場所でした。今は国道一号線が通り記念石碑と東屋風の記念館があるだけで当時の面影はなかった、それでも物語に思いをはせた。近くに坊主めくりで有名な蝉丸の蝉丸神社もあったが大したことなかった。
逢坂の関
大谷駅に戻り電車で11時半頃に出町柳駅にここから20分ほど歩いて「蘆山寺」(拝観料:500円)に、ここは紫式部の邸宅だったとされている場所で寺内には紫式部の像が庭には石碑があった。源氏庭は綺麗でここでも紫式部に思いをはせた。
蘆山寺
次は本来ならば京都御所に行きたかったが休止日でその周りの京都御苑を通って今出川駅から地下鉄で北大路駅にここから歩いて10分ほどで「紫式部墓所」に堀川通沿いの一角に石碑と小さな墓石と塚があるだけだったが綺麗に整備されていた、ここでも紫式部に思いをはせて手を合わせた。
紫式部墓所
10分ほど歩いて「雲林院」に、ここは「源氏物語」の「賢木」の巻で光源氏が籠った寺だが狭い境内に小さなお堂があるだけだった。
雲林院
30分歩いて「金閣寺」(拝観料:400円)に、紫式部とはゆかりも縁もないが史実の金閣寺放火事件(1950年(昭和25年)7月2日未明)をもとにした三島由紀夫の「金閣寺」の舞台で是非とも観たくて訪れた。(実は過去二回訪れたことがある)黄金の舎利殿これがすべてと言ってもいい金閣寺は観光客でごった返していた。警備員も多くいて監視カメラも至る所にあり令和の現代では放火はできないだろう。三島由紀夫の小説を今回の旅行の直前に再読したが、実際に訪れてみても余程の異常な精神状態でない限り放火はできないと強く感じました。
金閣寺
休憩後に10分ほど歩いて「千本えんま堂」にここには紫式部供養塔があるので参拝してみた。供養塔と紫式部の金の像があったので手を合わせた。もっと印象に残ったのは地蔵供養池で多数の地蔵が並んでいた。
千本えんま堂
ここで本日の予定は終了したが日没まで時間があったので鴨川まで一気に歩いて下鴨神社まで行き参拝した。参拝した理由は源氏物語の「葵の巻」での光源氏の正室・葵の上と光源氏の恋人の一人・六条御息所の「車争い」の舞台ということで訪れてみた。「車争い」は葵祭での出来事ではなくては斎院御禊での出来事だそうです。「須磨の巻」でもここに参拝して一句を詠んでいます。境内は末社が多くて過密状態だったが、南北に長い表参道の周りの「糺の森」が神秘的だった。
下鴨神社
表参道を歩いて16時に出町柳駅に着いた。まだ1時間弱あるので清水寺の閉門18時に間に合いそうなので行ってみることにした。出町柳駅から京阪電車に乗車して清水五条駅で下車して五条通から茶わん坂を上って20分ほどで清水寺に着いた。(拝観料:400円)ここも夕方にも拘わらず多くの観光客でごった返していた。意外と境内は広くはなくて30分ほどで一周できた。
茶わん坂
清水寺
帰路は清水坂を下り東大路通に右折して祇園に出てお宿に帰った。
清水坂
早朝から出かけたので予想以上に多くの箇所を巡ることかできた。天候もやや寒い程度で歩くには適していた。これで予定していた「紫式部と源氏物語」のゆかりの地を全部行けてとても満足しました。
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